2026年4月19日日曜日

板木山(板木城跡)より権現堂山を望む

 

板木山(板木城跡)より権現堂山

平成5(1993)年、4月18日 スケッチ

板木山(板木城跡)は魚沼市にある357mの山

大力山から板木城跡へと続く道は、中部北陸自然歩道のひとつ「板木城跡こぶしのみち」のルートとなっていて、その名の通り、春になるとこぶしが咲き誇り登山者を楽しませてくれます

中部北陸自然歩道とは

中部北陸自然歩道は新潟県から滋賀県まで中部北陸8県それぞれの自然や景観、歴史、建造物を楽しみながらトレイルできる環境省が整備した歩道

以下、環境省HPより引用

新潟県山北町から滋賀県大津市までの雄大な山岳景観や日本海景観など多様性に富んだ歩道で、多くの人々が四季を通じて手軽に楽しく歩くことにより、その地域の豊かな自然、歴史や文化に触れ、自然保護に対する意識を高めることを目的として、平成7年度から整備を始め、平成13年春に完成しました。

中部北陸8県(新潟県、群馬県、富山県、石川県、福井県、長野県、岐阜県及び滋賀県)にまたがる旧街道の北国街道、三国街道、中山道をメインルートとした延長4,092kmです。

そのうち新潟県のルートは総延長451.3km、全43コース

「板木城跡こぶしのみち」は、中部北陸自然歩道のルートナンバーE-5

佐梨バス停-円福寺-林泉庵-宝泉寺-大力山山頂-板木城跡-西福寺-虫野上口バス停

を巡る11.2kmの区間

春はこぶしだけではなく、可憐な山野草の開花も楽しめます

板木城跡とは

城跡の名の通り、板木山(板木城跡)は、郭跡、空堀、土塁などが残る中世の城跡

魚沼市の指定文化財(史跡)となっていますが、魚沼市と南魚沼市の境に位置しているので、魚沼市では板木城、南魚沼市では雷土城と呼ばれています

築年不明ですが、上杉長尾氏の当主・長尾政景の家臣・発智長芳が居城していました

天文20(1551)年、上田長尾(政景方)についていた宇佐美満が長尾景虎(のちの上杉謙信)方についたことをきっかけに戦いが起こり、発智長芳が守る板木城は景虎方から攻撃されます

その後、政景と景虎の間で和睦がなされるのですが、証として景虎の姉(仙洞院)が政景に嫁いだといわれています

そして政景の死後、政景と仙洞院の次男・長尾顕景が上杉謙信の養子(上杉景勝)となり

さらに時を経て

上杉謙信の死後、再び板木城はまたも景虎軍から攻撃を受けるのです

上杉謙信(景虎)は亡くなっているのに、景虎軍からの攻撃とは・・・

以下、魚沼市HPより引用

天正6年(1578)、関東から北条氏政の軍勢が攻めてきた際に、上杉景勝方の福王寺重綱が板木城を守り、北条軍を破って撤退させたと伝わっています。

上杉謙信が亡くなった後に起こった「御館の乱」の中の一戦

謙信には実子がいなかったため、上杉景勝と上杉景虎が家督の後継をめぐって争いが起きたのです

このときの景虎とは、北条氏康の実子である北条三郎

上杉と北条が同盟を結び、その証として三郎は上杉謙信の養子となり景虎を名乗りました

魚沼市HPにある、小杉城に攻めてきた北条氏政は北条氏康の実子なので景虎と兄弟

新潟のあちこちで景勝方と景虎方の戦いが起こり、景虎支援のためやってきた北条氏と、上田荘である板木城でも攻防が繰り広げられたのです

福王寺重綱とは 

北条軍と板木城で対戦した福王寺重綱は上杉謙信の父・長尾為景の家臣

魚野川と破間川が合流する地点位置する山城、下倉城の城主でしたが、御館の乱では防備のため板木城へ移り北条と戦いました

その後、景勝が勝利

福王寺重綱をはじめ上田長尾家臣たちは重用され、景勝が米沢藩領主となった後も家臣(五十騎組)として上杉家につかえ続けます

話を戻し・・・

板木城の戦いで福王寺重綱は負傷しました

この時、上杉家家臣で上条上杉氏当主・上条政繁の妻が、福王寺重綱の功績を褒め、傷を労る内容の書状を送っています

堀之内町史 資料編/上巻より引用

きやすまり候、やかてやかてなともめさるへく候、手ぬひのきぬ一まいまいらせ候、あハれきにあひ候て、めさるへく候、い上、

そのこ、きすいかかに候哉、こころもとなくそんしおり候、たたたたやうしょうひとすちかんよふに候

=湯ですね

手ぬいのきぬ一まい・・・湯帷子だったりして?

あくまで想像

奥方は傷を癒すために、福王寺重綱に湯治をおすすめしたのでしょうか?

板木山(板木城跡)より権現堂山


今日のイラスト、板木山(板木城跡)から望む権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山

板木城山から権現堂山を望む方向には、折立温泉遊歩道があります

そう、国道352号線沿いの魚沼温泉エリア

薬師温泉-折立温泉-大湯温泉-栃尾又温泉

福王寺重綱さん、魚沼のどこかの温泉で傷を癒やした・・・のかもしれません

福王寺重綱さん湯治の話は、あくまで個人的な想像話ですからね

そうだったら・・・の話ですよ

中世の歴史に思いを馳せながら、板木城跡こぶしのみちを散策し、魚沼温泉エリアで汗を流してみてはいかがでしょうか

2026年4月18日土曜日

上権現堂山から唐松山を望む

 

上権現堂山から唐松山を望む

平成3(1991)年、4月28日 スケッチ

上権現堂山は魚沼市にある標高998mの山

下権現堂山(標高897m)とともに、権現堂山と呼ばれています

唐松山は魚沼市にある標高1079mの山

上権現堂山から唐松山へ向かうことができます

2026年4月17日金曜日

下権現堂より



下権現堂より・・・桧岳 百字が岳 毛猛山

平成5(1993)年、4月11日 スケッチ

下権現堂山は魚沼市にある標高897mの山

上権現堂山(標高998m)とともに、権現堂山と呼ばれています

桧岳(1383m)、百字ヶ岳(1442m)、毛猛山(1517m)は

スケッチブック左側に描いていたのかな?


2026年4月16日木曜日

権現堂山より八海山

 

権現堂山より八海山

平成14(2002)年、4月8日 スケッチ

権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山

美しい花々と、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)の眺望を楽しむことができます

上権現堂山の稜線を東に進むと、猫岩-唐松山があります

2026年4月15日水曜日

大力山より唐松山


大力山より唐松山

平成5(1993)年、4月18日 スケッチ

大力山は魚沼市にある標高504mの山

魚沼アルプス周遊コースにある山で、山頂からの見晴らしがとても良く、遠方の山々まで望むことができます

唐松山は魚沼市にある標高1079mの山

山頂稜線の西側には、奇岩「猫岩」があります

猫の顔に見えるかは・・・

2026年4月14日火曜日

黒禿の頭より【平成17年4月5日】

黒禿の頭より

平成17(2005)年、4月5日 スケッチ

黒禿の頭は魚沼市にある標高770mの山

大力山や笠倉山、駒の頭やトヤの頭などをめぐる「魚沼アルプス周遊コース」内に黒禿の頭があります

1000m以下の里山ですが、眺めがとてもよく、八海山や越後駒ヶ岳も望めます

イラスト遠望は、桧岳と毛猛山でしょうかね


2026年4月11日土曜日

湯之谷村 早春 未丈ヶ岳

湯之谷村 早春 未丈ヶ岳

 平成2(1990)年、4月 スケッチ

未丈ヶ岳は魚沼市にある標高1553mの山

先日イラストで紹介した魚沼市にある日向倉山(標高1430m)と同じく、未丈ヶ岳も藪山で登山道がないため、残雪期限定の山といわれています

そして、未丈ヶ岳と日向倉山は稜線をつたっての縦走が可能

ただし、雪庇崩れ、雪崩のリスクあり ご注意を

ちなみに、湯之谷村は北魚沼郡にあった村です

平成16(2004)年11月1日に合併で魚沼市となりました

薬師温泉-折立温泉-大湯温泉-栃尾又温泉―駒の湯温泉

の温泉郷がある場所です