2026年4月25日土曜日

権現堂山より守門岳を見る

 

権現堂山より守門岳を見る

平成元(1989)年、4月2日 スケッチ

権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山

守門岳は魚沼市、三条市、長岡市にまたがる標高1537.2mの山

若き日の上杉謙信に愛された山と言われています

若き日の上杉謙信(長尾景虎)は、栃尾城(現在の長岡市栃尾地域)で過ごしていました

栃尾城の本丸は眺望がよく、守門岳など山々を望めるので、景虎(謙信)も守門岳を眺めていたのではないか、ということで「謙信公に愛された守門岳」といわれているのです

天文(1548)年、景虎は長尾家の家督を継いで春日城に移りますが、晴景方についていた上田長尾(長尾政景)が反乱を起こし、先日の【板木山(板木城跡)より権現堂山を望む】で紹介したように板木城での戦いが起こります

山々は武士たちの姿を静かに眺めていたのでしょうかね・・・


2026年4月19日日曜日

板木山(板木城跡)より権現堂山を望む

 

板木山(板木城跡)より権現堂山

平成5(1993)年、4月18日 スケッチ

板木山(板木城跡)は魚沼市にある357mの山

大力山から板木城跡へと続く道は、中部北陸自然歩道のひとつ「板木城跡こぶしのみち」のルートとなっていて、その名の通り、春になるとこぶしが咲き誇り登山者を楽しませてくれます

中部北陸自然歩道とは

中部北陸自然歩道は新潟県から滋賀県まで中部北陸8県それぞれの自然や景観、歴史、建造物を楽しみながらトレイルできる環境省が整備した歩道

以下、環境省HPより引用

新潟県山北町から滋賀県大津市までの雄大な山岳景観や日本海景観など多様性に富んだ歩道で、多くの人々が四季を通じて手軽に楽しく歩くことにより、その地域の豊かな自然、歴史や文化に触れ、自然保護に対する意識を高めることを目的として、平成7年度から整備を始め、平成13年春に完成しました。

中部北陸8県(新潟県、群馬県、富山県、石川県、福井県、長野県、岐阜県及び滋賀県)にまたがる旧街道の北国街道、三国街道、中山道をメインルートとした延長4,092kmです。

そのうち新潟県のルートは総延長451.3km、全43コース

「板木城跡こぶしのみち」は、中部北陸自然歩道のルートナンバーE-5

佐梨バス停-円福寺-林泉庵-宝泉寺-大力山山頂-板木城跡-西福寺-虫野上口バス停

を巡る11.2kmの区間

春はこぶしだけではなく、可憐な山野草の開花も楽しめます

板木城跡とは

城跡の名の通り、板木山(板木城跡)は、郭跡、空堀、土塁などが残る中世の城跡

魚沼市の指定文化財(史跡)となっていて、魚沼市と南魚沼市の境に位置しているので、魚沼市では板木城、南魚沼市では雷土城と呼ばれています

板木城の築年は不明ですが、天文20(1551)年に板木城で攻防があったという記録が残っています

長尾景虎(のちの上杉謙信)と上田長尾(政景方)との間で戦が起こり、景虎軍に政景の家臣・発智長芳の居城が攻めたてられました

これを防いだ発智を賞賛する手紙に「板木城」の名前がでてくるそうです

参考:図解 にいがた歴史散歩 小千谷・北魚沼・古志

ただ、またしても板木城は景虎方から攻撃を受け陥落、景虎の猛攻に政景も降伏します

その後、和睦の証として景虎の姉(仙洞院)が政景に嫁ぎ、二人の間に生まれた次男・長尾顕景は、政景の死後、上杉謙信の養子(上杉景勝)となりました

この頃の板木城は、上杉の防衛拠点として機能していましたが、謙信の死後、またも景虎軍から攻撃を受けてしまうのです

上杉謙信(景虎)は亡くなっているのに、景虎軍からの攻撃とは・・・

以下、魚沼市HPより引用

天正6年(1578)、関東から北条氏政の軍勢が攻めてきた際に、上杉景勝方の福王寺重綱が板木城を守り、北条軍を破って撤退させたと伝わっています。

上杉謙信が亡くなった後に起こった「御館の乱」の中の一戦です

謙信は実子がいなかったので、上杉景勝と上杉景虎と二人の養子をむかえていましたが、家督後継をめぐって争いが起きたのです

上杉景虎とは、北条氏康の実子・北条三郎

上杉と北条が同盟を結び、その証として三郎は上杉謙信の養子となり景虎を名乗りました

魚沼市HPにある、小杉城に攻めてきた北条氏政は北条氏康の実子なので景虎とは兄弟

新潟のあちらこちらで景勝方と景虎方の戦いが起こり、上田荘である板木城でも景虎支援にやってきた北条軍と攻防が繰り広げられたのです

福王寺重綱とは 

北条軍と板木城で対戦した福王寺重綱は上杉謙信の父・長尾為景の家臣

魚野川と破間川が合流する地点位置する山城、下倉城の城主でしたが、御館の乱では防備のため板木城へ移ります

景勝勝利後、福王寺家はじめ上田長尾家臣たちは重用され、景勝が米沢藩領主となった後も家臣(五十騎組)として上杉家につかえ続けます

話を戻し・・・

板木城の戦いで福王寺重綱は負傷しました

この時、上杉家家臣で上条上杉氏当主・上条政繁の妻が、福王寺重綱の功績を褒め、傷を労る内容の書状を送っています

堀之内町史 資料編/上巻より引用

きやすまり候、やかてやかてなともめさるへく候、手ぬひのきぬ一まいまいらせ候、あハれきにあひ候て、めさるへく候、い上、

そのこ、きすいかかに候哉、こころもとなくそんしおり候、たたたたやうしょうひとすちかんよふに候

=湯ですね

手ぬいのきぬ一まい・・・湯帷子だったりして?

湯帷子は、あくまで想像

奥方は傷を癒すために、福王寺重綱に湯治をおすすめしたのでしょうか?

板木山(板木城跡)より権現堂山


今日のイラスト、板木山(板木城跡)から望む権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山

板木城山から権現堂山を望む方向には、先日のイラストで紹介した折立温泉遊歩道があります

そう、国道352号線沿いの魚沼温泉エリア

薬師温泉-折立温泉-大湯温泉-栃尾又温泉

福王寺重綱さん、魚沼のどこかの温泉で傷を癒やした・・・のかもしれません

福王寺重綱湯治の話は、あくまで個人的な想像話です

そうだったら・・・の話ですが

中世の歴史に思いを馳せながら、板木城跡こぶしのみちを散策し、魚沼温泉エリアで汗を流す、なんて良いですね

2026年4月18日土曜日

上権現堂山から唐松山を望む

 

上権現堂山から唐松山を望む

平成3(1991)年、4月28日 スケッチ

上権現堂山は魚沼市にある標高998mの山

下権現堂山(標高897m)とともに、権現堂山と呼ばれています

唐松山は魚沼市にある標高1079mの山

上権現堂山から唐松山へ向かうことができます

2026年4月17日金曜日

下権現堂より



下権現堂より・・・桧岳 百字が岳 毛猛山

平成5(1993)年、4月11日 スケッチ

下権現堂山は魚沼市にある標高897mの山

上権現堂山(標高998m)とともに、権現堂山と呼ばれています

桧岳(1383m)、百字ヶ岳(1442m)、毛猛山(1517m)は

スケッチブック左側に描いていたのかな?


2026年4月16日木曜日

権現堂山より八海山

 

権現堂山より八海山

平成14(2002)年、4月8日 スケッチ

権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山

美しい花々と、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)の眺望を楽しむことができます

上権現堂山の稜線を東に進むと、猫岩-唐松山があります

2026年4月15日水曜日

大力山より唐松山


大力山より唐松山

平成5(1993)年、4月18日 スケッチ

大力山は魚沼市にある標高504mの山

魚沼アルプス周遊コースにある山で、山頂からの見晴らしがとても良く、遠方の山々まで望むことができます

唐松山は魚沼市にある標高1079mの山

山頂稜線の西側には、奇岩「猫岩」があります

猫の顔に見えるかは・・・

2026年4月14日火曜日

黒禿の頭より【平成17年4月5日】

黒禿の頭より

平成17(2005)年、4月5日 スケッチ

黒禿の頭は魚沼市にある標高770mの山

大力山や笠倉山、駒の頭やトヤの頭などをめぐる「魚沼アルプス周遊コース」内に黒禿の頭があります

1000m以下の里山ですが、眺めがとてもよく、八海山や越後駒ヶ岳も望めます

イラスト遠望は、桧岳と毛猛山でしょうかね