今日のイラストは「巻機山」です。
新潟県南魚沼市と群馬県みなかみ町とにまたがる、標高1967mの山です。
四季を通じて登れる山で、登山客に人気があり、リピーターが多いと言われています。
巻機山がなんで、中大兄皇子?
と思われましたよね。
今日のブログは、巻機山の名前について書いています。
巻(まき)の文字に「豊幡雲」という雲が関係しているのですが、
中大兄皇子が詠んだ歌に、豊幡雲という言葉が登場するのです。
ちょっと長くなりますが、よろしければ最後までお付き合いくださいね。
南魚沼市は昔から、織物が盛んでした。
地元の人々は、機織りや養蚕の神として、巻機山を崇拝していたのですね。
機を織る女神がいるとして、昔話や伝説も残されています。
巻機山の御祭神は「天満巻機千里姫」。
こちらの女神様、調べたのですがなかなかお姿を現してくださらない。
ただ、もしかすると、お名前が違っていて「天棚機姫命」なのではないかなと?
天照大神が天の岩戸に閉じこもったとき、誘い出すための文布を織った織物の神様です。七夕の織姫ですね。
他にも、機織りの女神様がいらっしゃいます。
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)です。
姫様たちのお名前がミックスされて「天満巻機千里姫」となったのかな?
機織りが盛んということで、機織りの神様を祭るので「機(ハタ)」の文字がついているのはわかりました。
では、巻機の「巻(マキ)」はどういう意味なのか?
山頂付近にたなびく豊幡雲(とよはたぐも)が山にまきついているように見えることから「巻(マキ)」の文字がつけられたという説もあります。
豊幡雲とは!?
ここで、また知らない言葉がでてきました……豊幡雲ってなんだ?
wiki先生は、皇居の宴会場である豊明殿の壁面に、つづれ織りによる豊幡雲の装飾があると言っています。
また、万葉集でも中大兄皇子(天智天皇)が詠んだ歌に豊旗雲がでてきます。
「海神(綿津海)の 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 清明己曾(さやけくありこそ)」
海神様が空に豊旗雲をたなびかせている、なんと美しい光景だろう。今夜の月もきっと美しいことであろうなぁ。
どうやら、この豊旗雲。近年までどのような雲かわかっていなかったようです。
が!
豊旗雲について、調べた方がいらっしゃいました!
伊藤亀雄さん。日本気象学会の機関誌「天気」に「考証豊旗雲」として豊旗雲の研究が掲載されています。
著者である伊藤さんは気象技術官養成所に所属していたそうです。
昭和2年、伊藤さんは筑波山の頂上で、気象学者の藤原咲平先生から
「あの雲を見なさい、あれはBand Cirrusと言って、天気の悪くなる前兆だよ」
と空になびく雲についての説明を受けたそうです。
Band Cirrus ⇒ 帯状絹雲です。
このとき、東から西にかけて、長い白雲が三条ほど棚引いていたと言います。
その後、伊藤さんは岐阜側候所の屋上から、帯状絹雲のスケッチをし続けました。
観測を行ってから、帯状絹雲が頻繁に現れることがわかったと言います。
帯状絹雲が現れてから、雨が降り出すまでの時間を観測。
結果、この雲が雨の前兆とは言えないとの結論に達しました。
ただ、雲のなびく方向に意味があることが分かったのです。
同じ帯状絹雲でも、その両端が収束して地平線に接する方向により、その後の雨が降るかどうかが違ってくる。
・西から北⇒降水確率高
・西南西⇒降水確率低
帯状絹雲には、晴兆のものと雨兆のものに別けられる。
これは、気圧の関係によるものということ。
晴兆が出現してから雨が降るのは、雷雨や寒冷前線の影響があることを突き止めました。
中大兄皇子が詠んだ歌にある「豊旗雲」は
「南西で地平線に接する帯状絹雲」ではないか……と伊藤さんは推測しました。
南西の帯状絹雲は、降水確率低。つまり、晴兆。
さらに伊藤さんは古文書を調べ、昔の人たちが帯状絹雲の晴兆と雨兆を見分ける観天望気の知識があったはずだという確信を得たのです。
ここで、中大兄皇子の歌を思い出してください。
「海神(綿津海)の 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 清明己曾(さやけくありこそ)」
中大兄皇子がこの歌を詠んだのは、軍勢を率いて戦いに向かおうとしている最中。
伊藤さんは、中大兄皇子の歌は「夜の月もきっと美しいことであろうなぁ」という願望の歌ではなく、天気予報であるとおっしゃっています。
夜の天候を予想し、軍に今宵も晴れる、我々には海神の加護がついている、ということを伝えたかったのかもしれませんね。
いやいや。大脱線しちゃいました!
巻機山にたなびく豊旗雲は帯状絹雲ということがわかりました。
帯状絹雲は気圧の関係で出現する雲のようですが。
巻機山には帯状絹雲がよく出るのかな? そして、天気の境目だったりするのかな?
巻機山は、機織りの女神様と天気の神様に守られている山ということなのでしょう。