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2020年9月16日水曜日

こちとらには池塘春草の夢、 梧の葉の秋風にちるを聞くまでは寧ろ醒めずにいつまでもいつまでも酔っていて、 算盤ずくで遊山する了見にはなりたくないもの



世は已に醒めたりとすましていられる人は兎も角、
こちとらには池塘春草の夢、
梧の葉の秋風にちるを聞くまでは寧ろ醒めずにいつまでもいつまでも酔っていて、
算盤ずくで遊山する了見にはなりたくないもの、
江戸ッ児の憧憬はここらにこそ存っておるはずであるのに……。

―柴田流星― 『残されたる江戸』より

2020年9月15日火曜日

枝折峠の嶺上を去ると荒沢岳が前面に現われて来る



枝折峠の嶺上を去ると荒沢岳が前面に現われて来る、
路は一方下りとなって駒と中ノ岳が右に残雪を光らしている、
峠を下り尽くすと銀山平の地となるのである

―高頭仁兵衛― 『平ヶ岳登攀記』より

2020年9月14日月曜日

銀山平や、 六十里越、 八十里越あたりの連山に眼を移せば、 旅にいて、 さらに旅心を唆られるのだ



破間川と魚野川の合流点の、
秋草に満ちた広い河原から南東を眺めた山々のただずまいはほんとうに美しく荘厳である。
八海山と駒ヶ岳に奥会津に近い中ヶ岳が三角の顔をだして、
山の涼しさを語っている。
銀山平や、
六十里越、
八十里越あたりの連山に眼を移せば、
旅にいて、
さらに旅心を唆られるのだ。

―佐藤垢石― 『瀞』より

2020年9月13日日曜日

秋は森羅万象が静寂の中に沈潜してゐる



秋は森羅万象が静寂の中に沈潜してゐる。
空は底深く澄み、
太陽は冷めて黄ばみ、
木の葉は薄く色づく、
野末を渉る風さへも足音を秘めて忍び寄る。
かゝる自然の環境の中に咲く秋草もまた自ら周囲に同化するのであらう。
かすかに伝ひよる衣ずれの音。
そこはかとなく心に染むそら薫もの。
たゆたひ勝ちにあはれを語る初更のさゝやき。
深くも恥らひつゝ秘むる情熱――
これらの秋は日本古典の物語に感ずる風趣である。

―岡本かの子― 『秋の七草に添へて』より

2020年9月12日土曜日

富士火山脈が信濃に入つて、 八ヶ岳となり、 蓼科山となり、 霧ヶ峰となり、 その末端が大小の丘陵となつて諏訪湖へ落ちる



富士火山脈が信濃に入つて、
八ヶ岳となり、
蓼科山となり、
霧ヶ峰となり、
その末端が大小の丘陵となつて諏訪湖へ落ちる。
その傾斜の最も低い所に私の村落がある。

―島木赤彦― 『諏訪湖湖畔冬の生活』より

2020年9月11日金曜日

蓼科山の彼方にぞ 年経るおろち棲むといへ


蓼科山の彼方にぞ
年経るおろち棲むといへ
月はろばろとうかび出で
八谷の奥も照らすかな

―伊良子清白― 『秋和の里』より

2020年9月10日木曜日

その十力の金剛石は春の風よりやわらかく、 ある時はまるくあるときは卵がたです。 霧より小さなつぶにもなれば、 そらとつちとをうずめもします



その十力の金剛石は春の風よりやわらかく、
ある時はまるくあるときは卵がたです。
霧より小さなつぶにもなれば、
そらとつちとをうずめもします。

―宮沢賢治― 『虹の絵の具皿』より

2020年9月9日水曜日

城の前の谷川に月の光がさして、 そして水が自然に静まる時があったら、 その卵を水鏡に写してごらんなさい。 夢の姿がはっきり見えてきます



城の前の谷川に月の光がさして、
そして水が自然に静まる時があったら、
その卵を水鏡に写してごらんなさい。
夢の姿がはっきり見えてきます。

―豊島与志雄― 『夢の卵』より

2020年9月8日火曜日

なぜか私は鬼灯の姿にひきつけられて暮してゐた



なぜか私は鬼灯の姿にひきつけられて暮してゐた。
どこか幼い時の記憶にありさうな、
夢の隙間がその狭い庭にありさうで……。

―原民喜― 『鬼灯図』より

2020年9月6日日曜日

燧岳は尾瀬に君臨する女王であると共に、 また尾瀬の生みの母でもある



燧岳は尾瀬に君臨する女王であると共に、
また尾瀬の生みの母でもある。
若し此山の噴出がなかったならば、
尾瀬沼も尾瀬ヶ原も出現することなく、
この勝地も恐らく名もない谷間の窪地たるに過ぎなかったであろう。

―木暮理太郎―

2020年9月5日土曜日

谷川岳は美しい山だ



谷川岳は美しい山だ。
私の故郷はあの山の向う側にあるので、
その往復に車窓から眺めながら、
季節々々にいつも美しい山の姿に見とれることが多かった。
とりわけ冬は美しいが、
それはあらゆる山がそうなのだろう。

―坂口安吾― 『我が人生観』より

2020年9月3日木曜日

末はどうでも お薬師さまよ せつぱ詰つた つないでお呉れ



願ひかけました
米山さまへ

縁をつないで
お呉れよとかけた

末はどうでも
お薬師さまよ

せつぱ詰つた
つないでお呉れ

帯で結んでも
切れる縁は切れる

どうせ米山も
お道楽薬師

切れるまでにも
つないでお呉れ

―野口雨情― 『道楽薬師』より

2020年9月1日火曜日

人がどう評価しようとも、 何をしたかかではなく、 何のためにそれをしたかが大切です。 悔いなくやり遂げることが大切だと思います。



人がどう評価しようとも、
何をしたかかではなく、
何のためにそれをしたかが大切です。
悔いなくやり遂げることが大切だと思います。

―映画『劔岳 点の記』より―

2020年8月31日月曜日

或は正保以前から「をぜ」の称があったかとも思われる、 けれども『会津風土記』以外には確たしかな記録がないのである


尾瀬の名は『会津風土記』に「小瀬峠 陸奥上野二州之界」または「小瀬沼 在会津郡伊南郷縦八里横三里」として載っているのが古書に見られる最初である。
この書は寛文六年に編纂されたもので、
これに先立つこと約二十年の『正保図』には、
「さかひ沼」と記してあるが「をぜ沼」とは書いてない。
或は正保以前から「をぜ」の称があったかとも思われる、
けれども『会津風土記』以外にはたしかな記録がないのである。

―木暮理太郎― 『尾瀬の昔と今』より

2020年8月29日土曜日

野生の菊花植物であることは確でも、 実物は何であるかを知り難いので、 専門家の研究に待つことにする



即ち『本草和名』及び『医心方』に従えばカハラオハギ、
『和名抄』はカハラヨモギ、
『新撰字鏡』はカラヨモギである。
狩谷棭斎は『箋注和名抄』にオハギはヨメナであると注しているが、
是等は原書を見れば孰れも菊の和名であって、
特に黄菊花に就ていえるものではないから、
野生の菊花植物であることは確でも、
実物は何であるかを知り難いので、
専門家の研究に待つことにする。

―木暮理太郎― 『マル及ムレについて』より

2020年8月28日金曜日

2020年8月27日木曜日

それは夏の午後のことで、 その日は南風気の風の無い日であった



それは夏の午後のことで、
その日は南風気の風の無い日であった。
白く燃える陽の下に、
草の葉も稲の葉も茗荷の葉も皆葉端を捲いて、
みょうに四辺がしんとなって見える中で、
きりぎりすのみが生のある者のようにあっちこっちで鳴いていた。

―田中貢太郎― 『雑木林の中』より

2020年8月26日水曜日

そのめざましい鬱金はあの待宵の花の色



そのめざましい鬱金はあの待宵の花の色、
いつぞや妹と植えたらば夜昼の境にまどろむ黄昏の女神の夢のようにほのぼのと咲いた。

―中勘助― 『折紙』より

2020年8月25日火曜日

ぐみの実、 草いちごの実、 おもひでがあまりに多い

 



いぬころぐさを活ける、
去年をすぐおもひだす、
おどり子草も咲いてゐる、
すぐまた一昨年のことをおもひだす。
……
ぐみの実、
草いちごの実、
おもひでがあまりに多い。

―種田山頭火― 『其中日記』より