2020年9月12日土曜日

富士火山脈が信濃に入つて、 八ヶ岳となり、 蓼科山となり、 霧ヶ峰となり、 その末端が大小の丘陵となつて諏訪湖へ落ちる



富士火山脈が信濃に入つて、
八ヶ岳となり、
蓼科山となり、
霧ヶ峰となり、
その末端が大小の丘陵となつて諏訪湖へ落ちる。
その傾斜の最も低い所に私の村落がある。

―島木赤彦― 『諏訪湖湖畔冬の生活』より

2020年9月11日金曜日

蓼科山の彼方にぞ 年経るおろち棲むといへ


蓼科山の彼方にぞ
年経るおろち棲むといへ
月はろばろとうかび出で
八谷の奥も照らすかな

―伊良子清白― 『秋和の里』より

2020年9月10日木曜日

その十力の金剛石は春の風よりやわらかく、 ある時はまるくあるときは卵がたです。 霧より小さなつぶにもなれば、 そらとつちとをうずめもします



その十力の金剛石は春の風よりやわらかく、
ある時はまるくあるときは卵がたです。
霧より小さなつぶにもなれば、
そらとつちとをうずめもします。

―宮沢賢治― 『虹の絵の具皿』より

2020年9月9日水曜日

城の前の谷川に月の光がさして、 そして水が自然に静まる時があったら、 その卵を水鏡に写してごらんなさい。 夢の姿がはっきり見えてきます



城の前の谷川に月の光がさして、
そして水が自然に静まる時があったら、
その卵を水鏡に写してごらんなさい。
夢の姿がはっきり見えてきます。

―豊島与志雄― 『夢の卵』より

2020年9月8日火曜日

なぜか私は鬼灯の姿にひきつけられて暮してゐた



なぜか私は鬼灯の姿にひきつけられて暮してゐた。
どこか幼い時の記憶にありさうな、
夢の隙間がその狭い庭にありさうで……。

―原民喜― 『鬼灯図』より

2020年9月7日月曜日

みんなで、"守ろう”としているからやろうな――


「何で――誰も破らへんの?」
という素直な疑問を大輔は優先した。
「そうやなあ」
ふたたび、例の「モダン焼き」の調子で、
幸一は手のひらをあてた。
「みんなで、"守ろう”としているからやろうな――」

―小説『プリンセス・トヨトミ』より―

2020年9月6日日曜日

燧岳は尾瀬に君臨する女王であると共に、 また尾瀬の生みの母でもある



燧岳は尾瀬に君臨する女王であると共に、
また尾瀬の生みの母でもある。
若し此山の噴出がなかったならば、
尾瀬沼も尾瀬ヶ原も出現することなく、
この勝地も恐らく名もない谷間の窪地たるに過ぎなかったであろう。

―木暮理太郎―

2020年9月5日土曜日

谷川岳は美しい山だ



谷川岳は美しい山だ。
私の故郷はあの山の向う側にあるので、
その往復に車窓から眺めながら、
季節々々にいつも美しい山の姿に見とれることが多かった。
とりわけ冬は美しいが、
それはあらゆる山がそうなのだろう。

―坂口安吾― 『我が人生観』より

2020年9月3日木曜日

末はどうでも お薬師さまよ せつぱ詰つた つないでお呉れ



願ひかけました
米山さまへ

縁をつないで
お呉れよとかけた

末はどうでも
お薬師さまよ

せつぱ詰つた
つないでお呉れ

帯で結んでも
切れる縁は切れる

どうせ米山も
お道楽薬師

切れるまでにも
つないでお呉れ

―野口雨情― 『道楽薬師』より

2020年9月2日水曜日

2020年9月1日火曜日

人がどう評価しようとも、 何をしたかかではなく、 何のためにそれをしたかが大切です。 悔いなくやり遂げることが大切だと思います。



人がどう評価しようとも、
何をしたかかではなく、
何のためにそれをしたかが大切です。
悔いなくやり遂げることが大切だと思います。

―映画『劔岳 点の記』より―

2020年8月31日月曜日

或は正保以前から「をぜ」の称があったかとも思われる、 けれども『会津風土記』以外には確たしかな記録がないのである


尾瀬の名は『会津風土記』に「小瀬峠 陸奥上野二州之界」または「小瀬沼 在会津郡伊南郷縦八里横三里」として載っているのが古書に見られる最初である。
この書は寛文六年に編纂されたもので、
これに先立つこと約二十年の『正保図』には、
「さかひ沼」と記してあるが「をぜ沼」とは書いてない。
或は正保以前から「をぜ」の称があったかとも思われる、
けれども『会津風土記』以外にはたしかな記録がないのである。

―木暮理太郎― 『尾瀬の昔と今』より