作画年月日不明 普光寺内の大蝋燭
普光寺内の柱には4本の大蝋燭が設置されています
裸押し合い大祭では、多聞青年団が大蝋燭のそばにたち蝋燭を見守ります
大蝋燭は普光寺に置かれているので、大祭日以外でも見ることができますよ
伊東忠太の設計図も通路に展示されています
普光寺内の柱には4本の大蝋燭が設置されています
裸押し合い大祭では、多聞青年団が大蝋燭のそばにたち蝋燭を見守ります
大蝋燭は普光寺に置かれているので、大祭日以外でも見ることができますよ
伊東忠太の設計図も通路に展示されています
裸押し合い大祭開催時のスケッチ
令和2(2020)年より、裸押し合い大祭は開催日が3月第一土曜日になっています
令和8(2026)年は3月7日(土)開催 3月6日(金)から前夜祭が開催
詳しくは 越後浦佐普光寺「令和8年毘沙門堂の裸押し合い大祭行事について」
昨日紹介した折立「百八灯」のお祭りもそうですが、大祭を行うには事前もあり、片付けもあります
裸押し合い大祭も、1月から準備が始まり、厳格な儀式も行われています
大祭後は、毘沙門天をお清めする儀式があるそうです
背景を見ることの大切さを、普光寺の裸押し合い大祭から学ばせていただいております
普光寺、裸押し合い大祭
奥深く伝統ある大祭は、平成30(2018)年、国の無形民俗文化財に指定されています
![]() |
| 普光寺毘沙門堂 昭和61(1986)年スケッチ |
![]() |
| 普光寺山門(仁王門)正面から回廊方面 |
![]() |
| 普光寺山門(仁王門)正面 |
![]() |
今日のイラストは、普光寺の山門(回廊側から) 昭和60(1985)年3月3日のスケッチ |
![]() |
| 米山の山野草 |
![]() |
| 普光寺山門(仁王門)谷文晁 双龍図 |
![]() |
| 普光寺山門(仁王門)正面 |
山門の楼下天井の双龍図板絵は、関市四郎氏が親交のあった仏画師「板谷桂舟」に 筆労を依頼せんと、当町井口新左衛門をして天井板を江戸まで運ばせる途中、熊谷宿に宿泊。
たまたま同宿せる谷文晁師これを聞き、自ら筆を取りたき気持ちをおこし、新左衛門にその由を訴えたるも、新左衛門未だ文晁師を知らず、これを聞き入れざりしが、文晁師の願いしきりになるにより遂にこれを許したり
2023年『蔵春閣』が新潟県新発田市の東公園に移築されました。
蔵春閣は、東京の向島、隅田川沿いにある大倉喜八郎の別邸内に、政財界の人々や海外の賓客をもてなすための迎賓館として明治45年に建てられた建物です。
その後、向島から船橋へ移設。2012年~2013年に解体、大倉文化財団より新発田市へ寄贈。
2020年より移築着工。
2023年4月29日に一般公開されました。
蔵春閣で目をひくのは、室内の装飾。
大倉翁が蒐集した美術品や工芸品などがあちこちに使われ、建物そのものがまさに文化財。
なのですが、注目はそれだけではなく、建物の移築(修復・施工)をした大成建設さんの匠の技!
ここはあえて新発田市が紹介する蔵春閣のサイトではなく、大成建設さんの蔵春閣移築プロジェクトについてのサイトをリンクさせていただきます。
de'-TAISEI DESIGN WORKS2023 蔵春閣
蔵春閣や大倉翁については、こんかいこれくらいで。
別の機会にゆっくりまた。
今日の主は、京都にある大倉翁の別荘(別邸)。
その地にある祇園閣。
祇園祭りの山鉾をイメージして作られた祇園閣は銅閣寺という別名を持っています。
―屋根は銅板葺きであるが、これは大倉喜八郎が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作らせたためである―
引用:Wikipediaより
※今日のイラストは金閣寺(銅閣寺つながりで)
そして、祇園閣の設計を手がけたのが、建築家の伊東忠太。
平安神宮、明治神宮、大倉集古館など多くの作品を手がけているのですが。
実は蔵春閣を作るとき、大倉喜八郎は伊東忠太に意見を求めています。また、東京港区にある「大倉集古館」の設計も伊東忠太が手がけています。
さらに、新潟にも伊東忠太設計の建物があるのです……それは!
国の宝よ福の神サ
三月三日の深雪の中で
裸はだしの押合い祭り
ハア、サンヨ、サンヨ、サンヨ、サンヨー
越後浦佐 毘沙門堂裸押合大祭
令和2年度より開催日は3月第1土曜日に変更となっています。
令和6年度は3月2日(土)に開催されました。
今シーズンは積雪が少なく、3月1日(金)には根雪がなく土が出て、春のようでした。
1日2日の深夜から雪が降り始め、2日には地面が茶色から白へと変わり。
深雪の中で、裸はだしの押合い祭り
サンヨ、サンヨ。
南魚沼市 池田記念美術館で開催中(4/22~5/28)の特別公開展を見にいってきました。
浦佐毘沙門堂の楼門(天保2年 1831年に完成)二階にある天井画と板絵額が令和2年度から始まった修復作業を終え、寺外(池田記念美術館)で初公開されています。
展示後は楼門に再び戻されるそうですが、間近でじっくり見る機会は今後数百年はないとのこと! 撮影もOKでしたよ!
天井画に描かれた美しい天女と、板絵額に描かれた不思議な(個人的感想です)羅漢。
天女も羅漢も、美しい色のファッションとアクセサリーを身につけていて印象的でした。
※情けない感想で参考にならないと思います。気になったら池田記念美術館に見に行かれてください。
さらにさらに!
池田記念美術館さんで天井画と板絵額を展示している間、浦佐毘沙門堂の楼門(山門)二階も見学できます!
※楼門二階内は撮影禁止です。
楼門も見所まんさい!
天井画が外されているので、楼門の造りが見られるのですが、
建物内の造りや「すごい梁」は圧巻!
以前は地元の子ども達が楼門の二階で遊んでいたとガイドさんが教えてくれました。
天井梁にも昇っていたということで、木材の一箇所にチョークで記名がしてあるのを発見(見つけてね)。
楼門内には毘沙門天に仕える「28使者の像」が置かれていて、こちらも圧巻! 美の洪水です。
「28使者の像」の台座には、長岡藩主第9代牧野忠精の書が掘られています。
◆越後浦佐 普光寺 浦佐毘沙門堂 楼門二階見学会(見学会無料)
4月30日(日)
5月7日(日)
5月14日(日)
5月21日(日)
※いずれも10時~15時
毘沙門堂の楼門を見て、池田記念美術館に行って修復された天井画を見ると(逆ルートでも)
天井に画がはまったら、どんな空間になるのだろうか? とか、どうやって、天井画を楼門二階にあげるのだろうか? とか、想像が膨らみます。
楼門二階と池田記念美術館、両方見ると楽しいと思います。
楼門見学に行くと、池田記念美術館の割引券がもらえます。
あと、楼門の急な階段も!!
見所ではありますが、昇り降り、すごくすごく、気をつけてください。
![]() |
| 一村尾 太々神楽 |
![]() |
| 北川岸次銅像(浦佐毘沙門堂) |
北川岸次は天保七年(1836年)船ケ沢の小杉に生れ、安政元年(1854年)浦佐北川家に養子に入る。
幼少より手先器用にして工匠となり、毘沙門堂等に数々の偉作を残す。
明治五年(1872年)八色ヶ原開発を志し動力水車を考案す。
その模型を携え特許出願のため上京した折政府に懇望され、洋式建築、洋風家具の製作に携わる。
また、我が国初の人体解剖模型を完成。
さらに石膏蝋細工等の技術により医学研究分野に貢献す。
明治十五年(1882年)八月三日病死す。
享年四十七才。
昭和三年十一月十日(1928年)生前の功により贈従五位を受く。
![]() |
| 北川岸次銅像説明文 |
![]() |
| 渾天儀(国立科学館所蔵) |
八色原の開拓は戦前から何度も取り組まれたけれど成功することはなく、昭和53年にパイプ灌漑が完成。その後、用水路や耕作道などが整備された。
![]() |
| 平成の八色原 |
陸軍士官学校は「エラカ」の彫刻を都下の彫刻者に募るも、未だあらざれば能く刀を下す能はざるを以てなりと、君(岸次)之れに鷹じて曰く、我が技、稚拙なると雖(いえど)も、聊(いささ)か期する所あり、試みに之に當(あた)らんかと、細念深考遂に之を制作し、士官学校の用ゆる所となれり。
![]() |
| 東京模範商工品録表紙 |