2021年5月30日日曜日

駒ヶ岳は孤独な肩をそびやかし、 空の青い深い静けさを、 その存在で護って立っているように見えた



駒ヶ岳は孤独な肩をそびやかし、
空の青い深い静けさを、
その存在で護って立っているように見えた。

―三島由紀夫 『沈める瀧』より―

2021年5月21日金曜日

五月のある日、しぶしぶ雨が降る昼でした



五月のある日、しぶしぶ雨が降る昼でした。
淵の魚はさぞ待っているだろうと、昭青年は網代笠を傘の代りにして淵へ生飯を持って行きました。
川はすっかり霧で隠れて、やや晴れた方の空に亀山、小倉山の松の梢だけが墨絵になってにじみ出ていました。

―岡本かの子 『鯉魚』より―

2021年5月18日火曜日

大天井岳の前にて常念道、喜作新道の岐れ道あり



大天井岳の前にて常念道、喜作新道の岐れ道あり、
そこにルックザックを置き、大天井頂上を極む。
三角点にて万歳三唱、豪壮なる穂高連峰、
谷という谷に雪を一杯つめ、毅然とそびえたるを見、感慨無量なり、
もとの道に引返しルックザックをかつぎ喜作新道を進む。

―加藤文太郎 『単独行』より―

2021年5月17日月曜日

どれを見せても、宿屋の主人は「それもウツギの一種です」と言ふものだから、しまひには、可い加減のことばかり言ふのだらうと思つて、もう訊かないことにした



僕は散歩の途中に見知らない花が咲いてゐると、一枝折つてきては宿屋の主人にその名前を訊くやうにしてゐたが、どれを見せても、宿屋の主人は「それもウツギの一種です」と言ふものだから、しまひには、可い加減のことばかり言ふのだらうと思つて、もう訊かないことにした。
さうして東京から「原色高山植物」といふものを取りよせて、それで調べて見たが、僕が宿屋の主人に見せた花はやはりいづれもウツギの一種だつたのでびつくりした。
もつとも、ベニウツギだとか、バイクワウツギだとか、さまざまな特有の名前がついてはゐたが……。

―掘辰雄 『フローラとフォーナ』より―

2021年5月16日日曜日

2021年5月15日土曜日

こと仕事に対しては、もう少しヘソ曲がりが増えてもよいのではなかろうか



人間に対しては素直な方がよいが、
こと仕事に対しては、もう少しヘソ曲がりが増えてもよいのではなかろうか。

―後藤清一―

2021年5月14日金曜日

谷川岳は美しい山だ



谷川岳は美しい山だ。
私の故郷はあの山の向う側にあるので、その往復に車窓から眺めながら、季節々々にいつも美しい山の姿に見とれることが多かった。
とりわけ冬は美しいが、それはあらゆる山がそうなのだろう。
目には親しい山であるが、私はまだこの山に登ったことはない。

―坂口安吾 『我が人生観』より―

2021年5月13日木曜日

眺望がよろしい、白馬連山が地平を白く劃つてゐる



お山へ登る、老樹うつさうとして小鳥がしきりに囀づる。
頂上十二丁目、大正十二年八月摂政宮殿下御登臨之処といふ記念碑が建てられてある、
眺望がよろしい、白馬連山が地平を白く劃つてゐる。

―種田山頭火 『旅日記』より

2021年5月12日水曜日

焼山の蝙蝠は、糸魚川方面からは、分明に見えるというし



焼山の蝙蝠は、糸魚川方面からは、分明に見えるというし、米山に鯉があらわれると、魚が漁れないという諺もある、頸城郡の黒姫山の寝牛、同じく白鳥山の鳥など、雪の国だけあって、山と雪の関係は、何か神話の材料にでもなりそうである。

―小島烏水 『雪の白峰』より―

2021年5月11日火曜日

從來の小倉百人一首に萬葉歌人のものとして入つてゐる和歌の數首に過ぎないのに比して、非常なる相違と謂はねばならない

 



かくの如くにして選定せられた萬葉集の歌は二十三首ばかりである。
して見れば百人一首中の約四分の一を占め、從來の小倉百人一首に萬葉歌人のものとして入つてゐる和歌の數首に過ぎないのに比して、非常なる相違と謂はねばならない。

―齋藤茂吉 『愛國百人一首に關聯して』より―

2021年5月10日月曜日

この地盤は、実は上下にも水平にも絶えず動いているのでございます



ちょっとお考えになりますと、
なに、そんなにこの地盤が上がったり下がったりしてたまるものかと御心配になられるかも知れませんが、この地盤は、実は上下にも水平にも絶えず動いているのでございます。

よく、「動かざること山の如し」と言われたのは、ごく短時間、しかもごく大ざっぱに観察してのことで、今日、精密な測量の結果は、明らかに大地の隆起沈降を証明いたしております。

中仙道を初め、三州街道や糸魚川街道、さらに北信では、あの千曲川から信濃川に沿って、その道路上に二キロ毎に設けられてあります水準点の高さの変動を測って見ますと、わずか三〇年そこそこの間にさえ、場所によっては二〇〇ミリも隆起している地方があり、また一〇〇ミリ近くも沈降している地方もございます。

―三澤勝衛 『自力更生より自然力更生へ』より―

2021年5月9日日曜日

年を経た松や桧や杉、 梧桐や柏の喬木が、 萩や満天星や櫨などの、 灌木類とうちまじり



同じ野を越したこちらには、
荒れた野の宮を中心にして、
年を経た松や桧や杉、
梧桐や柏の喬木が、
萩や満天星や櫨などの、
灌木類とうちまじり、
苔むした岩や空洞なった腐木が、
それの間に点綴され、
そういうおそろしい光景を、
焚火の光が幽かに照らし、
幽暗とした他界的な、
非人間的なたたずまいを、
現出させているではないか。

―国枝史郎 『あさひの鎧』より―