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2018年6月7日木曜日

2018年カレンダー 6月 十文字小屋のイラスト

2018年6月のカレンダーイラストは「十文字(じゅうもんじ)小屋」です。
5月末から6月上旬にかけて、美しく咲き誇ったシャクナゲの花が小屋を訪れる人々を迎えてくれます。

十文字小屋は十文字峠(じゅうもんじとうげ)にある小屋です。

十文字峠とは、長野県南佐久郡川上村と埼玉県秩父市の境、奥秩父にある峠。標高1,962m。また中央分水嶺でもあり、埼玉県側は荒川、長野県側は千曲川の流域である。 埼玉県側斜面に、十文字小屋がある。
wikipediaより引用

「中央分水嶺」という言葉が出てきましたが、中央分水嶺とはなんでしょう?

中央分水嶺とは、中央分水界とも言われています。

雨が地上に降ったとき、山に降った雨は山頂から下り、川となり海に注がれます。
日本列島では、大きく分けて日本海と太平洋、このどちらかに雨が流れます。

どちらの海に向かうか、その境界が日本列島を南北に貫く「中央分水嶺(中央分水界)」となります。



日本山岳会が創立100周年を記念して、中央分水嶺の全区間踏破を企画。
三角点、山頂、峠などを歩いて確認を行ったそうです。

調査によると中央分水嶺は、十文字峠だけではなく野麦峠、発荷峠、石北峠など30もの峠を通過しています。

山の嶺を左右に分かれて雨が流れていくのがはっきり見えるというわけではないのかもしれませんが、そのような様子を見てみたい気もしますねぇ。

2018年5月17日木曜日

2018年カレンダー 5月 荒沢岳のイラスト

5月も中旬を過ぎてしまいましたが(汗)

2018年5月のカレンダーをアップします。

山は新潟県魚沼市にある「荒沢岳」(標高1969m)

銀山平に近く、日本二百名山に数えられる山です。

山頂からは、越後三山(八海山・駒ヶ岳・中ノ岳)平ヶ岳、守門岳、浅草岳、未丈ヶ岳、巻機山など魚沼に馴染みのある山々を見ることができます。

2018年3月5日月曜日

2018年2月16日金曜日

八海山 女人堂

Mt.Hakkaisan

今日のイラストは八海山、女人堂手前です。

八海山は古くから霊山として崇められている山です。

中臣鎌足がご神託をうけ、御室に祠をつくったと言われています。

その後、役行者小角や弘法大師が山頂で修行されたとも伝えられているそうです。

それにしても、豪華なメンバーだ。

豪華なメンバーが修行したということもあり、霊峰霊場として八海山信仰が展開され、多くの修行者が訪れました。

女人堂というのは、山岳信仰により女性が立ち入ってはいけないということで、女人堂よりも先は女性は登ることができませんでした。

【八海山を訪れた修験者の話⇒八海山信仰と十二山神社の関係性

霊峰 八海山 簡易MAP

八海山ロープウェーサイトに掲載されているMAPに女人堂の位置が書いてあるので、確認してみてください。

ロープウェーが4号目で、女人堂は6合目。
その先、薬師岳8号目、千本檜小屋9号目。
八ツ峰と続きます。

八ツ峰は何度みても、おっかねぇなぁ。と思います。

八海山が修験の山。霊山。というのがわかります。

しかし、とよじい。
イラストの日付が2月ですが、雪深いときによく八海山に行ったとおもいます。
関心、関心。

おっかねぇ(笑)

2018年2月10日土曜日

2018年カレンダー 2月 巻機山のイラスト


2018/02巻機山
Mt.Makihata
2018年2月のカレンダーです。
もう、2月も中旬になりますが(汗)

カレンダーのイラストは、南魚沼市と群馬県みなかみ町にまたがる、巻機山です。
標高1967mの巻機山は四季を通じて登れる山で、登山客に人気があり登山のリピーターが多いと言われています。

巻機山の名前の由来はこちら
中大兄皇子は気象予報士だった!? 巻機山のイラスト
で詳しく書きましたが、巻機山の御祭神は「天満巻機千里姫」。

山に機織りの女神がいるという昔話や伝説も残されています。

南魚沼市は昔から織物が盛んだったこともあり、地元の人々は巻機山を機織りや養蚕の神として崇拝しています。

そのほか、巻機山の山頂にたなびく豊幡雲(とよはたぐも)が山にまきついているように見えることから「巻(マキ)」の文字がつけられたという説もあります。

この、山頂に巻きつく雲。「豊幡雲(豊旗雲)」とはどのような雲なのか。

晴れを前兆か、雨の前兆か。

こちらも、巻機山の名前の由来で書かせていただきましたので、よかったら読んでみてください。

2018年1月5日金曜日

Mt. Hakkaisan&Hakkaisan Sake

Mt.Hakkaisan


新潟県を代表する日本酒「八海山」。
淡麗旨口で人気のお酒ですが、その名の由来になっている山が南魚沼市にある八海山です。

山頂付近には8つの険しい峰があり、上ったり下りたりを繰り返しながら頂上を目指します。

登山をする人にも、景観を楽しむ人にも愛されている霊峰「八海山」ですが、先にお伝えした清酒「八海山」に魅せられた海外の方がいます。

2013年2月に八海山ブランドのアンバサダーに任命された、ティモシー・サリバンさん。

ティモシーさんは、以前からNYで日本酒の啓蒙活動を行われていたとのこと。

ティモシーさんは、NYの寿司屋で「純米吟醸 八海山」を飲んで、八海山のファンになったそうです。

八海山の味に感銘を受けたティモシーさんは、日本酒への関心をより深め、もっと日本酒を知りたいと思うようになったといいます。

そして、世界中の酒蔵や酒屋、日本酒を取り扱うレストランの情報が掲載されたWEBサイトUrbanSake.comを立ち上げます。

その後、ティモシーさんの活動を知った八海醸造がティモシーさんにアプローチ。
蔵に来てもらったり、酒造りを体験してもらったり、文化交流を通じて八海山への理解を深めてもらったそうです。

2016年には、秋から春まで蔵人と同じ環境で酒造りを体験。

ティモシーさん自身は「私には酒造りの才能はないけれど、より良い日本酒の教育者となれる」とおっしゃっています。

灯台もと暗し。

日本酒の良さを本当の意味で日本人は理解していないのかもしれませんね。

NYからの新しい風をティモシーさんが運んできてくれたこともあり、
八海山の活動展開はさらに広がりを見せます。

「2017 Ultimate Wine Challenge(NYワイン品評会)」での最高位Chairman's Trophyの受賞や「2017 Los Angeles International Wine Competition(LAwain ワイン品評会)」などでも高い評価を獲得。

世界に八海山の良さが伝わるようになりました。

これからも、展開を拡大する清酒「八海山」の様子を、霊峰「八海山」は見守っていてくれることでしょう。


2018年1月1日月曜日

2018年カレンダー 1月 八海山のイラスト

2018/01八海山
Mt.Hakkaisan

2018年、明けましておめでとうございます。
1月のカレンダーは、南魚沼市にある霊峰「八海山」です。

諸説ありますが、山頂に8つの峰があることから、八海山と呼ばれるようになったと言われています。

8つの峰、八ツ峰はそのなのとおり、山頂付近には凸凹の峰が連続して続き、上ったり下りたりを繰り返しながら10合目の大日岳へと向かいます。

修行者の山だけあり、険しい山です。

その他、八海山のイラストは【八海山】でどうぞ。

2017年3月30日木曜日

三国街道と小千谷の絵紙 魚沼の山のイラスト 

今日のイラストは、三国街道近くにあるFM塔付近から魚沼の町並みを望んだイラストです。 先日、三国街道についての記事をアップさせていただきました。

 ⇒三国街道のルートと宿駅について【イラスト:栃原峠】 

三国街道は江戸幕府の政策の一環として、東海道、中山道、日光道、奥州道、甲州道の五街道に次ぐ街道とされ整備された街道です。

新潟県内は、三国峠~浦佐~堀之内~長岡~寺泊へと続きます。


堀之内や塩沢は十日町や小千谷とならんで、縮の生産が盛んでした。

三国街道を縮商人が反物を背負って越え、江戸へと出向いたわけです。

その他、長岡藩主、牧野備前内は川を上る鮭をとらえて、将軍家に毎年献上していたそうですが、三国街道を通って江戸へと献上鮭が送られていたと言います。

寛政8年(1796)8月には、村上藩主 内藤信敦の一行が参勤交代を行った際、三国街道を通っています。

江戸から明治、昭和初期の人々が足繁く通った三国街道。
旅人や商人の思いがつまった道なのでしょうね。

話しが戻りますが、
小千谷の縮商品は、江戸へと縮を売りにいった帰り、
江戸の浮世絵をお土産に買ってきたそうです。

この浮世絵を「絵紙」と言い、小千谷の人たちは壁に貼って楽しんだり、
ひな祭りの際に飾っていたそうです。

季節が終わってのお知らせとなってしまいましたが、
毎年2月~3月上旬に小千谷市では
この絵紙と雛人形を展示する催しを開催しています。

絵紙は色鮮やかで、江戸の人々のセンスのよさを感じます。
また、江戸の暮らしぶりがわかるので、見ていて楽しいです。

毎年違う絵紙が展示されているので、是非とも足を運んでほしいもの。



※小千谷の山田屋さんでは、3月末(明日!)まで絵紙を展示しているそうです!
詳しくは以下に問い合わせください

営業時間:平日9時半~18時 土日9時半~17時
小千谷市本町1-13-32 電話:0258-83-2023




「見逃したよ!」「新潟まで行けないよ!」
という方に朗報!


中央大学多摩キャンパスに小千谷の絵紙とお雛様が飾られています♪


「浮世絵に囲まれたお雛様とお雛様に守られてきた浮世絵と」

展示期間:2017年3月22日(水)~4月7日(金)※日曜閉室
時間:午前10時~午後5時
場所:多摩キャンパス 3号館3階3308号室


嬉しいことに、写真撮影OK!
絵紙をバックに入学式の記念撮影ができるそうですよ。

ぜひとも、足を運ばれて、江戸風情を感じてみてください。

2017年3月22日水曜日

越後三山 越後駒ヶ岳のイラスト

年度末でバタバタしていて、なかなかブログ記事がアップできず、
ブログを訪れてくださる方、申し訳ございません(^_^;)

記事のほうが書けないので、今日はとよじいのイラストをドドン!とアップいたします。
以前、掲載させていただいたものも含まれているかもしれませんが、

越後駒ヶ岳のイラストを数枚、掲載いたします。






2017年3月14日火曜日

三国街道のルートと宿駅について【イラスト:栃原峠】

浦佐毘沙門堂の裸押合い祭や、毘沙門市について調べていたとき、浦佐と堀之内が三国街道の宿場だったと初めて知りました。


浦佐毘沙門堂の毘沙門市」の「縮の販売で堀之内とトラブル!?」

実家裏山奥方面に三国街道が通っていて、現在も散策コースになっているということも初めて知りました。
「とよじいも登っていないたかな?」と思って、イラスト在庫を調べたところ、ありましたよ~♪




三国街道の栃原峠、FM塔付近です。


※1枚の絵を2回に分けてスキャンしているため、ツギハギ部分の色が変わっています、ごめんなさい。

原画は色の変化はないので、スキャン技術とツギハギ技術を高めて、原画のままアップできるようにしたいです。




栃原峠は三国街道を堀之内宿から浦佐宿に行く途中にある峠道です。
万治元年(1658年)に、高田藩により開拓されたと言われています。


いまでも、街道の名残である、茶屋や石仏などの史跡があちこちに残っています。
首なし地蔵という、ちょっとオドロオドロしい史跡もあるようですよ。
雪が溶けたら、散策してみたいです。




余談ですが……。


三国街道途中の大峠である、群馬県みなかみ町と新潟県湯沢町を越える三国峠。
こちらは、中世(鎌倉時代から安土桃山時代)ころから、存在していました。

山頂には、三国権現が祀られていますが、ここでも坂上田村麻呂が登場します!


 昔、白根山の悪鬼が上野・信濃・越後の三国に飛行して悪行を繰り返していた。
 そこで、坂上田村麻呂が討伐に鬼を討伐に訪れ、悪鬼降伏を祈念して三神を勧請した。


浦佐毘沙門堂も807年(大同2年)に坂上田村麻呂が建立したと言われています。
東北に向かうとき、坂上田村麻呂も三国峠や三国街道を通ったのでしょうかね。


毘沙門堂と坂上田村麻呂の関係については、こちらの記事で♪
浦佐毘沙門堂裸押合い祭「年男」と毘沙門天像の関係




さて、話を三国街道に戻します。


三国街道は江戸幕府の政策の一環として、東海道、中山道、日光道、奥州道、甲州道の五街道に次ぐ街道とされ整備された街道です。

三国街道という名前の由来は、利根郡新治村の三国峠を通過していることからつけられたと言います。


江戸幕府にとって、三国街道は佐渡や魚沼の上田銀山からの金銀を運ぶための重要なルートでした。

金銀を産出する佐渡との連絡路として、三国街道は北国街道、会津街道と並んで佐渡三道に定められていました。


街道の整備を行ったのは、江戸時代に天狗岩堰用水の延長の備前堀を手がけた、伊奈備前守忠次。

伊奈氏は代々、徳川幕府の土木をつかさどった家柄です。


幕府直轄で宿駅制が実施されたのが慶長14年。
そして、翌年15年には宿駅の制度がほぼできあがりました。


三国街道は中山道を高崎で分岐し、

金古→渋川→金井→北牧→横堀→中山→塚原→布施→

須川→相俣→吹路→長井→(三国峠)→浅貝→

二居→三俣→湯沢→関→塩沢→六日町→五日町→

浦佐→堀之内→川口→妙見→六日市→長岡→脇ノ町→

出雲崎→山田→寺泊と続いた道筋です。


距離にして、高崎から浅貝まで20里
浅貝から長岡まで28里


1里が約3.9kmなので、
高崎から浅貝までが78km、朝貝から長岡までが110kmくらいですね。


並足での所要日数は
江戸から高崎 3日
江戸から浅貝 5日
江戸から長岡 8日


もっと時間がかかるのかなぁ?と思っていましたが、20日ほどで江戸から長岡まで行けるのですね。

とはいえ、江戸から長岡まで歩くとしたら、現代人はもっと日数がかかりますよね、きっと。
昔の人たちは足腰強い、尊敬します!

現代人の私は、歩いて三国街道巡りは厳しいですが、車という文明の力を借りれるので(笑)
車を使って回ってみたいなと思っています♪

ここで、プチ疑問が(*^_^*)

「魚野川や信濃川が流れているんだから、船で移動すればいいんじゃないの?」

と思いますよね。実際、船での移動も行われていましたが!
川が流れる方に進めば楽ですが上るのが大変ですよね(汗)


六日町から魚野川下流には河岸場が設定され、下りの場合は船を利用することが多かったそうです。

上りは歩いたほうが楽だったようです。


金銀の運搬だけではなく、商人や武人など様々な人が三国街道を通って江戸と越後を行き来していました。

その人々の物語については、また後日。


2017年1月29日日曜日

雪山登山のイラスト 吹雪きの夢は不安感を表す



こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは「ブリザード」。

いやぁ、吹雪は嫌ですねぇ。

今日は比較的、天候が穏やかな日なので、吹雪のイラストもアップできますが、吹雪いている日にブリザードのイラストはアップできません。心情的に。

夢占いだと、吹雪の夢は「不安感」を意味するそうですよ。
行き先が見えないので、不安な気持ちを持っているのでしょうかね。

ちなみに、大雪の夢は物事が順調に進んでいるという暗示だそうです。

吹雪も大雪も、現実世界ではやっかいな感じですがね。


2017年1月22日日曜日

八海山のイラスト 折立温泉遊歩道から望む八海山

Mt.Hakkaisan

こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは、折立温泉遊歩道から望む、八海山です。

折立温泉遊歩道は、魚沼市の下折立付近にある散策路です。
折立釈迦堂へと繋がる階段を登り遊歩道へと入ります。
標高475mの小高い丘からは、八海山や駒ヶ岳が眺望できます。
U字を描くように丘を散策し、諏訪神社裏にある下折立農村公園にでます。

遊歩道終点付近に「大久保のブナ林」というところがありますが、
こちら、新潟県のブナ林100選に選ばれていますよ。

下折立で調べていましたら「下折立の百八灯雪まつり」の写真を見つけました。



折立温泉「百八灯」

毎年3月の第一日曜日に、山の尾根に108の篝火が並ぶそうです。

これ、とよじいがイラスト描いていました!
お正月に帰郷したとき、とよじいの部屋をあさっていたとき、
祭りのイラストの中から出てきたのです。

「この祭り、しらねぇろう(知らないだろう)」と、とよじい自慢げに言っていました!

稲荷大明神に無病息災、五穀豊穣を祈願して、尾根に108の篝火を並べるそうです。
江戸時代から続く伝統行事。幻想的なお祭りですねぇ。
2017年3月第一日曜日だと、3月5日ですね。

「百八灯」のイラストは、後日アップしますね♪


2017年1月21日土曜日

八海山のイラスト

Mt.Hakkaisan

こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは、八海山ロープウェー麓駅から望む、八海山。

とよじいは、イラスト内に「山口ゴンドラ場」と書いてありますが、
八海山ロープウェーの登り口です。

麓駅の住所が「山口」で、ロープウェーの前は4人乗りのゴンドラが運行されていたのです。

八海山ロープウェイは、山麓駅から4合目(山頂駅)まで運行しています。
山頂駅まで5分ほどで到着します。
四季それぞれの山の様子がパノラマで楽しめます。

ロープウェイを利用することで、八海山への登山時間が短縮できます。
とはいえ、八海山山頂の八ツ峰は登山素人が挑むには難しい場所。
アップダウン&鎖場続きで、かなりの難所です。
大日岳までの征服コースは上級者向けで、ロープウェーを使って往復6時間以上かかるようです。

八海山ロープウェイは1983年から2001年まで、4人乗りのゴンドラが運行していました。
風に弱く、運休することが多かったそうですが、現在は運休が少なくなったそうです。

八海山ロープウェイの運行は4月から11月。
朝8時ころから夕方の4時頃まで行き来しています。

今は冬でお休みですが、春になったら新緑が綺麗ですよ。
カタクリ群生地があり、4月下旬から5月上旬までカタクリの花が楽しめます。

山頂駅付近には、展望台や展望デッキもあり、周囲の景色が望めます。
パターゴルフや渓流広場など、レジャーを楽しむ施設も。

八海山山頂までの登山だけではなく、景観や自然を楽しむことができますよ。
春になったら、八海山ロープウェーに乗ってみようかな♪


2017年1月20日金曜日

権現堂のイラスト 権現堂の弥三郎バサ

Mt.Hakkaisan

こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは、権現堂山から望む「八海山」です。

権現堂、権現堂とよく、とよじいが言っているのですが、
権現堂山は上権現堂と下権現堂とにわかれているのですね。

この山は、弥三郎バサが住んでいる山ではないか!

「悪い子になると、権現堂から弥三郎バサがくる」
子どもの頃に、言われた方も多いのではないでしょうかね。

弥三郎バサがなにものかわからず、恐怖心だけが余計につのるというね。

弥三郎バサの民話は、じつは悲しい物語なのです。

弥三郎という猟師と妻、息子が暮らしていましたが、
弥三郎は雪山に猟に向かい戻ってこなかった。
その息子も猟師になったが、猟から戻ってこなかった。
息子の嫁は悲しみのあまり後を追って死に、
残された乳飲み子を、弥三郎の妻が育てていた。

弥三郎の妻は、孫のために近隣に乳をもらいあるいたが、
最初同情していた村人たちも、しだいに弥三郎の妻をうとましがるようになり、
猟師という職業から殺生による罰とののりし、村八分にされた。

孫は餓死し、弥三郎の妻は鬼と化し、人の子をさらって食らうようになった。
のちに、えらいお坊さんに諭され、弥三郎バサは改心し、
妙多羅天女という名を授かった。

wiki先生によると、 妙多羅天女というのは、
神仏、善人、子供の守護者で、悪霊退散の神。
縁結びの神様でもあるそうです。

新潟県とお隣の山形県で祀られている神様ということ。

弥彦神社に隣接して、 妙多羅天女が祀られているそうですね。

弥三郎バサの伝説は様々あるようで。
猫が弥三郎バサを食って、弥三郎バサになりすましたというものもあります。

弥三郎バサよりも、弥三郎という人物のほうがキーマンかもしれません。

織田信長に小姓として仕えていた、加藤弥三郎という武将がいます。
鎌倉時代の武士、 鳥海弥三郎という方もいますね。

伊吹山(滋賀県)に住んでいた大男、伊吹弥三郎の伝説もありますね。
伊吹弥三郎は富士山を作ったとか!

弥三郎という名前、ポピュラーだったようですね。
かっこいい名前だったのかな、流行の名前。


2017年1月18日水曜日

八海山の由来は八大龍王!? 八海山のイラスト 






こんにちは、魚沼工房さとうです。
今日のイラストは、越後駒ヶ岳より望む「八海山」。

八ツ峰がよく見えますねぇ。

山の神の記述では、12という数字がキーになっているというお話をしましたが。
8という数字もキーになりますよね。
縁起の良い数字と言われています。

八海山のいわれとなったのが、八の池があることからだと言われています。
「八海山御伝記」によると、八海山の語源となったのは、山上に八ツの池があったからとのこと。


古気池(漕池)(難陀龍王)、
裏冨池(浦戸池)(跋難陀龍王)、
瓶丹池(瓢池)(娑伽羅龍王)
硯池(和修吉龍王)
日池(徳叉迦龍王)
月池(阿那婆達多龍王)
神生池(摩那斯龍王)
赤石池(優鉢羅龍王)

それぞれ八大龍王が祀られているといいます。

八大龍王というのは、天竜八部衆に所属する竜族の八体の竜王(竜神)のことで、仏法を保護する神です。

雨乞いの神さまとして、全国各地に祀られています。
八岐大蛇も8。八百万神も8。

8もキーですね。


2017年1月16日月曜日

八海山信仰と十二山神社の関係性 八海山のイラスト

Mt.Hakkaisan


こんにちは、魚沼工房さとうです。

今日のイラストは、大力山から望む「八海山」です。


先日「山の神の日はなぜ12日なのか?
この中で、魚沼地方に十二山神社が多く、その理由は八海山と八海山を訪れた修験者が関係していると書きました。

南魚沼地方に位置する「八海山」は、木曾御嶽信仰の霊山です。
「なんで、木曾御嶽?」と思われますよね。

それは!

八海山を開山したのが、木曾御嶽山を開山した普寛だからです。
八海山麓に住んでいた泰賢を弟子にして、一緒に八海山を開山したと言います。

808年に空海が登り、8つの池があったので八海山と名付けたという伝承もあります。

この八海山の本地仏は薬師如来ですが、木曾御嶽信仰の霊山ともされていて、
八海山大頭羅神王が鎮座する山としても信仰されています。

行者の活動にともない、八海山が霊山として人々の間に広まり、
山の麓にある神社も増えて行きます。

東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科、菊池章太教授の研究レポート「十二山ノ神の信仰と祖霊観」に、なぜ「十二」なのかという考察が書かれています。

十二山ノ神は薬師如来の眷属である十二神将や、熊野十二所権現と関係があるのではないか、という説があるそうです。ここに、行者や修験者たちが関わっているのではないかと、先生は推測されています。

八海山の本地仏は薬師如来。薬師如来の眷属は十二神将。
行者が八海山信仰を広めた。

そして、新潟県には十二山神社、十二神社が多い。


木曾御嶽山信仰では、霊神碑という石の石碑を建てる習俗があります。
亡くなった方の霊神碑を建立するのですが、この際、霊神号というものが与えられます。

八海山にも、この霊神碑が多く見られますよ。
霊神碑には、霊神名が刻まれていますが、建立者の氏名や出身地が彫り込まれていることがあるそうです。
建立者の出身地は様々で、新潟県以外の人や長岡市周辺や上越、新潟市という文字も見られます。
このことから、八海山信仰が、新潟県内外に広まっているということがわかります。

菊池先生は、自然災害の多い土地は、山ノ神を祀り、祭礼の際に唱えごとをしていたとおっしゃっています。
祭礼の際に、厄除けの呪言が目立っていて、そこに、修験者が関与しているのではないかというのです。

八海山信仰と十二山神社の流れ、関係性がありそうですね。

菊池先生は
「十二というのは具体的な数を意味するのではなく、むしろ極まった数の観念として神威の大きさを表しているようにも思える」と書かれています。

人々が昔から、自然を恐れ敬っていたことが、極まった数である十二という数字に表れているのかもしれませんね。

2017年1月14日土曜日

八海山のイラスト 黒禿ノ道から望む八海山

八海山
Mt.Hakkaisan


こんにちは、魚沼工房さとうです。
雪がすごくて、朝から除雪でヘロヘロです。



過去記事、「カマキリは大雪は予想するのか!?」でも書いたのですが、ナンテンやナナカマドの実が多くつくと、大雪になると言われています。

うちのナンテンはあまり実がつきませんでしたが、お隣のナンテンは見事にたくさんの実がついています。

植物の大雪予想、当たるのかもしれませんね。

この雪、明日も続くようです。
どんげふるんだよ!
ちょっと落ち着いてほしいです。


さて、今日のイラストは黒禿の道から望む「八海山」です。
またでた、黒禿ノ頭。
「どこですか?」と思って地図を見ましたら、笠倉山の手前にあるようですね。

等高線的には笠倉山に入っているような……でも違うか。
佐梨川と水無川の間に、隆起した山々があるわけですな。

で、佐梨川と水無川の間にある山々の尾根をつたって越後駒ヶ岳へと行くわけですかね。
駒ヶ岳から中ノ岳、兎岳へと向かう。

はっ!

地図を見ていて、いま気づきました。
山の山頂が県境になっている! すごい! と、今更気づくアホの子です。
さらに、川も山と山の間を走っている。川のスタート地点も山から。
そして平地になったところに、町が存在する。

風水で気の流れを読むとはよくいったものですね。
山や川の位置を把握して、風の流れなどを読んだのでしょうね。

土地の名前や山の名前にも、その場所の環境や特徴などが潜んでいる場合があります。
「黒禿」という名前も気になりますが、由来はいまのところわかりません←さとうがわかっていないという意味。

黒く禿げてみえる山なのでしょうかね。
黒く禿げるって、どんな風なんじゃ!?





2017年1月12日木曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 骨投沢の言い伝えを生み出した商人「河村瑞賢」

越後駒ヶ岳

今日のイラストは、八海山から望む「越後駒ヶ岳」です。

昨日、骨投沢の話を書かせて頂きました。
銀山から採掘した銀を不正に持ち出させるのを阻止するため
(骨箱に入れて、里に持ち出そうとした人がいたので)
銀山を管理していた河村瑞賢は
「遺体や遺骨を、その沢を越えて持ち出そうとすると、明神様の祟りがある」
といういわれを作ったと言います。
その沢でみんなが骨を投げて行くので、骨投沢という名前がついたとのこと。

河村さん、なかなかのやり手です。

では、河村瑞賢とはどのような人物だったのでしょうか?
河村瑞賢は江戸時代の商人で、材木屋を営んでいました。

明暦の大火後、木曾福島の材木を買占め、土木建築を請負い、利益を得たといいます。
明暦の大火は別名「振袖火事」とも言われています。

お寺の小姓に一目ぼれをした梅乃が、彼に恋い焦がれるまま亡くなってしまう。
娘を憐れんだ両親が、娘が愛した振袖を娘の棺にかけてやる。この振袖が転売され、それを買った娘が無くなり、また振袖が棺にかけられ転売される……それを何度か繰り返す。
振袖に因縁を感じ、寺の住職が焼いて供養をしようとすると、にわかに風が吹き火のついた振袖が舞い上がる。

というような伝説があり、小泉八雲(池田美術館の常設展にゆかりの品が展示されている、ラフカディオ・ハーンさんですよ~♪)も小説として物語を描いています。
ただ、作り話という説があり、放火が原因という説もあります。

話しを、河村さんに戻しましょう。
やり手の河村さんは、幕府に見込まれ、公共事業に関わるようになります。
江戸廻りの東廻り航路や、日本海沿岸から瀬戸内海を廻り江戸に入る西廻海運を確立しています。
そのほか、淀川や木津川の治水工事なども手掛けています。

魚沼の人は「銀山」という名称で呼んでいますが、正式名称は「上田銀山」と言います。
高田藩管轄の銀山が「上田銀山」会津藩側の銀山が「白峯(しらぶ)銀山」という名称で、
この二つを合わせて、大福銀山と呼んでいたそうです。
ちなみに、白峯銀山のほうが後から発見されました。

河村さんは、高田と会津両方の大福銀山の管理を行っていました。
全国各地で築港、治水、開拓、採掘などを手掛けた、現在で言うと土木のエキスパートと言える人物ですね。
晩年は松尾芭蕉と交流していたそうですよ。
元禄12年に83歳で天寿を全うしたと言いますが、当時の人にしてみると、かなりの長生きですよね。
足を使って動いたのが長生きの秘訣でしょうか?

河村瑞賢さん。商人&土木、あと他にもなにかありそうな方ですね。



2017年1月11日水曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 枝折峠を越えてはならぬ~骨投沢

駒の湯





今日のイラストは「越後駒ヶ岳」。駒の湯からの風景です。

年始に魚沼に帰郷したとき、とよじいに銀山のことを質問してみました。

銀山は昔、銀の採掘がおこなわれていたそうですが、
掘削しすぎて、河川の底を打ちぬいたため、川水が坑道内に入り込み
多数の死者をだし、以後、採掘が下火になっていったということです。

採掘した銀を麓まで運ぶための道が「銀の道」でした。

この採掘した銀を、自分の物にしようとしなかったのだろうか?
湯之谷付近で、銀細工などの店がなかったのだろうか?

と、以前、妹たちと話をしていたのです。
銀の工芸品などが魚沼に伝承されていないのが不思議だねと。

でも、一般人が銀を使うことなど、当時の幕府は許さなかったのでしょうね。
銀の持ち出し、持ち逃げは重い罪がかせられたようです。

銀を持ち出した者に石を抱かせ、拷問した場所が、銀山平のトンネル近くにある「石抱き」です。

そして、銀の道付近に「骨投沢」という沢があります。
この沢を越えるときは、親の骨も置いていかなければいけないという言い伝えがあったと
とよじいが言っていました。

遺骨を持って里に下りると言って、骨箱に銀を隠し持っていた人がいたそうです。
そこで、骨を持って沢を越えると、大明神がお怒りになり、祟りや罰が当たるという話しを
幕府の役人が作り出したと言います。
昔の人たちはそれを信じ、後世まで遺骨や遺体を持ち出さなかったそうです。

このいわれが迷信だと証明するため、近世になってからですが、
亡くなった親を(遺骨だったかな?)抱えて
骨投沢を越えた方がいらっしゃったと、とよじいが話してくれました。
もう一回、詳しく聞いてきますね。

その方の行動で、やっとみなさん、祟りはないのだと理解したということです。

とよじい、酔っ払っていたので、真偽のほどが定かではありませんので、
骨投沢については、要検証です。


2017年1月10日火曜日

八海山とまんさくのイラスト 雪見展ありがとうございました

八海山とまんさく

1月8日9日と池田美術館で「雪見展」が開催されました。
魚沼工房もengelightと共に参加させていただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。

ブースに遊びに来てくださった方々、スタッフのみなさま、出店者のみなさま、池田美術館のみなさま、お世話になり、ありがとうございました!

池田美術館は本当に居心地が良い空間で、そこにいるだけで心がホッとします。
景色もすばらしく、魚沼の山々に包まれているようで安心できます。

また来年も、ぜひ参加させていただきたいと願っております。

雪見展では、とよじいの昔の絵を絵葉書とさせてもらいました。
とよじいは幸い(?)勤務で家に戻ってこなかったので(今回、私は会えなかったです)
出典作品を見て怒られることはありませんでした。

ブログにアップした2017年カレンダーは、使用した絵がいかんといってNGが出たので。
山の特徴をつかんだ方向があり、そこを描いた絵でなければダメだということでした。

登山がお好きな方から、山のお話を聞かせていただけて、嬉しかったです。
今年は、山に関する知識や土地に関する知識、文化などをさらに探っていきたいと思いました。

あらためて、2017年も魚沼工房(とよじいも)よろしくお願いいたします。

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