今日のイラストは「日陰ツツジ」です。
そしてまた、一見すると関係のないような武田信玄をタイトルにもってくる。
大きな風呂敷をタイトルでひろげるわけですが、あきれず最後までお付き合いいただければと……。
ツツジの仲間で、淡い黄白色の花が特徴的です。開花時期は4月~5月。
山の崖や谷など、足場が悪く日当たりが悪い場所に咲くので「日陰」の名称がついたようですね。
ツツジというと、春のポカポカ陽気に咲く、美しい花というイメージがあります。
ピンク、赤、紫、オレンジと華やかな色の花が咲きます。
ツツジを感じで書くと「躑躅」。どくろ? と間違えそうです。私だけ?
なんで、こんな漢字に……と思って調べましたら。
躑躅⇒てきちょく。とも読むそうです。
進んでは止まるという意味があり、花の美しさに見る人が足を止めることから、
躑躅⇒ツツジと読むようになった説と。
もともとは、
躑躅の前に羊の文字がつく、羊躑躅と書き、ツツジの葉には毒があり、その葉を食べた羊が毒にやられて、足がフラフラして死んでしまう様子から、躑躅と書くようになったという説があります。
ツツジの花をとって、蜜を吸っていた覚えのある人、多いと思います。
葉には毒があるものがあるのですねぇ。こわこわ。
ツツジは農耕にも関係があり、古くは山にツツジが咲くと、農耕開始の合図とされていたようです。
この文章を書いていてフッと思い出したのですが、魚沼(小出)では5月に山の祭りがおこなわれていました。
今は「小出公園さくら・つつじまつり」ですが。
これ、山の神を里に迎える、農耕のお祭りの一環ではないかと?
4月8日や5月8日に、山に登りツツジや藤など季節の花をとってきて、竿の先につけて家や庭先に飾る、天道花の風習。
山から里へと、山の神様を迎えて農作物の加護を祈るお祭りです。
近畿や中国、四国地方の民族風習だと言います。
ツツジなどの花枝が憑代となって、神様がやどるわけです。
ちなみに、武田信玄の居城名にも躑躅の文字がつきます。
躑躅ヶ崎館。躑躅ヶ崎という尾根があり、そこに居城を構えたことが由来と言われています。
ただ、躑躅ヶ崎館内にはツツジはないそうです。
縁起をかついで、躑躅ケ崎を選んだのかなぁ、ツツジは縁起がいいのかなぁ、
と思って調べましたが、所以は見つかりませんでした。
躑躅は縁起木ではあるようですがね。
山の神のやどりぎとして躑躅が使われているから、躑躅にしたのかとも思ったのですが、
わかりませんでしたぁ~!
ただ、80年代に放送された大河ドラマ「武田信玄」では
信玄が亡くなったとき、その死を知った織田信長が
「そうか死んだか……山の神、武田信玄」と言った(セリフで)ようです。
信玄が甲斐の土地の山の神であり、躑躅という名のつく居城が憑代であったのかもしれませんね。
お役目を終え、12月の山の神の日に、信玄も山に帰っていったのかもしれません……。
うまくまとまった! ような気がする……。