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2018年12月12日水曜日

12月12日 泥棒よけのお札 【八海山神社火渡りのイラスト】

八海山神社火渡り
12月12日は「山の神の日」として、過去に記事を書いてきました。
山の神について

12月12日は山の神の日なので、山に入らない方がいいというのが習わし。

12という数字が神聖なもので、山の神が出産する日でもあるので、マタギの人たちは12日を山の神の日として、入山を禁止していたそうです。

一年に12回ある12日も、
12月12日は「しまいの山の日」として、神聖な日とされています。
※ちなみに、1月12日は「はじまりの山の日」として、こちらも、神聖な日です。

さて、12月12日。

京都や大阪では、玄関や勝手口に「12月12日」と書いた紙を逆さにはると、泥棒が入らないという言い伝えがあるようです。

12歳の子どもにお札を書いてもらうといい。12月12日生まれの人に書いてもらうといい。
など、風習がいろいろあるようです。

なんでも、12月12日は天下の大泥棒、石川五右衛門が釜ゆでにされた日だから。
もしくは、石川五右衛門が生れた日だから。

12月12日と書くのだそうです。

山の神と、石川五右衛門。泥棒除け。

12月12日。極まる数字の12を昔から大切にしてきたのですね。

2017年1月16日月曜日

八海山信仰と十二山神社の関係性 八海山のイラスト

Mt.Hakkaisan


こんにちは、魚沼工房さとうです。

今日のイラストは、大力山から望む「八海山」です。


先日「山の神の日はなぜ12日なのか?
この中で、魚沼地方に十二山神社が多く、その理由は八海山と八海山を訪れた修験者が関係していると書きました。

南魚沼地方に位置する「八海山」は、木曾御嶽信仰の霊山です。
「なんで、木曾御嶽?」と思われますよね。

それは!

八海山を開山したのが、木曾御嶽山を開山した普寛だからです。
八海山麓に住んでいた泰賢を弟子にして、一緒に八海山を開山したと言います。

808年に空海が登り、8つの池があったので八海山と名付けたという伝承もあります。

この八海山の本地仏は薬師如来ですが、木曾御嶽信仰の霊山ともされていて、
八海山大頭羅神王が鎮座する山としても信仰されています。

行者の活動にともない、八海山が霊山として人々の間に広まり、
山の麓にある神社も増えて行きます。

東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科、菊池章太教授の研究レポート「十二山ノ神の信仰と祖霊観」に、なぜ「十二」なのかという考察が書かれています。

十二山ノ神は薬師如来の眷属である十二神将や、熊野十二所権現と関係があるのではないか、という説があるそうです。ここに、行者や修験者たちが関わっているのではないかと、先生は推測されています。

八海山の本地仏は薬師如来。薬師如来の眷属は十二神将。
行者が八海山信仰を広めた。

そして、新潟県には十二山神社、十二神社が多い。


木曾御嶽山信仰では、霊神碑という石の石碑を建てる習俗があります。
亡くなった方の霊神碑を建立するのですが、この際、霊神号というものが与えられます。

八海山にも、この霊神碑が多く見られますよ。
霊神碑には、霊神名が刻まれていますが、建立者の氏名や出身地が彫り込まれていることがあるそうです。
建立者の出身地は様々で、新潟県以外の人や長岡市周辺や上越、新潟市という文字も見られます。
このことから、八海山信仰が、新潟県内外に広まっているということがわかります。

菊池先生は、自然災害の多い土地は、山ノ神を祀り、祭礼の際に唱えごとをしていたとおっしゃっています。
祭礼の際に、厄除けの呪言が目立っていて、そこに、修験者が関与しているのではないかというのです。

八海山信仰と十二山神社の流れ、関係性がありそうですね。

菊池先生は
「十二というのは具体的な数を意味するのではなく、むしろ極まった数の観念として神威の大きさを表しているようにも思える」と書かれています。

人々が昔から、自然を恐れ敬っていたことが、極まった数である十二という数字に表れているのかもしれませんね。

2017年1月13日金曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 山の神の日はなぜ12日なのか?

越後駒ヶ岳

こんにちは、魚沼工房のさとうです。
いやぁ、ガッツリ雪が降りましたね。
先週の雪見展のときは、積雪がほとんどなかったのですが、ここ1日~2日で1m超えの積雪。ビックリです。

今日のイラストは、黒禿の頭ルートから望む「越後駒ヶ岳」です。
黒禿の頭ルートって……すごい名前ですよね。
黒禿の頭は魚沼市の旧小出町にある772mの山です。

さて、昨日は山の神の日でしたね。
12月12日も山の神の日ですが、1月12日も山の神の日。

山の神に関する記事はこちら。

12月12日は、山の神の日
大山祇神の元に送り返された磐長姫はどうしたのでしょうか?


その土地土地により、山の神の日が違っているようですね。

ただ「12日」という日にちがキーになっています。
なぜ、山の神の日は12日なのか?
「12」という数字にどのような意味があるのか?

じつは、昨日の記事で上田銀山について書いたのですが、銀山の採鉱がスタートした後、
採掘場付近に十二山神社が設けられたそうです。

ちなみに、樹海ラインから銀山に向かう途中、上折立付近にある十二山神社には、坑道で事故にあった方々の供養塔があるそうです。

この、十二山神社(もしくは、十二神社)は全国各地に存在しているようですが(600余)
そのうちの70%が新潟県に存在しているということです。
ちなみに、新潟県は日本で一番、神社の数が多い県です。

新潟県でもとくに、魚沼地方に十二山神社は多く存在していると言います。
近世になって合併などで名前は変わったけれど、元は十二山神社だったという神社もあるそうです。
明神社、権現社、諏訪神社に合祀されたようですね。

十二山神社は「山」の文字がつくことからもわかるように、山の神を祀っています。
十二山神社が存在する場所も、山の麓がほとんどです。

ではなぜ、十二という数字がでてくるのか?

岩手県九戸郡山形村には「山の神は女性で、一年に十二の子を産む」という伝承が残っています。
この、子どもを産む日が毎月12日と決まっているといいます。

山の神が出産する日が「12日」であるため、狩猟をおこなうマタギの人たちは
12日を山の神の日として、信奉し入山を禁止していたそうです。

12月12日は、一年のうちの「しまいの山の日」。
 1月12日は、一年のうちの「はじまりの山の日」として、山の神の日のなかでも、神聖な日なのです。
山小屋などで十二人が座すのはよくないとして、木の人形を作って山中の祠に置いておくという風習もあるようですよ。

1月12日は、山の神に12個の餅を備えるそうです。
ただし、おさがりの餅を女性は食べてはいけないと言います。
子どもが授からなかったり、不作になったりするからだそうです。
その日(12日)以外に、食べると多産や豊作に恵まれるそうですよ♪

しかしなぜ「12」という数字が神聖な日とされたのでしょうか?

一年十二カ月、十二支、十二神将……。

魚沼地方で十二山神社が多い理由としては、八海山と八海山を訪れた修験者が関係しているようですよ。
山の神の日が12日というのも、修験者に関係があるようです。

長くなったので、今日はここまで(話を引っ張るよぉ~♪)続きは後日。

2016年12月25日日曜日

武田信玄は山の神だったのか…… 日陰ツヅジのイラスト 




今日のイラストは「日陰ツツジ」です。




そしてまた、一見すると関係のないような武田信玄をタイトルにもってくる。



大きな風呂敷をタイトルでひろげるわけですが、あきれず最後までお付き合いいただければと……。




ツツジの仲間で、淡い黄白色の花が特徴的です。開花時期は4月~5月。


山の崖や谷など、足場が悪く日当たりが悪い場所に咲くので「日陰」の名称がついたようですね。



ツツジというと、春のポカポカ陽気に咲く、美しい花というイメージがあります。


ピンク、赤、紫、オレンジと華やかな色の花が咲きます。



ツツジを感じで書くと「躑躅」。どくろ? と間違えそうです。私だけ?



なんで、こんな漢字に……と思って調べましたら。


躑躅⇒てきちょく。とも読むそうです。


進んでは止まるという意味があり、花の美しさに見る人が足を止めることから、
躑躅⇒ツツジと読むようになった説と。



もともとは、
躑躅の前に羊の文字がつく、羊躑躅と書き、ツツジの葉には毒があり、その葉を食べた羊が毒にやられて、足がフラフラして死んでしまう様子から、躑躅と書くようになったという説があります。



ツツジの花をとって、蜜を吸っていた覚えのある人、多いと思います。


葉には毒があるものがあるのですねぇ。こわこわ。



ツツジは農耕にも関係があり、古くは山にツツジが咲くと、農耕開始の合図とされていたようです。

この文章を書いていてフッと思い出したのですが、魚沼(小出)では5月に山の祭りがおこなわれていました。


今は「小出公園さくら・つつじまつり」ですが。



これ、山の神を里に迎える、農耕のお祭りの一環ではないかと?



4月8日や5月8日に、山に登りツツジや藤など季節の花をとってきて、竿の先につけて家や庭先に飾る、天道花の風習。


山から里へと、山の神様を迎えて農作物の加護を祈るお祭りです。


近畿や中国、四国地方の民族風習だと言います。



ツツジなどの花枝が憑代となって、神様がやどるわけです。



ちなみに、武田信玄の居城名にも躑躅の文字がつきます。


躑躅ヶ崎館。躑躅ヶ崎という尾根があり、そこに居城を構えたことが由来と言われています。


ただ、躑躅ヶ崎館内にはツツジはないそうです。



縁起をかついで、躑躅ケ崎を選んだのかなぁ、ツツジは縁起がいいのかなぁ、
と思って調べましたが、所以は見つかりませんでした。



躑躅は縁起木ではあるようですがね。



山の神のやどりぎとして躑躅が使われているから、躑躅にしたのかとも思ったのですが、
わかりませんでしたぁ~!



ただ、80年代に放送された大河ドラマ「武田信玄」では
信玄が亡くなったとき、その死を知った織田信長が
「そうか死んだか……山の神、武田信玄」と言った(セリフで)ようです。



信玄が甲斐の土地の山の神であり、躑躅という名のつく居城が憑代であったのかもしれませんね。



お役目を終え、12月の山の神の日に、信玄も山に帰っていったのかもしれません……。



うまくまとまった! ような気がする……。

2016年12月13日火曜日

辰のイラスト 山々の神





今日のイラストは、2012年の十二支、辰です。



2016年は申だし、2017年は酉だし、なぜ辰? と思われますよね。

話しを引っ張らせていただきます。辰→龍と覚えておいてくださいね。



11日は、山の神のお話を綴りました。 >> 12月12日は、山の神の日

その中で、磐長姫のことを書きましたが、瓊々杵尊から大山祇神の元に送り返された磐長姫はどうしたのでしょうか?



じつは!


京都の貴船神社にお静まりになったのです。 


「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」

出典:貴船神社




そのように言われて、磐長姫は貴船神社の結社(ゆいのやしろ)に、男女の縁を結ぶ神として鎮座されたのです。



平安時代の歌人・和泉式部が夫の心変わりに悩み、結社に参詣し和歌を捧げたところ、願いがかなったといいます。


今夏、貴船神社に参拝し、イワ姫のお社にもおうかがいさせていただきましたが、イワ姫のお社とはわからずに参拝しておりました(汗)イワ姫、失礼いたしました。



自然に包まれた貴船神社は、とっても居心地がよかったです。

子どもたちは「魚沼と似ているねぇ~」と言っていました。




貴船神社 連理の杉と末社・日吉社

貴船は氣が生まれる根源の地で、御神氣に触れられる土地のようですね。


本殿の下には「龍穴」と呼ばれる穴があいていて、日本三代龍穴のうちのひとつです。

龍穴は神聖なものであるため、誰も見ることが許されないと言います。



さぁ、引っ張りましたが、ここで「龍」がでてきました。
ということで、今日のイラストは龍をアップいたしました!



話しを日本三代龍穴に戻します。


貴船の龍穴のほかの2つはどこか。


それは……また今度。



うそです。



奈良県の室井龍穴神社奥宮と、備前の龍穴です。


風水だと、龍脈を通じてエネルギーが流れ、そのエネルギーが溜まる場所を龍穴と言い、繁栄される土地のことを示しています。


日本国内の大きな龍穴には、お社が鎮座しているようですよ。中央構造線沿いの龍穴がある場所には、神社や仏閣があるという話も。真偽のほどはわかりませんが……。


ヒネクレタ思考としては、穴があいていたり、近付くと危ないから人が近付かないようにお社を建てたなどと考えてしまいます。



自然を敬う古人の心、自然の神秘ですね。



さて、2017年カレンダー 1月 越後駒ヶ岳のイラストで越後駒ヶ岳の明神峠についてご紹介しましたが、駒ノ湯方面の分岐点に「大明神」と掲げられた小屋が立っています。


こちら、御祭神は木花咲耶姫です!



そして、2017年カレンダー 2月 八海山のイラストで紹介した八海山。


大崎登山口近くにある八海山尊神社には、瓊々杵尊、木花咲耶姫、大山祇尊が祀られています。

おやおや。イワ姫だけ仲間外れですね……なぜでしょう?



ところで、wiki先生によりますと、大山祇尊を祀る神社は、全国で新潟県が一番多いそうです。



越後駒ヶ岳、八海山とくれば……越後三山の中ノ岳が気になるところです。

はい、2017年カレンダーとしてアップしております。


 >>2017年カレンダー 10月 中ノ岳のイラスト


中ノ岳には、御嶽山大神国常立尊が祀られています。



神様登山マップを作ったら面白そうですね。レイラインとかが出てきたりして~。いやいや。


そういえば、中ノ岳の御祭神の御嶽山大神って聞いたことがないですが……?


調べてみましょうかね。

貴船神社 水占みくじを結ぶ場所付近にいらしたカエルさん

2016年12月11日日曜日

カジカのイラスト 12月12日は山の神の日




今日のイラストは「鰍(かじか)」です。カサゴ目カジカ科に属する魚で、川に生息する魚です。この、カサゴ目というのを覚えておいてくださいねぇ。



さて、明日12月12日は山の神の日です。


山に住む神様が、自分のテリトリーである山の木をカウントする日と言われていて、山に入ることが禁止されている日です。


木の1本として数えられ、山から帰ってこれない、木の下敷きになるなどいいます。


林業に携わる方の中には、12月12日(一部では1月12日)には、山での作業を行わないという風習があります。

★山の神と数字「12」に関する謎についての記事山の神


山の神様は、女神様だと言われています。


嫉妬深く、美しい女性が嫌いなので、女性が山に入ることを嫌います。
美女が山に入ると、山の天候が荒れると言われています。
また、カップルで山の神社にお参りすると別れるとか、様々な言い伝えがありますよね。



山の神様が美女を嫌うというのは、どうやらイザナギ神とイザナミ神の間に生まれた、大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)のお姉さんである、磐長姫(いわながひめ)のお話に由来しているようなのです。



大山祇神が天照大神のお孫さんである瓊々杵尊(ににぎ)神に、木花開耶姫と磐長姫を「お嫁にもらってください」と言ったのですが、瓊々杵尊は美しい木花開耶姫をめとり、磐長姫を追い返してしまったのです。


理由は、磐長姫が美しくなかったからということ……。



その後、木花開耶姫は一夜で身ごもるのですが、瓊々杵尊は「子どもは自分の子どもではないのではないか?」と疑います。



神様のことを悪く言うのもなんですが……なかなかに、酷い男性だと思います……。


神話ですからね、いろいろな事情や(なんの事情だ!?)描写の転換などがあるのでしょう。



疑われた木花開耶姫。潔白を証明するため、産屋に入り火を放って、その中で3柱の子を無事に出産します。


この逸話から、木花開耶姫は噴火を鎮めるため、富士山本宮浅間大社に祀られたと言われています。安産の神様でもあり、子育ての神様でもあります。



木花開耶姫のお名前は「花が咲くように美しい女性」という意味があり、花は桜とされていますね。
富士山山頂から日本中に桜を蒔いたということも聞いたことがあります。



さて、大山祇神の元に送り返された磐長姫。


大山祇神は子孫の命が岩の様に永遠のものになるように磐長姫を、花のように繁栄するように木花開耶姫をという意味で二人の姉妹を瓊々杵尊の元に嫁がせたのですが……。


磐長姫を送り返したので、瓊々杵尊の寿命は短くなってしまったといいます。



美しくないということで、実家に帰されてしまった磐長姫。


ここから、山の神である女神は美女を嫌うという話に繋がるようなのです。



マタギの方も、山の神は女神として信仰していて、醜いオコゼを供物として供えると喜ぶとされていて、オコゼの干物を持って山に入ったそうです。



なつかしのアニメ「まんが日本昔ばなし」でも、オコゼと山の神の物語が描かれています。



さあ、みなさん。


今日のイラストは「鰍(かじか)」で、カサゴ目ということを覚えておいてくださいとお伝えしました。


それはなぜか……じつは!



海の魚ではありますが、オコゼはカサゴ目フサカサゴ科。鰍と同じカサゴ目なのです!


カサゴ目カジカ目とも呼ばれるようですよ。


おあとがよろしいようで(汗)。



みなさん、明日12月12日はくれぐれも、山に入らないように。


山の神に、木として数えられてしまいますからね。