尾瀬
2025年9月15日月曜日
2025年9月14日日曜日
2025年9月13日土曜日
2024年12月12日木曜日
祇園閣が山鉾の形になった理由(その1)
喜八郎がリクエストした「漏斗状になった傘の形」の建物
祇園閣の設計を忠太に依頼したとき喜八郎は『漏斗状になった傘の形』をした建物を建てて欲しいと要望したそうです。
これを受けて忠太は傘が逆さになった建物のスケッチを描き大倉喜八郎に見せたのですが採用とならず、その後改めて喜八郎から『祇園祭の山鉾の形』の建物というリクエストを受け、山鉾をモチーフにした建物を描いたというエピソードがあります。
大倉喜八郎が『漏斗状になった傘の形』の建物を伊東忠太にリクエストしたのは理由がありました。
当時のことを忠太は喜八郎の追悼文集「鶴翁餘影」で次のように書いています。
大倉翁から電話で呼び出され向島の別邸に行くと、翁は握手をしたのち次のような空前絶後の注文を提出した。
『或る雨風の日に、私の傘が風に捲かれて、漏斗状に上向きに反轉した。その形が如何にも面白かったので忘れ難い。その形をその儘建築にして造って貰い度い』
その後、時日を経て忠太は再び向島別邸に呼ばれ喜八郎から
『京都の眞葛ケ原に小さい別荘を建てようと思ふ。その敷地内に祇園の鉾の形をそのまま建築化したものを造って貰い度い』
そのとき、喜八郎は「寫眞、畫帳等を取り出されて熱心に鉾の形式を説明された」と忠太は書いています。そして「これならば物になるという自信が湧いたので即座に快諾した」と続けています。
参考:『鶴翁餘影』昭和4(1929)年発行
山鉾の形の祇園閣のエスキースも、洋傘が逆さになった形の祇園閣のエスキースも日本建築学会 デジタルアーカイブス伊東忠太資料【野帳40】の1ページに並ぶような形で掲載されていますが、同資料【古写真 国内建築写真など】の中に祇園祭りの山鉾写真も掲載されています。
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2024年7月12日 撮影 祇園祭山鉾惹き始め(前祭)菊水鉾 |
『鶴翁餘影』で忠太が書いていた「喜八郎が鉾の形式を説明するときに見せた寫眞(写真)」とデジタルアーカイブス【古写真 国内建築写真など】に掲載されている写真が同じ物だとしたら、喜八郎の持っていた写真だとしたら――なんていう想像をしてしまいました。
漏斗状になったのは和傘か洋傘か
そもそも喜八郎が「漏斗状になった傘の形」を見たのがいつなのか? 【上京する前の郷里にいたとき】とか【子どもの頃お使いにいったとき風の強い土手で】といった話が書かれているのを見ますが『鶴翁餘影』内の忠太が書いた文には、その辺のこと、傘の種類についても触れていません。
洋傘は幕末より前に日本に持ち込まれていたようですが、一般に普及しはじめたのは明治文明開化の頃。
もし「漏斗状の傘」の話が喜八郎が郷里にいるときの話だとしたら、喜八郎が上京したのが嘉永7(1854)年、江戸時代幕末なので洋傘はまだ普及していません。
※鶴友会発行「大倉鶴彦翁」には、安政元年10月頃と記されています。年号嘉永は嘉永7年の11月27日に安政に改元される。
ここで、ひとつ推測してみたのですが、喜八郎が江戸に行く途中に洋傘を持っている人を見つけて、その人の洋傘が風にあおられて漏斗状になり、それが旅立ちの思い出として鮮明に記憶に残って、年齢を重ねてから出立の決意を建物の形として残そうとした――という想像をしてしまいました(本日の想像Ⅱ)。
喜八郎が上京を決意して実行した時期は、嘉永6(1853)年ペリー率いる艦隊が浦賀沖に来航し、嘉永7(1854)年に日米和親条約が締結されるなど、日本国内が大きく変わりはじめたとき。
参考:日本洋傘振興協議会「洋傘の歴史」
では、上京する途中で洋傘を目にするような機会はあるか? と考えると新発田から新潟町へ出て江戸に向かったのなら、北前船の寄港地として栄えて賑わっていた新潟湊や全国屈指で祇園、新橋と並び称されていた古町花街で洋傘をさしている人が歩いていたかも――という想像をしてしまいました(本日の想像Ⅲ)。
そこで、古町芸妓さんを描いた浮世絵や写真の中に洋傘をさしているものがあるかも? と思って探してみましたが……洋傘を持っている古町芸妓さんの浮世絵や写真はありましたが明治以降の作品でした。
参考:豊原国周「戀湊女浪立田」明治8(1875)年
ただ、喜八郎が新発田から新潟町に出て江戸に向かったという想像Ⅲは正解でした。喜八郎のお姉さんが新潟町に嫁いでいて、そこに立ち寄ってから江戸に向かったという記述を見つけました(喜八郎上京いついてはまた後日)。
2024年8月23日金曜日
北アルプス伝言板
有明山がはちまきをすると雨となる
常念岳に朝日があたるとその日は晴
雲が少しもなくて穂高から白馬岳まではっきり見えるとき、近いうちに天気が変わる
梓川の音がとどろくときは、すぐ雨になる
穂高に虹が立つと晴れる
常念の峰だけ出て雲が帯のように引くと雨に
穂高が間近に見えると雨が降る
12時前にやんだ雨は次の日また降り出す
朝雨は天気になる
2024年6月17日月曜日
2024年6月5日水曜日
柳絮(リュウジョ)とは
柳絮(リュウジョ)
5月中旬、東大寺を訪れた知人が、大仏殿にフワフワ埃のような物が舞っていて気になったというので、フワフワしたものが何か調べてみました。
東大寺の境内(大湯屋)に丸葉柳(アカメヤナギ)という柳があり、春(初夏)に種子を包んだ白い綿毛、柳絮を飛ばすのだそうです。
大仏殿の参道にもアカメヤナギ(保存樹の説明板に書かれている名称。Wikipediaでは丸葉柳の別名としてアカメヤナギと表記)があります。
新緑の中、白い柳絮が舞っている動画が東大寺公式SNSにアップされていました。
動画もいいですが、小説家・田山録弥の『花二三ヶ所』に柳絮を描いた(以下の)美しい一説があります。
もう一つ春の花の印象として忘れられないのは、北京の郊外の玉泉山のあの天下第一泉の碑の立つてゐるところで、柳の花の飛ぶのを見たことであつた。
柳絮雪の如しとか、柳絮満天に飛ぶとかよく言つてゐるが、それを眼にしない中は、私は例の支那人の誇張癖とばかり思つてゐたのである。
それにしても、その美しさは! そののどかさは! 丸で粉雪か何ぞのやうに池の上に千点万点落ちて来るさまは!
それにあたりには蛙が頻りに鳴いてゐる。池には天下第一泉の清い水が滾々として湧き出してゐる。日は麗かに照つてゐる。実際、唐扇にでも書いてありさうなシインであつたのを記憶してゐる。
【引用:田山録弥『花二三ヶ所』】
東大寺は大湯屋の丸葉柳から舞う柳絮が風物詩のようですが、シダレヤナギをはじめとしていろいろな種類の柳があり、初夏にはあちこちで果穂がはじけて種を包んだ綿毛が飛んでいく様子が見られるそうです。
知人は柳絮を埃と思っていましたが、私も今までタンポポの綿毛? と思っていたものが柳絮だったかもしれない……。
今度フワフワするものを見たらケサランパサランかも!? などと思わずよくよく確認しよう。
上高地のネイチャーガイドファイブセンスさんのブログに
柳絮を見て柳の種類を見分けることができるか? という記事が掲載されていました。
上高地でも柳絮は初夏の風物詩とのことです。
7月、8月が楽しみですね。
2024年5月20日月曜日
づくし
昨年は筍がでない年だったけれど、今年2024年は筍が豊作とのこと。
筍には裏年と表年があって、出る年と出ない年が1年ごとに繰り返すそうです。
筍というと、モウソウチク(孟宗竹)が一般的ですが、今日アップしたイラストに描かれているのは、チシマザサ(千島笹)。
標高の高い山地に多く育つ植物で、雪の重みで根元が曲がる、根元が土から斜めに生えているから、ネマガリタケ(根曲がり竹)とも(私はネマガリタケとして認識していました)呼ばれています。
とよじいも「根曲がり竹の子」と書いていますね。
さて、先日モウソウチクの筍を2本頂戴したので、いろいろな料理を作りました。
1日目、筍ご飯と味噌汁。
2日目、プラスでうま煮。
夜、朝、昼と筍づくしを美味しくいただいておりましたが、昼餉の後に急なめまいが……。
寒気と吐き気とめまいがして横になって、その後朝まで……。
翌朝には不調は治っていたのですが、めまいがしたときに、何となく考えていたことがあります。
それは……「もしかして、筍食べすぎた?」
後日ネット検索しましたら、やはり食べ過ぎはよくないという記事が多々見つかりました。
体質や体調にもよるのでしょうが、
過ぎたるは猶及ばざるが如し、中庸が大切……食材は適量が大切。
美味しくても「づくし」は注意と痛感しました。
とはいえ、実は今年2回目のづくし症状。
1回目の食材と様子はまた別の機会に……。
筍について【参考】サイト:農林水産省 aff03 March 2021号
2024年3月18日月曜日
2024年3月4日月曜日
春先花 冬花
尾根の雪も落ち、雑木が多く出て、笹の緑やマンサクが満開に近い。
雪をひろって登ると、進む先にピッピッピーと小鳥たちの声。
足を止めて見ると、マンサクの花をついばんでいる。
小動物にもうれしい春近しか。
(かわりに兎がいない)
2006年3月27日 スケッチ
2024年3月3日日曜日
山のスケッチ展
山のスケッチ展
友人夫妻や所属していたハイクカタッコ会員諸氏との山行時の記録的な絵日記・スケッチ(水彩)絵を展示しています。
御笑覧いただければ幸いです。
期日:3月1日(金)~26日(火)
3月3日
越後うらさの毘沙門さまは
国の宝よ福の神サ
三月三日の深雪の中で
裸はだしの押合い祭り
ハア、サンヨ、サンヨ、サンヨ、サンヨー
越後浦佐 毘沙門堂裸押合大祭
令和2年度より開催日は3月第1土曜日に変更となっています。
令和6年度は3月2日(土)に開催されました。
今シーズンは積雪が少なく、3月1日(金)には根雪がなく土が出て、春のようでした。
1日2日の深夜から雪が降り始め、2日には地面が茶色から白へと変わり。
深雪の中で、裸はだしの押合い祭り
サンヨ、サンヨ。
2023年12月16日土曜日
2023年7月20日木曜日
2023年7月7日金曜日
2023年7月5日水曜日
南部トラノオと早池峰
無理をして来た。
良かった……昨日の山、岩手・焼石岳の水と花。
本日(多分昨日になる)早池峰岳、快晴。
花と岩肌を登る。
三時間はふっと、鳥海を思い、利尻を、そして尾瀬と。
今度は貴方の思い出を作る為に出行しましょう。
又ね……。
南部トラノオと早池峰
平成6年7月16日
2023年7月3日月曜日
2023年7月2日日曜日
みちのく山行2日目も一日晴天
早池峰山 小田越
平成6年7月16日
河原坊からの正面コースも急登で長いと思ったが、帰路の(小田越)コースも長い、そして暑い。
みちのく山行2日目も一日晴天。
初日、岩手に着いた時から梅雨が明けた。
明日も晴れそう。
登山メモ:早池峰山(1917m) 岩手県
2023年7月1日土曜日
2023年6月29日木曜日
富士を絵にするなどと言う事が無理なのだ
大菩薩より富士
平成3年2月17日
昨日の富士は美しかった(中央高速道)が、登るにつれて風にのって雲が来て、富士の頭をつつんで澄んだ姿はみられない。
無理に眼で絵にするが?
富士を絵にするなどと言う事がむりなのだ。
登山の一ページとしておく。
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今日のイラストは「シラタマノキ」です。 ツツジ科の常緑小低木で、白い実をつけます。 似ているもので「雪晃木」という植物もあります。 宮城県、秋田県、岩手県の3県またがる栗駒山(標高1626m)の周辺には「シラタマノキ湿原」があり、シラタマノキが保護されているそう...
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大倉喜八郎の京都別邸「眞葛荘」敷地内に建てられた「祇園閣」。楼閣が今の祇園祭山鉾の形に落ち着くまでには、設計者・伊東忠太と喜八郎の対話が何度かあったようです。 奈良国立博物館 収蔵 十二神将立像 今日の写真は、奈良国立博物館収蔵の十二神将立像です。 なぜ、この写真か? というのは...