御月山手前ピーク 八海山
平成9(1997)年、9月21日スケッチ
御月山は標高1819mの山で、中ノ岳~八海山、縦走路の途中にあります。
地図でみると、中ノ岳避難小屋で八海山方向と駒ヶ岳方向に縦走路が分岐しています。
越後駒ヶ岳~中ノ岳~(御月山)八海山
八海山~(御月山)中ノ岳~越後駒ヶ岳
という越後三山縦走ルートですね。
私は縦走したことないので(すみません)
イラストがどっちルートの御月山手前で八海山を見て描いたのか?です。
八ツ峰も描かれていますもんね。
御月山手前ピーク 八海山
平成9(1997)年、9月21日スケッチ
御月山は標高1819mの山で、中ノ岳~八海山、縦走路の途中にあります。
地図でみると、中ノ岳避難小屋で八海山方向と駒ヶ岳方向に縦走路が分岐しています。
越後駒ヶ岳~中ノ岳~(御月山)八海山
八海山~(御月山)中ノ岳~越後駒ヶ岳
という越後三山縦走ルートですね。
私は縦走したことないので(すみません)
イラストがどっちルートの御月山手前で八海山を見て描いたのか?です。
八ツ峰も描かれていますもんね。
八海山 千本檜小屋に
年月不明スケッチ
八海山は南魚沼市にある標高1778mの山。
古来から霊山として崇められ、山岳信仰の場にもなっています。
八海山麓の登山口では、積み上げた杉木を燃やし、火が静まったころ(でも熱い)裸足で渡る火渡り祭が開催されます。
5月には大倉口の里宮
6月は城内口の里宮
10月は大崎口、八海山尊神社で大火渡祭が行われます。
誰でも参加可能ですが、八海山尊神社のHPには
どうか心身ともに引き締めて清浄な心持ちでお渡り下さい。
と書かれています。霊峰八海ですから、引き締めて望むのが◎でしょう。
そして霊峰八海の山頂には八ツ峰と呼ばれる8つの岩峰群があります。
最高峰(1778m)入道岳は、八ツ峰をクリアした先に見えてきます。
越後三山(魚沼三山)のうち八海山は一番標高が低いのですが、岩場鎖場アップダウンが多いことから難しい山と言われています。
イラストにある千本檜小屋は八海山の九合目にある山小屋。
千本檜小屋で休憩後、八ツ峰にアタック!
千本檜小屋は宿泊もできるので、体を休ませて翌日進むこともできますよ。
摩利支岳(八海山 ハツ峰)より駒ヶ岳
年不明、9月24日スケッチ
八海山は南魚沼市にある標高1778mの山。
越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山の3峰で越後三山(魚沼三山)と呼ばれています。
麓からもよく見える越後三山。
南魚沼市、魚沼市にはあちらこちらに景観ポイントがあって、越後三山の紹介看板が。
関越自動車道にも「越後三山」の看板が建っています。
越後三山は新潟県側から「八海山・中ノ岳・駒ヶ岳」と並んで見えるのですが、この並びを「はなこさん」と覚えておくと、どの峰がどの山かわかるそうです。
は⇒八海山
な⇒中ノ岳
こ⇒駒ヶ岳
はなこ山、ってなるわけですね。
小兎岳より駒ヶ岳
平成11(1999)年、9月27日スケッチ
小兎岳は魚沼市と南魚沼市の境にある標高1855mの山。
中ノ岳と兎岳を結ぶ稜線上に兎岳は位置しています。
兎岳からは巻倉山へと続く分岐、大水上山へと続く分岐があります。
長野県にも兎岳(静岡県との境)と小兎岳がありますが、どちらも2000m級の山。
長野県の兎岳は山麓を流れる兎洞(沢)に由来するという説がありますが、新潟県の兎岳は名前の由来として「残雪の雪形」が兎に似ているからという説があります。
雪形が山名になった山は多く、代表的なのが残雪の雪形が「馬」に似ていることから名付けられた駒ヶ岳。
日本には駒ヶ岳がいっぱいあり、新潟県だけでも越後駒ヶ岳、朝日駒ヶ岳(村上市)、頸城駒ヶ岳(糸魚川市)と3つ。
雪形は農作業の目安(農事暦)とされてきたので、農作業の友であった馬が雪形として登場する(見えてしまう)ことが多いのでしょうかね?
不動岳(八海山 八ツ峰)より中ノ岳
年不明9月24日スケッチ
スケッチ裏に登山メモあり【以下】
AM6:00出発
大倉口より登山始め 6:30分
その後、ポット(水筒)をわすれ、
電話をし(家人に)持参してもらい
再度登山 7:05分
10:20分 四合半出合
千本槍小屋 12:45分出発下山
大倉口 PM4:05
八海山どこまで登ったの?
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普光寺毘沙門堂 昭和61(1986)年スケッチ |
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普光寺山門(仁王門)正面から回廊方面 |
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普光寺山門(仁王門)正面 |
南魚沼市 池田記念美術館で開催中(4/22~5/28)の特別公開展を見にいってきました。
浦佐毘沙門堂の楼門(天保2年 1831年に完成)二階にある天井画と板絵額が令和2年度から始まった修復作業を終え、寺外(池田記念美術館)で初公開されています。
展示後は楼門に再び戻されるそうですが、間近でじっくり見る機会は今後数百年はないとのこと! 撮影もOKでしたよ!
天井画に描かれた美しい天女と、板絵額に描かれた不思議な(個人的感想です)羅漢。
天女も羅漢も、美しい色のファッションとアクセサリーを身につけていて印象的でした。
※情けない感想で参考にならないと思います。気になったら池田記念美術館に見に行かれてください。
さらにさらに!
池田記念美術館さんで天井画と板絵額を展示している間、浦佐毘沙門堂の楼門(山門)二階も見学できます!
※楼門二階内は撮影禁止です。
楼門も見所まんさい!
天井画が外されているので、楼門の造りが見られるのですが、
建物内の造りや「すごい梁」は圧巻!
以前は地元の子ども達が楼門の二階で遊んでいたとガイドさんが教えてくれました。
天井梁にも昇っていたということで、木材の一箇所にチョークで記名がしてあるのを発見(見つけてね)。
楼門内には毘沙門天に仕える「28使者の像」が置かれていて、こちらも圧巻! 美の洪水です。
「28使者の像」の台座には、長岡藩主第9代牧野忠精の書が掘られています。
◆越後浦佐 普光寺 浦佐毘沙門堂 楼門二階見学会(見学会無料)
4月30日(日)
5月7日(日)
5月14日(日)
5月21日(日)
※いずれも10時~15時
毘沙門堂の楼門を見て、池田記念美術館に行って修復された天井画を見ると(逆ルートでも)
天井に画がはまったら、どんな空間になるのだろうか? とか、どうやって、天井画を楼門二階にあげるのだろうか? とか、想像が膨らみます。
楼門二階と池田記念美術館、両方見ると楽しいと思います。
楼門見学に行くと、池田記念美術館の割引券がもらえます。
あと、楼門の急な階段も!!
見所ではありますが、昇り降り、すごくすごく、気をつけてください。
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一村尾 太々神楽 |
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北川岸次銅像(浦佐毘沙門堂) |
北川岸次は天保七年(1836年)船ケ沢の小杉に生れ、安政元年(1854年)浦佐北川家に養子に入る。
幼少より手先器用にして工匠となり、毘沙門堂等に数々の偉作を残す。
明治五年(1872年)八色ヶ原開発を志し動力水車を考案す。
その模型を携え特許出願のため上京した折政府に懇望され、洋式建築、洋風家具の製作に携わる。
また、我が国初の人体解剖模型を完成。
さらに石膏蝋細工等の技術により医学研究分野に貢献す。
明治十五年(1882年)八月三日病死す。
享年四十七才。
昭和三年十一月十日(1928年)生前の功により贈従五位を受く。
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北川岸次銅像説明文 |
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渾天儀(国立科学館所蔵) |
八色原の開拓は戦前から何度も取り組まれたけれど成功することはなく、昭和53年にパイプ灌漑が完成。その後、用水路や耕作道などが整備された。
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平成の八色原 |
陸軍士官学校は「エラカ」の彫刻を都下の彫刻者に募るも、未だあらざれば能く刀を下す能はざるを以てなりと、君(岸次)之れに鷹じて曰く、我が技、稚拙なると雖(いえど)も、聊(いささ)か期する所あり、試みに之に當(あた)らんかと、細念深考遂に之を制作し、士官学校の用ゆる所となれり。
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東京模範商工品録表紙 |