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米山の山野草 |
今日のイラストは新潟県の上越市と柏崎市の境にある標高993mの米山に咲く山野草。
伊東忠太の残した資料
一般財団法人日本建築学会のアーカイブ検索内、建築博物館デジタルアーカイブス・伊東忠太資料に、伊東忠太が書いた日記や書簡、古写真などが掲載されています。
これは、平成8(1996)年に伊東忠太のご遺族から寄贈された貴重資料を、整備委員会の方々が数年かけて調査整理作業を行い、データ化して閲覧利用できるようにしたものです。
資料の内容は
・野帳:明治27(1894)年頃~昭和22(1947)年頃にかけて、調査旅行の記録やスケッチ、建築作品の下絵、日 常記録などメモとして書かれたノート74冊
・葉書絵:大正3(1914)7年~昭和25(1950)年にかけて、伊東忠太が描いた絵葉書3717枚。
※そのうち、500枚が『阿修羅帳』として出版されています。
・うきよの旅:明治22(1889)年~明治26(1893)年の東京帝都大学工学部造家学科在籍時の日記。
・忠太自画傳,怪奇図案集甲,修学旅行記:単体で存在する記録や漫画。
・法隆寺関係資料:法隆寺に関するスケッチや写真、メモなど。
・書簡(リンクなし):お手紙。
・古写真:国内外の調査で撮影した古社寺や遺跡など。
・拓本:石碑から採取したもの。
・地図:国内外の地図類。
・スケッチ,下絵,書類:上杉神社再建や法隆寺などの図面ほか。印刷や複製が混在する。
・書類
という11の内訳で構成され掲載されています。
総資料数は8969点とのことで、最初の【野帳】は75項目(55欠番)にわかれていて、1項目ごとに伊藤忠太が記載したノート数十ページ(PDF)が掲載されています。
野帳33に描かれていた、米山のスケッチ
伊東忠太の野帳に、大倉喜八郎の京都にある別荘『眞葛荘』地内に作られた祇園閣の構想スケッチが描かれているというので、野帳を検索してみました。
大倉喜八郎は祇園閣を作るとき、伊東忠太に『傘が逆さになった(おちょこ)形』の建物を、という要望を出したそうです。
本当に傘が逆さになった建物を忠太が描いています。
※野帳40に収録されています
どうして、傘が逆さの建物をリクエストしたのか、というのは理由があったそうですが、そのお話しは後日……。
この、洋傘を逆さにした建物のイラストを見たくて、伊東忠太の野帳をずっと見ていましたら、
野帳33 福井、石川、富山、新潟、兵庫、高知、京都、奈良、滋賀
明治33(1900)年3月~8月にかけて行われた北陸調査(福井・石川・富山・新潟)で伊東忠太が描いた新潟県の米山のスケッチを見つけました。4月24日の日付で【柏崎より米山を望む】と。
これは、伊東忠太が内務省古社寺調査で日本各地を旅している時のフィールドノートに描かれたもの。
そして、内務省古社寺調査が、彌彦神社と普光寺毘沙門堂に関連するキーワードなのですが、このお話しも後日……。
今日は米山が主役。
新潟県の上越市と柏崎市の境にある標高993mの米山は、日本海を航海する船の目印とされてきた霊峰。
じつは、先日の、フォッサマグナの東側【新発田小出構造線】で紹介した谷文晁も米山を描いていて、文化9(1812)年に発行された全国から90の山を選んで刊行された『日本名山図会』に載っています。※こちらは以下の図書データベースで見ることができます。
見ている方向が違うのか、谷文晁の米山と伊東忠太の米山とでは、山裾の広がりが反対になっていて面白いです。
さて、伊東忠太の野帳。おちょこの祇園閣エスキースを探すために検索していて見つけたのは、米山スケッチだけではありませんでした。
なんと【新潟県における文化省古社寺調査らしき、社寺建築細部のスケッチ】が……つづく。