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2017年4月29日土曜日

弥彦神社の某神社の祭神とは?

弥彦山の寒櫻

季節が1ケ月ほど遅れていますが、弥彦山の寒桜です。 寒桜が咲くと「もうすぐ、春だなぁ~」という気持ちになりますよね。

弥彦山は、新潟県西蒲原郡弥彦村と長岡市の境にある、標高634mの山です。
 ここで、気づいていただけると嬉しいのですが、弥彦山の標高は634。
スカイツリーと同じ高さなのです!

余談ですが、弥彦山山頂付近のレストランでは「ツリーパフェ」が634円で提供されています。
弥彦のお菓子といえば、パンダの形のなかに餡がはいっている、分水堂菓子舗さんの「パンダ焼き」が有名ですが「ツリーパフェ」も食べてみてください。

さて、弥彦山。

弥彦山には越後一ノ宮である、弥彦神社があります。
越後平野に鎮座する弥彦山自体がご神体であり「万葉集」にも
伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る
伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら

伊夜比古と、その名が詠まれているように、古くから信仰の対象になっている山です。
そして、弥彦山の麓にある弥彦神社は、神武天皇の東遷に功績があった神として、多くの武人や朝廷からも篤く崇敬されていました。

弥彦神社の祭神「天香久山命」について


弥彦神社の祭神は、天香久山命。
天香久山命は──。

饒速日尊と天道日女命との間に生まれた神(天照太神の曾孫神)で、尾張氏等の祖神とされ、物部氏等の祖神である宇摩志摩治命とは母神を異にする兄弟神。

神武天皇の大和国平定後、勅命を受け越国を平定、開拓に従事した人物です。

ちなみに、8代孝元天皇の第一皇子である大彦命が「越」を平定した人物であることから、弥彦神社の祭神は「大彦命」ではないのか、という一説もあります。
弥彦神社は、御祭神は「天香久山命」ですよ~と言っています。 ごもっともです(^_^;)

ちなみに、天香久山命が祭神の神社は弥彦神社の他

・新潟県小千谷の魚沼神社
・愛知県の尾張戸神社

の3社。かなり少ないです。

愛知県の尾張戸神社は東谷山の山頂にあり、東谷山は古くから信仰を集めた霊山で、尾張戸神社古墳・中社古墳・南社古墳・白鳥塚古墳など尾張地区最大規模の古墳群存在しています。

弥彦神社でも土器が出た場所があるのですが、詳しい調査は行われていません。 その理由は、土器が出たのが「某神社」と呼ばれる、特別な場所であるから──。

弥彦神社の某神社


弥彦神社の某神社は、弥彦神社の二の鳥居から奥に進んだ場所にひっそりと祀られています。 由縁、祭神など不明ながらも、大切に祀られている神社──。

学生社発行の書籍「彌彦神社」に、某神社のことが次のように書かれています。

御祭神に関しては、もともとこの地の神様であったとか、荒ぶる神をとじこめた塚であるとか、また垣根内の木を切った、石を取った、土を削るとその当人が不慮の事故に遭遇したものだとする古老の強い口調の言い伝えが残っている。

なんだか、千代田区の……平将門公の首塚みたいですね。

さらには過去の考古学ブームのおりには、この社の周辺から祭器具とみられる土器を見つけたなどとして、考古学係者より発掘の申し出などもひんぱんにあったと聞くが、「いずれも行われなかった」など、神秘にして不可思議なる霊感ただよう大神の領域として、だれひとりとして手をつけかねる思いに駆られる場である。

でも、最初の土器発見者は、無事だったのでしょうかね?





某神社の某とは?


ここで、弥彦の某神社の「荒ぶる神」がどういった神様なのか気になったので、調べてみたところ「阿彦」という人物に行きつきました。

阿彦は祟神天皇の頃「越」を拠点にしていた氏族ですが、祟神天皇が派遣した四道将軍の一人「大彦命」に制圧されたといいます。

大彦命は「越」を平定し、弥彦神社の祭神ではないかという説もある人物。
ちなみに、どの地域を「越」としていたのかについて、その範囲について
敦賀の氣比神宮から船出し日本海を北上して、羽咋の気多大社を経て、さらに弥彦神社がある弥彦山を右手に見るまでを一つの地域として「越」と呼んだ
  とwikipediaに記されています。

現在、スポーツなどの大会で「北信越大会」として、富山、石川、福井(北陸3県)と長野、新潟(信越)を合わせたくくりにしているのですが「北信越広範囲すぎるよ!」と思っていましたが、この「越」の範囲から続いているものなのかもしれませんね(汗)

話しを戻します。

先に天香久山命を祭神としているのは、弥彦神社と尾張戸神社と新潟県小千谷にある魚沼神社とお伝えしましたが、魚沼神社は天香語山命のほかに、豊玉姫命と阿彦を祭神として祀っています。

魚沼神社は1780年以前は「上弥彦大明神」と呼ばれ、祭神は弥彦神社と同じ「天香久山命」であり、弥彦神社に次ぐ越後二之宮と称していたそうです。

今の地理感覚からすると、弥彦と小千谷とでは場所的に距離があり、なんというか繋がりが見えてこないのですが、小千谷は魚野川と信濃川が合流する地点で、川を交通手段としていた時代には現在よりも重要な地点であったようです。

古代には弥彦との繋がりが深く、大彦命に敗れた阿彦が小千谷へと落ち延びた……のかもしれません。

小千谷で阿彦は討たれ、魚沼神社に祀られた。

さらに、弥彦神社の某神社の祭神を阿彦と考えた場合。

大和朝廷は、その死後も阿彦を恐れ、弥彦神社の一角に阿彦を荒御霊として祀ったのかもしれません──。

このあたりのことは、東北の阿弖流為とねぶた祭にも似ていますね。
ねぶたの由来は「眠り流し」ではない?

天香久山命と阿彦をセットで祀らなければいけなかったのか?



某神社の祭神が阿彦だったという想定で考えたとき、
天香久山命を祭神としている愛知県の尾張戸神社にも、阿彦が祀られているのか? と思ったのですが、違いました(汗)

その昔、尾張の国はのちの尾張氏となる海人氏ともう一つの勢力が支配していました。
海人氏は大和朝廷にさからわず、婚姻による関係を結び勢力を強化していきます。

尾張氏の祖神は天香久山命とされているので、尾張戸神社では祖神として天香久山命を祭神として祀っているのでしょう。

越を平定、開拓した人物ということで、 天香久山命が弥彦神社に祀られているのなら、新潟県だけではなく、北陸三県にも天香久山命を祀る神社があってもいいような気がするのですが、富山、福井では「天香語山命」「天香山命」といった神名のご祭神はみられますが、弥彦神社と同じ天香久山命という神名のご祭神は見つけることができませんでした。

小千谷の魚沼神社のように、阿彦を祀るときは、天香久山命とともに祀らなければいけない理由があるのでは? と想像してみました。

天香久山命(表)、阿彦(裏)とか。

「天香久山命」と朝廷に討たれた阿彦も神として祭ることで、陰陽合わせて、越の守護を願ったのかも?
もう少し調べないとわからないですね。 天香久山命と阿彦について追っていこうと思います。




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