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2026年5月17日日曜日

越後駒ヶ岳より八海山を望む

越後駒ヶ岳より八海山

平成12(2000)年、5月5日スケッチ

越後駒ヶ岳は標高2003mの魚沼市と南魚沼市にまたがる山

八海山は南魚沼市にある標高1778mの山

八海山と中ノ岳、越後駒ヶ岳は「越後三山」や「魚沼三山」と呼ばれています

ニックネームは「はなこ」さん

は(八海山)な(中ノ岳)こ(駒ヶ岳)山

2026年5月10日日曜日

小倉山より越後駒ヶ岳 平成25(2013)年スケッチ

 

小倉山より越後駒ヶ岳

平成25(2013)年、6月3日スケッチ

5月にも見えるけれど、6月スケッチかなぁ?

小倉山より越後駒ヶ岳のスケッチシリーズということでアップしました

小倉山(標高1378m)

越後駒ヶ岳(標高2003m)

6月で、この積雪量あったのかな?

2026年5月8日金曜日

小倉山より越後駒ヶ岳 平成9(1997)年スケッチ


小倉山より越後駒ヶ岳

平成9(1997)年、5月6日スケッチ

小倉山(標高1378m)

越後駒ヶ岳(標高2003m)

雪の白と青、芽吹きの緑に染まる前の山肌は躍動感がありますね

2026年5月7日木曜日

小倉山より越後駒ヶ岳 平成17(2005)年スケッチ その2


小倉山より越後駒ヶ岳

平成17(2005)年、5月21日スケッチ

昨日アップしたイラストと同日のスケッチです

標高1378mの小倉山は、標高2003mの越後駒ヶ岳の前衛山といわれています

2026年5月6日水曜日

小倉山より越後駒ヶ岳 平成17(2005)年スケッチ

小倉山より越後駒ヶ岳

平成17(2005)年、5月21日スケッチ

小倉山は魚沼市にある標高1378mの山

標高2003mの越後駒ヶ岳は魚沼市と南魚沼市にまたがる山で、八海山、中ノ岳とともに「越後三山」や「魚沼三山」と呼ばれています

20年ほど前の2005年の残雪はイラストのような感じ

2026年の5月20日過ぎは、どれくらい越後駒ヶ岳に雪が残っているでしょうか・・・


 

2026年5月4日月曜日

小倉山より越後駒ヶ岳

小倉山より越後駒ヶ岳

平成12(2000)年、5月2日スケッチ

小倉山は魚沼市にある標高1378mの山

越後駒ヶ岳は魚沼市と南魚沼市にまたがる標高2003mの山

八海山、中ノ岳とともに「越後三山」や「魚沼三山」と呼ばれています

越後駒ヶ岳に向かう登山ルートに、小倉山を経由する道が2つ

枝折峠-小倉山-越後駒ヶ岳
駒の湯登山口-小倉山-越後駒ヶ岳

駒の湯は、魚沼温泉郷の奥にある秘湯です

(薬師温泉-折立温泉-大湯温泉-栃尾又温泉―駒の湯温泉)

2026年の越後駒ヶ岳山開きは、6月28日(日)とのこと

お守りの配布もあるようですよ

詳しくは、魚沼市観光オフィシャルサイト 登山・トレッキング 2026年魚沼市山開き情報

2026年4月29日水曜日

折立温泉遊歩道より越後駒ヶ岳

折立温泉遊歩道より越後駒ヶ岳

平成23(2011)年、4月6日 スケッチ

折立温泉遊歩道は魚沼市折立温泉近くにある遊歩道・・・トレッキング、ハイキングコースですね

折立釈迦堂、名水「折立釈迦堂のいぼ水」の近くに登り口がある、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)も見える、見晴らしの良い遊歩道です

名水「折立釈迦堂のいぼ水」は、昔に釈迦堂の庵主を務めた美しい尼僧が疣に悩み、釈迦堂裏に湧く清水で毎日身を清めたところ疣が消えたという伝承が名前の由来

八海山と中ノ岳とともに越後三山、魚沼三山の一峰として数えられている越後駒ヶ岳は標高2003mの山

先日掲載した、唐松山や笠倉山から眺める越後駒ヶ岳の姿とくらべてみてくださいね


 

2026年4月28日火曜日

笠倉山より越後駒ヶ岳


笠倉山より越後駒ヶ岳

平成6(1994)年、4月10日スケッチ

笠倉山は魚沼市と南魚沼市にまたがる標高907mの山

魚沼アルプス周回コースで、黒禿の頭分岐から向かうことができます

4月の魚沼アルプスは、残雪と新緑がコラボする山々と、咲き誇る山野草を楽しむことができますよ

標高2003mの越後駒ヶ岳は八海山、中ノ岳とともに「越後三山」や「魚沼三山」と呼ばれている名峰

山容が馬に似ていることが名前の由来といわれていますが、雪解けの山肌に駒(馬)の形が見られることが名前の由来という説もあります

残雪の山肌のどこかに馬の形が見られるかな?

2026年4月10日金曜日

日向倉山より駒ヶ岳

 


日向倉山より駒ヶ岳

平成14(2002)年、4月1日 スケッチ

昨日アップしたイラストと同日に描いたスケッチ

天気が良いので、ゆっくり描けたのでしょう

2026年4月9日木曜日

日向倉山より中ノ岳、駒ヶ岳を望む

 

日向倉山より中ノ岳、駒ヶ岳

平成14(2002)年、4月1日 スケッチ

日向倉山は魚沼市にある標高1430mの山

雪がないときは藪こきしないと登れないので、残雪期限定の山といわれています

山頂が開けていて、素晴らしい展望が望めるとのこと

残雪と青空っていいですよねぇ

2026年3月15日日曜日

黒禿の頭より 駒ヶ岳(越後駒ヶ岳)


黒禿の頭より 駒ヶ岳

平成14(2002)年、3月4日 スケッチ

スケッチ裏に以下のメモあり

自宅 AM9:00近く出発

干溝 寺前 出発 9:20分頃

大力山 30~40分 約3時間ほど

黒禿の頭着 12:10分

12:55分 下山開始

登山口着 PM14:53 約2時間ほど

2026年2月24日火曜日

大力山より駒ヶ岳

 

大力山より駒ヶ岳

平成14(2002)年、1月1日 元旦登山のスケッチ

鈍色ながら、少し晴れ間が見えるような空が冬っぽい

2026年2月19日木曜日

大力山より


大力山より(駒ヶ岳、中ノ岳を望む)

平成13(2001)年、1月20日スケッチ

大力山は標高504mの山

冬1月、積雪に青空がまぶしいですね

2025年11月9日日曜日

グシガハナコースより中ノ岳

 


平成16(2004)年10月16日スケッチ

グジガハナより中ノ岳

先日アップした「グジガハナより荒沢岳」と同日登山のスケッチ

グシガハナの尾根を進んだ先に、駒ヶ岳へ向かうルートと中ノ岳へ向かうルートにわかれる分岐があります

そのグシガハナ分岐から駒ヶ岳にいってから、グシガハナ分岐に戻り、中ノ岳へと向かう縦走コースも

イラストはクシガハナから見た景観で、グシガハナの様子がわからないので、クシガハナ付近の地形がわかるサイトを以下にご紹介

地質・地形情報ポータルサイト「日本の地形千景」越後駒ヶ岳水無川の土石流堆積地形

稜線の様子がよくわかります

2025年10月18日土曜日

便乗して八海山 2025

 

今日はおいしいSAKEを♪

便乗して、駒ヶ岳山頂より望む八海山のイラスト

でも、魚沼のお酒といえば緑川

なので、越後三山(駒ヶ岳、中ノ岳、八海山)



平成4(1992)年、10月18日のイラスト

巻機山より越後三山

2025年9月29日月曜日

魚沼三山ははなこさん 摩利支岳より駒ヶ岳

 


摩利支岳(八海山 ハツ峰)より駒ヶ岳

年不明、9月24日スケッチ

八海山は南魚沼市にある標高1778mの山。

越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山の3峰で越後三山(魚沼三山)と呼ばれています。

麓からもよく見える越後三山。

南魚沼市、魚沼市にはあちらこちらに景観ポイントがあって、越後三山の紹介看板が。

関越自動車道にも「越後三山」の看板が建っています。

越後三山は新潟県側から「八海山・中ノ岳・駒ヶ岳」と並んで見えるのですが、この並びを「はなこさん」と覚えておくと、どの峰がどの山かわかるそうです。

は⇒八海山

な⇒中ノ岳

こ⇒駒ヶ岳

はなこ山、ってなるわけですね。

2025年9月28日日曜日

小兎岳より駒ヶ岳

 


小兎岳より駒ヶ岳

平成11(1999)年、9月27日スケッチ

小兎岳は魚沼市と南魚沼市の境にある標高1855mの山。

中ノ岳と兎岳を結ぶ稜線上に兎岳は位置しています。

兎岳からは巻倉山へと続く分岐、大水上山へと続く分岐があります。

長野県にも兎岳(静岡県との境)と小兎岳がありますが、どちらも2000m級の山。

長野県の兎岳は山麓を流れる兎洞(沢)に由来するという説がありますが、新潟県の兎岳は名前の由来として「残雪の雪形」が兎に似ているからという説があります。

雪形が山名になった山は多く、代表的なのが残雪の雪形が「馬」に似ていることから名付けられた駒ヶ岳。

日本には駒ヶ岳がいっぱいあり、新潟県だけでも越後駒ヶ岳、朝日駒ヶ岳(村上市)、頸城駒ヶ岳(糸魚川市)と3つ。

雪形は農作業の目安(農事暦)とされてきたので、農作業の友であった馬が雪形として登場する(見えてしまう)ことが多いのでしょうかね?




2017年1月12日木曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 骨投沢の言い伝えを生み出した商人「河村瑞賢」

越後駒ヶ岳

今日のイラストは、八海山から望む「越後駒ヶ岳」です。

昨日、骨投沢の話を書かせて頂きました。
枝折峠を超えてはならぬ~骨投沢
銀山から採掘した銀を不正に持ち出させるのを阻止するため
(骨箱に入れて、里に持ち出そうとした人がいたので)
銀山を管理していた河村瑞賢は
「遺体や遺骨を、その沢を越えて持ち出そうとすると、明神様の祟りがある」
といういわれを作ったと言います。
その沢でみんなが骨を投げて行くので、骨投沢という名前がついたとのこと。

河村さん、なかなかのやり手です。

では、河村瑞賢とはどのような人物だったのでしょうか?
河村瑞賢は江戸時代の商人で、材木屋を営んでいました。

明暦の大火後、木曾福島の材木を買占め、土木建築を請負い、利益を得たといいます。
明暦の大火は別名「振袖火事」とも言われています。

お寺の小姓に一目ぼれをした梅乃が、彼に恋い焦がれるまま亡くなってしまう。
娘を憐れんだ両親が、娘が愛した振袖を娘の棺にかけてやる。この振袖が転売され、それを買った娘が無くなり、また振袖が棺にかけられ転売される……それを何度か繰り返す。
振袖に因縁を感じ、寺の住職が焼いて供養をしようとすると、にわかに風が吹き火のついた振袖が舞い上がる。

というような伝説があり、小泉八雲(池田美術館の常設展にゆかりの品が展示されている、ラフカディオ・ハーンさんですよ~♪)も小説として物語を描いています。
ただ、作り話という説があり、放火が原因という説もあります。

話しを、河村さんに戻しましょう。
やり手の河村さんは、幕府に見込まれ、公共事業に関わるようになります。
江戸廻りの東廻り航路や、日本海沿岸から瀬戸内海を廻り江戸に入る西廻海運を確立しています。
そのほか、淀川や木津川の治水工事なども手掛けています。

魚沼の人は「銀山」という名称で呼んでいますが、正式名称は「上田銀山」と言います。
高田藩管轄の銀山が「上田銀山」会津藩側の銀山が「白峯(しらぶ)銀山」という名称で、
この二つを合わせて、大福銀山と呼んでいたそうです。
ちなみに、白峯銀山のほうが後から発見されました。

河村さんは、高田と会津両方の大福銀山の管理を行っていました。
全国各地で築港、治水、開拓、採掘などを手掛けた、現在で言うと土木のエキスパートと言える人物ですね。
晩年は松尾芭蕉と交流していたそうですよ。
元禄12年に83歳で天寿を全うしたと言いますが、当時の人にしてみると、かなりの長生きですよね。
足を使って動いたのが長生きの秘訣でしょうか?

河村瑞賢さん。商人&土木、あと他にもなにかありそうな方ですね。

2017年1月11日水曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 枝折峠を越えてはならぬ~骨投沢

駒の湯





今日のイラストは「越後駒ヶ岳」。駒の湯からの風景です。

年始に魚沼に帰郷したとき、とよじいに銀山のことを質問してみました。

銀山は昔、銀の採掘がおこなわれていたそうですが、
掘削しすぎて、河川の底を打ちぬいたため、川水が坑道内に入り込み
多数の死者をだし、以後、採掘が下火になっていったということです。

採掘した銀を麓まで運ぶための道が「銀の道」でした。

この採掘した銀を、自分の物にしようとしなかったのだろうか?
湯之谷付近で、銀細工などの店がなかったのだろうか?

と、以前、妹たちと話をしていたのです。
銀の工芸品などが魚沼に伝承されていないのが不思議だねと。

でも、一般人が銀を使うことなど、当時の幕府は許さなかったのでしょうね。
銀の持ち出し、持ち逃げは重い罪がかせられたようです。

銀を持ち出した者に石を抱かせ、拷問した場所が、銀山平のトンネル近くにある「石抱き」です。

そして、銀の道付近に「骨投沢」という沢があります。
この沢を越えるときは、親の骨も置いていかなければいけないという言い伝えがあったと
とよじいが言っていました。

遺骨を持って里に下りると言って、骨箱に銀を隠し持っていた人がいたそうです。
そこで、骨を持って沢を越えると、大明神がお怒りになり、祟りや罰が当たるという話しを
幕府の役人が作り出したと言います。
昔の人たちはそれを信じ、後世まで遺骨や遺体を持ち出さなかったそうです。

このいわれが迷信だと証明するため、近世になってからですが、
亡くなった親を(遺骨だったかな?)抱えて
骨投沢を越えた方がいらっしゃったと、とよじいが話してくれました。
もう一回、詳しく聞いてきますね。

その方の行動で、やっとみなさん、祟りはないのだと理解したということです。

とよじい、酔っ払っていたので、真偽のほどが定かではありませんので、
骨投沢については、要検証です。