魚沼工房
登山をしたときの風景や野草のスケッチや日本の祭りのスケッチ、日本の風習や文化についての雑記など、不定期(ゆっくり)ですが掲載しています
2026年4月27日月曜日
唐松山より雲上・越後駒ヶ岳
2026年4月26日日曜日
2026年4月25日土曜日
権現堂山より守門岳を見る
権現堂山より守門岳を見る
平成元(1989)年、4月2日 スケッチ
権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山
守門岳は魚沼市、三条市、長岡市にまたがる標高1537.2mの山
若き日の上杉謙信に愛された山と言われています
若き日の上杉謙信(長尾景虎)は、栃尾城(現在の長岡市栃尾地域)で過ごしていました
栃尾城の本丸は眺望がよく、守門岳など山々を望めるので、景虎(謙信)も守門岳を眺めていたのではないか、ということで「謙信公に愛された守門岳」といわれているのです
天文(1548)年、景虎は長尾家の家督を継いで春日城に移りますが、晴景方についていた上田長尾(長尾政景)が反乱を起こし、先日の【板木山(板木城跡)より権現堂山を望む】で紹介したように板木城での戦いが起こります
山々は武士たちの姿を静かに眺めていたのでしょうかね・・・
2026年4月19日日曜日
板木山(板木城跡)より権現堂山を望む
板木山(板木城跡)より権現堂山
平成5(1993)年、4月18日 スケッチ
板木山(板木城跡)は魚沼市にある357mの山
大力山から板木城跡へと続く道は、中部北陸自然歩道のひとつ「板木城跡こぶしのみち」のルートとなっていて、その名の通り、春になるとこぶしが咲き誇り登山者を楽しませてくれます
中部北陸自然歩道とは
中部北陸自然歩道は新潟県から滋賀県まで中部北陸8県それぞれの自然や景観、歴史、建造物を楽しみながらトレイルできる環境省が整備した歩道
以下、環境省HPより引用
新潟県山北町から滋賀県大津市までの雄大な山岳景観や日本海景観など多様性に富んだ歩道で、多くの人々が四季を通じて手軽に楽しく歩くことにより、その地域の豊かな自然、歴史や文化に触れ、自然保護に対する意識を高めることを目的として、平成7年度から整備を始め、平成13年春に完成しました。
中部北陸8県(新潟県、群馬県、富山県、石川県、福井県、長野県、岐阜県及び滋賀県)にまたがる旧街道の北国街道、三国街道、中山道をメインルートとした延長4,092kmです。
「板木城跡こぶしのみち」は、中部北陸自然歩道のルートナンバーE-5
佐梨バス停-円福寺-林泉庵-宝泉寺-大力山山頂-板木城跡-西福寺-虫野上口バス停
を巡る11.2kmの区間
春はこぶしだけではなく、可憐な山野草の開花も楽しめます
板木城跡とは
城跡の名の通り、板木山(板木城跡)は、郭跡、空堀、土塁などが残る中世の城跡
魚沼市の指定文化財(史跡)となっていて、魚沼市と南魚沼市の境に位置しているので、魚沼市では板木城、南魚沼市では雷土城と呼ばれています
板木城の築年は不明ですが、天文20(1551)年に板木城で攻防があったという記録が残っています
長尾景虎(のちの上杉謙信)と上田長尾(政景方)との間で戦が起こり、景虎軍に政景の家臣・発智長芳の居城が攻めたてられました
これを防いだ発智を賞賛する手紙に「板木城」の名前がでてくるそうです
参考:図解 にいがた歴史散歩 小千谷・北魚沼・古志
ただ、またしても板木城は景虎方から攻撃を受け陥落、景虎の猛攻に政景も降伏します
その後、和睦の証として景虎の姉(仙洞院)が政景に嫁ぎ、二人の間に生まれた次男・長尾顕景は、政景の死後、上杉謙信の養子(上杉景勝)となりました
この頃の板木城は、上杉の防衛拠点として機能していましたが、謙信の死後、またも景虎軍から攻撃を受けてしまうのです
上杉謙信(景虎)は亡くなっているのに、景虎軍からの攻撃とは・・・
以下、魚沼市HPより引用
天正6年(1578)、関東から北条氏政の軍勢が攻めてきた際に、上杉景勝方の福王寺重綱が板木城を守り、北条軍を破って撤退させたと伝わっています。
上杉謙信が亡くなった後に起こった「御館の乱」の中の一戦です
謙信は実子がいなかったので、上杉景勝と上杉景虎と二人の養子をむかえていましたが、家督後継をめぐって争いが起きたのです
上杉景虎とは、北条氏康の実子・北条三郎
上杉と北条が同盟を結び、その証として三郎は上杉謙信の養子となり景虎を名乗りました
魚沼市HPにある、小杉城に攻めてきた北条氏政は北条氏康の実子なので景虎とは兄弟
新潟のあちらこちらで景勝方と景虎方の戦いが起こり、上田荘である板木城でも景虎支援にやってきた北条軍と攻防が繰り広げられたのです
福王寺重綱とは
北条軍と板木城で対戦した福王寺重綱は上杉謙信の父・長尾為景の家臣景勝勝利後、福王寺家はじめ上田長尾家臣たちは重用され、景勝が米沢藩領主となった後も家臣(五十騎組)として上杉家につかえ続けます
話を戻し・・・
板木城の戦いで福王寺重綱は負傷しました
この時、上杉家家臣で上条上杉氏当主・上条政繁の妻が、福王寺重綱の功績を褒め、傷を労る内容の書状を送っています
堀之内町史 資料編/上巻より引用
きやすまり候、やかてやかてゆなともめさるへく候、手ぬひのきぬ一まいまいらせ候、あハれきにあひ候て、めさるへく候、い上、
そのこ、きすいかかに候哉、こころもとなくそんしおり候、たたたたやうしょうひとすちかんよふに候
ゆ=湯ですね
手ぬいのきぬ一まい・・・湯帷子だったりして?
湯帷子は、あくまで想像
奥方は傷を癒すために、福王寺重綱に湯治をおすすめしたのでしょうか?
板木山(板木城跡)より権現堂山
2026年4月18日土曜日
上権現堂山から唐松山を望む
上権現堂山から唐松山を望む
2026年4月17日金曜日
下権現堂より
2026年4月16日木曜日
権現堂山より八海山
権現堂山より八海山
平成14(2002)年、4月8日 スケッチ
権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山
美しい花々と、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)の眺望を楽しむことができます
上権現堂山の稜線を東に進むと、猫岩-唐松山があります
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こんにちは、魚沼工房のさとうです。 今日のイラストは、浦佐毘沙門天堂の裸押合い祭のワンシーンです。 ●浦佐毘沙門堂の写真については ⇒ 浦佐毘沙門堂の境内【写真あり】 をご参照くださいね。 さて先日、ササラ擦りのイラストをアップしました。 ⇒ 裸押合い祭の...
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ねぶた祭 今日のイラストは青森ねぶた祭の「ねぶた」です。 ねぶたというのは、練り物の「灯籠」(山車)のことですが、青森のねぶた祭の由来については「青森ねぶた祭オフィシャルサイト」の「知る」「ねぶたの由来」に次のように書かれています。 青森ねぶた祭は、七夕祭り...






