2021年5月7日金曜日

われ三度目にて妙義山に遊び、 去つて榛名山の麓を過ぎて、 赤城山に上りぬ



明治四十一年十月の末、
われ三度目にて妙義山に遊び、
去つて榛名山の麓を過ぎて、
赤城山に上りぬ。

―大町桂月 『赤城山』より―

2021年5月4日火曜日

山へ入る日の朝は、あわただしいものである



山へ入る日の朝は、あわただしいものである。
いくら前から準備していても、前の晩にルックサックを詰めて置いても、いざ出発となると、きっと何か忘れ物があったのに気がつく。
忘れ物ではなくとも、数の足りぬ物があるような気がしたりする。

―石川欣一 『可愛い山』より―

2021年5月3日月曜日

越後国の人々はこの雪の三国峠を草鞋をはいて越え、 上州や武州の江戸村の方へ稼ぎに出て行った




上越線が開通する以前、
恐らく数百年前から、
越後国の人々はこの雪の三国峠を草鞋をはいて越え、
上州や武州の江戸村の方へ稼ぎに出て行った。

―佐藤垢石 『わが童心』より―

2021年4月30日金曜日

枝折峠の嶺上を去ると荒沢岳が前面に現われて来る



枝折峠の嶺上を去ると荒沢岳が前面に現われて来る、
路は一方下りとなって駒と中ノ岳が右に残雪を光らしている、
峠を下り尽くすと銀山平の地となるのである

―高頭仁兵衛 『平ヶ岳登攀記』より―

2021年4月29日木曜日

唐松の遅き芽ぶきの上を

 



堀君 一

唐松の遅き芽ぶきの上を
夏時雨 はるかに過ぎて――
黄にけぶる 山の入り日

―折口信夫 『かげろふの日記』より―

2021年4月28日水曜日

蒜摘つみにわたしの行く道の 香ばしい花橘の樹



さあお前まえたち、野蒜摘つみに
蒜摘つみにわたしの行く道の
香ばしい花橘の樹、
上の枝は鳥がいて枯らし
下の枝は人が取つて枯らし、
三栗のような眞中の枝の
目立つて見える紅顏のお孃さんを
さあ手に入れたら宜いでしよう。

―『現代語譯 古事記』より―

2021年4月27日火曜日

山から帰る心は浄められている



山から帰る心は浄められている。
謂ゆる六根清浄である。
この清く健かになった心を持って、新しく地上の生活に参加し活動する。
そうして又彼の天の高きにあこがれ、登山の楽みを今年も試みようとする。

―与謝野晶子 『高きへ憧れる心』より―

2021年4月26日月曜日

山頂に宿って燦爛として且つ静粛な夜天の星群を望むと、 心も身も共に浄まる気がする



実際に我我のような平凡人でも、
山頂に宿って燦爛として且つ静粛な夜天の星群を望むと、
心も身も共に浄まる気がする。

―与謝野晶子 『高きへ憧れる心』より―

2021年4月25日日曜日

山頂は風に光る


かなしければぞ、
眺め一時にひらかれ、
あがつまの山なみ青く、
いただきは額に光る。
ああ尾ばな藤ばかますでに色あせ、
手にも料紙はおもたくさげられ、
夏はやおとろへ、
山頂は風に光る。

―萩原朔太郎 『山頂』―

2021年4月24日土曜日

お藥はあんな高い山の土の中にも藏つてあるのですね



御嶽山の方はうから歸る人達は、お百草といふ藥をよく土産に持て來ました。
お百草は、あの高い山の上で採れるいろ/\な草の根から製した練藥で、それを竹の皮の上に延べてあるのです。
苦い/\藥でしたが、お腹の痛たい時なぞにそれを飮むとすぐなほりました。
お藥はあんな高い山の土の中にも藏つてあるのですね。

―島崎藤村 『ふるさと』より―

2021年4月23日金曜日

関東地方では遠戸神・近戸神という神様が無数にある



関東地方では遠戸神・近戸神という神様が無数にある。
奥羽の方へ行けば近戸森、遠戸森と変形する。
伯爵藤堂家は近江から出た家であるが、この「トウド」もまた遠戸神の祭場のことである。

―柳田國男 『名字の話』より―

2021年4月22日木曜日

鷲ヶ巣山、光鷺山、伊東岳、泥股山などの大山高岳に取囲まれて、全くの別世界



平家の落武者がこの里に隠れ住む事歳久しく、全く他郷との行通を絶って、桃源武陵の生活をしていたのだけれど、たまたま三面川に椀を流したのから、下流の里人に発見されたという、そうした伝説が有るのであった。

鷲ヶ巣山(わしがすやま)、光鷺山(みつさぎやま)、伊東岳(いとうだけ)、泥股山(どろまたやま)などの大山高岳に取囲まれて、全くの別世界。

―江見水蔭 『壁の眼の怪』より―

2021年4月21日水曜日

それも善いことだ、誰にもとゞかれない、あんな高い處に、何かゞ懸つてるといふことは――



そこで年寄たちが出なければならなかつた。そのうちの一番年長者はライフの方へ手を出しながら言つた――
「これは馬鹿げたことだつた。けれども――」
と、彼は言ひ足した。
「それも善いことだ、誰にもとゞかれない、あんな高い處に、何かゞ懸つてるといふことは――」

―Bjornstjerne Bjornson 『鷲の巣』より―