2017年7月3日月曜日
何れ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)
何れ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)。
五月雨に 沢辺の真薦 水越えて いづれ菖蒲と 引きぞ煩ふ
「太平記」の中にある記述で、源頼政が鵺(ぬえ)を退治した褒美に、鳥羽院から菖蒲(あやめ)前という美女を賜るとき、十二人の美女の中から選び出すように言われ、美人揃いだったため選びかねて詠んだ歌といわれています。
近衛天皇在位のとき、毎晩、丑の刻(午前2時)に御殿の屋根を黒雲が覆うという出来事が起こった。警護をまかされた源頼政は、雲の中に怪しい影があるのに気付き矢を放ったところ、頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という怪物が落ちてきた。これを退治した源頼政は、獅子王という御剣を天皇から賜ったという。
源頼政は源義朝について戦い、その後、義朝が起こした平治の乱では平清盛の味方となり、平家の横暴をみかねて平家を打つために挙兵しようとしますが、事前に発覚し、平等院で自害しました。
アヤメかカキツバタか、迷い迷われての人生だったのでしょうか?
それとも、知っていて、迷ったふりをして、世の流れに乗って動いたのか。
75歳以上生きた方のようですから、後者かもしれませんね。
さて、アヤメとカキツバタとショウブの見分け方ポイントは、生えているところが違うということ。
アヤメは乾いたところ。
カキツバタは水辺。
ショウブは湿地。
もう一つは、花の中央にある筋の色。
アヤメは黄色と紫の縞目模様。
カキツバタは白いすじ。
ショウブは黄色いすじ。
あとは、葉っぱの形が、アヤメが細くて平ら。カキツバタが幅広く平ら。ショウブは葉っぱの中央に太い筋があります。
ということで。とよじいのイラストがアヤメかカキツバタかショウブかわかりませんでしたが(汗)。
真ん中に白い線があるので、カキツバタかなということで。
違っていたら、教えてください(*^_^*)
2017年5月2日火曜日
佐渡島 鬼太鼓のイラスト
今日のイラストは、佐渡島を代表する伝統芸能「鬼太鼓」のラフ画です。
「おにだいこ」ではなく「おんでこ」と読みます。
鬼太鼓は佐渡島の各地区で様々な形式があり、約120地区で鬼太鼓が伝えられていると言われています。
いくつか流派があり、一対の鬼が躍るものや、鬼がいない鬼太鼓(豆まき流)など形が違い、それぞれ見どころがあります。
4月になると、各集落で祭りが開催され、鬼太鼓が披露されます。
「え? 4月開催なの?」
5月の連休、GWが明日からスタートしますので、このお休みに鬼太鼓を見に行こう!
と思われたかもしれませんよね(私もです)。
鬼太鼓は4月披露がピークのようです(汗)が!
両津の若宮さん「八幡若宮社例大祭」が、5月5日に開催され、そちらで鬼太鼓が披露されます!
大祭「湊祭り」では鬼太鼓のほか。獅子、神輿、芸山車が繰り出し、見どころ満載です。
ちなみに、佐渡は能も盛んな地域で、世阿弥とも縁がある島です。
各地に能舞台が点在しており、春から夏にかけては薪能が開催されます。
5月6日には両津薪能が行われるので「八幡若宮社例大祭」と一緒に見学されてみてはいかがでしょうか?
話しを、鬼太鼓に戻しますね。
鬼太鼓の鬼は雄雌があり、舞の形が違います。また、面の形や衣装や髪の毛の色も違っています。
仁王様や狛犬と同じように、口が「あ」「うん」の形で異なります。
雄⇒「吽 うん」 口を閉じうる。
雌⇒「阿 あ」 口を開けている。
面の色は、雄が黒で雌が赤。
髪の毛(舎熊 しゃぐま)は、雄が黒で雌が白系。
衣装の上着が雄が紫などで、雌が赤系。
面は憤怒の業に見えるので、雄雌どちも雄に見えますが。
あ、でも。鬼女というだけあるから、どっちも雌に見える……が正しいのかな?
佐渡の鬼太鼓は歴史深く、由縁もあり、興味深い伝統芸能です。
GWに開催されるイベントなどについて、以下に記載させていただきます。
よろしければ是非、佐渡に足を運んでみてくださいね♪
【八幡若宮社例大祭 湊祭り】
開催日:5月5日
開催地:佐渡市両津湊213(八幡若宮神社)
アクセス:両津港から車で約1分
※鬼太鼓、神輿、芸山車など猟師町の雰囲気あふれる例祭。
【天領佐渡両津薪能】
開催日:5月6日 19:30から
開催地:佐渡市原黒724(椎崎諏訪神社能舞台)
アクセス:両津港から車で約5分
料 金:1,000円(運営協力金として)
演 目:羽衣~盤渉~
※薪能ライナーバスが運行されます(佐和田BS~金井~椎崎諏訪神社)
ライナーバスを利用する場合は、前日の17時までに「新潟交通佐渡」へお申込みください。
新潟交通佐渡 TEL:0259-52-3200 乗車運賃500円
【鼓童 佐渡宿根木公演2017】
佐渡発のパフォーマンス集団「鼓童」が、佐渡「宿根木」で、連続公演を開催中です。
開催日:4月29日~5月6日 11:00~,14:30~
開催地:佐渡市宿根木(宿根木公会堂)
アクセス:小木港から車で約10分
料 金:3,500円(中学生以上)1,500(4歳~小学生) ※当日は300円プラス
【佐渡國鬼太鼓どっとこむ】
佐渡の伝統芸能が一堂に会するイベント。地元特産品の販売もあります。
開催日:5月28日
開催地:佐渡両津湊 おんでこドーム
アクセス:両津湊より車で約1分
2017年4月27日木曜日
桜のイラスト
桜も季節が終わり、花が散ってしまいましたね。
浦佐毘沙門堂の隣、千住院の樹齢200年の垂れ桜が見ごろ(ちょい過ぎ)で、夜間もライトアップされているようです。
4月第一週に浦佐毘沙門堂に行ったときは、まだまだ何もない状態でした。
枝垂桜の幹に巻いていたのでしょうか? ゴザが河川の手すりで虫干しされていました。
桜というと花の盛りが綺麗ですが、葉桜になって、残っている花が風に飛ばされ、チラチラと散っていく姿も美しいと思います。
2017年3月14日火曜日
三国街道のルートと宿駅について【イラスト:栃原峠】
浦佐毘沙門堂の裸押合い祭や、毘沙門市について調べていたとき、浦佐と堀之内が三国街道の宿場だったと初めて知りました。
「浦佐毘沙門堂の毘沙門市」の「縮の販売で堀之内とトラブル!?」
実家裏山奥方面に三国街道が通っていて、現在も散策コースになっているということも初めて知りました。
「とよじいも登っていないたかな?」と思って、イラスト在庫を調べたところ、ありましたよ~♪
三国街道の栃原峠、FM塔付近です。
※1枚の絵を2回に分けてスキャンしているため、ツギハギ部分の色が変わっています、ごめんなさい。
原画は色の変化はないので、スキャン技術とツギハギ技術を高めて、原画のままアップできるようにしたいです。
栃原峠は三国街道を堀之内宿から浦佐宿に行く途中にある峠道です。
万治元年(1658年)に、高田藩により開拓されたと言われています。
いまでも、街道の名残である、茶屋や石仏などの史跡があちこちに残っています。
首なし地蔵という、ちょっとオドロオドロしい史跡もあるようですよ。
雪が溶けたら、散策してみたいです。
余談ですが……。
三国街道途中の大峠である、群馬県みなかみ町と新潟県湯沢町を越える三国峠。
こちらは、中世(鎌倉時代から安土桃山時代)ころから、存在していました。
山頂には、三国権現が祀られていますが、ここでも坂上田村麻呂が登場します!
昔、白根山の悪鬼が上野・信濃・越後の三国に飛行して悪行を繰り返していた。
そこで、坂上田村麻呂が討伐に鬼を討伐に訪れ、悪鬼降伏を祈念して三神を勧請した。
浦佐毘沙門堂も807年(大同2年)に坂上田村麻呂が建立したと言われています。
東北に向かうとき、坂上田村麻呂も三国峠や三国街道を通ったのでしょうかね。
毘沙門堂と坂上田村麻呂の関係については、こちらの記事で♪
「浦佐毘沙門堂裸押合い祭「年男」と毘沙門天像の関係」
さて、話を三国街道に戻します。
三国街道は江戸幕府の政策の一環として、東海道、中山道、日光道、奥州道、甲州道の五街道に次ぐ街道とされ整備された街道です。
三国街道という名前の由来は、利根郡新治村の三国峠を通過していることからつけられたと言います。
江戸幕府にとって、三国街道は佐渡や魚沼の上田銀山からの金銀を運ぶための重要なルートでした。
金銀を産出する佐渡との連絡路として、三国街道は北国街道、会津街道と並んで佐渡三道に定められていました。
街道の整備を行ったのは、江戸時代に天狗岩堰用水の延長の備前堀を手がけた、伊奈備前守忠次。
伊奈氏は代々、徳川幕府の土木をつかさどった家柄です。
幕府直轄で宿駅制が実施されたのが慶長14年。
そして、翌年15年には宿駅の制度がほぼできあがりました。
三国街道は中山道を高崎で分岐し、
金古→渋川→金井→北牧→横堀→中山→塚原→布施→
須川→相俣→吹路→長井→(三国峠)→浅貝→
二居→三俣→湯沢→関→塩沢→六日町→五日町→
浦佐→堀之内→川口→妙見→六日市→長岡→脇ノ町→
出雲崎→山田→寺泊と続いた道筋です。
距離にして、高崎から浅貝まで20里
浅貝から長岡まで28里
1里が約3.9kmなので、
高崎から浅貝までが78km、朝貝から長岡までが110kmくらいですね。
並足での所要日数は
江戸から高崎 3日
江戸から浅貝 5日
江戸から長岡 8日
もっと時間がかかるのかなぁ?と思っていましたが、20日ほどで江戸から長岡まで行けるのですね。
とはいえ、江戸から長岡まで歩くとしたら、現代人はもっと日数がかかりますよね、きっと。
昔の人たちは足腰強い、尊敬します!
現代人の私は、歩いて三国街道巡りは厳しいですが、車という文明の力を借りれるので(笑)
車を使って回ってみたいなと思っています♪
ここで、プチ疑問が(*^_^*)
「魚野川や信濃川が流れているんだから、船で移動すればいいんじゃないの?」
と思いますよね。実際、船での移動も行われていましたが!
川が流れる方に進めば楽ですが上るのが大変ですよね(汗)
六日町から魚野川下流には河岸場が設定され、下りの場合は船を利用することが多かったそうです。
上りは歩いたほうが楽だったようです。
金銀の運搬だけではなく、商人や武人など様々な人が三国街道を通って江戸と越後を行き来していました。
その人々の物語については、また後日。
「浦佐毘沙門堂の毘沙門市」の「縮の販売で堀之内とトラブル!?」
実家裏山奥方面に三国街道が通っていて、現在も散策コースになっているということも初めて知りました。
「とよじいも登っていないたかな?」と思って、イラスト在庫を調べたところ、ありましたよ~♪
三国街道の栃原峠、FM塔付近です。
※1枚の絵を2回に分けてスキャンしているため、ツギハギ部分の色が変わっています、ごめんなさい。
原画は色の変化はないので、スキャン技術とツギハギ技術を高めて、原画のままアップできるようにしたいです。
栃原峠は三国街道を堀之内宿から浦佐宿に行く途中にある峠道です。
万治元年(1658年)に、高田藩により開拓されたと言われています。
いまでも、街道の名残である、茶屋や石仏などの史跡があちこちに残っています。
首なし地蔵という、ちょっとオドロオドロしい史跡もあるようですよ。
雪が溶けたら、散策してみたいです。
余談ですが……。
三国街道途中の大峠である、群馬県みなかみ町と新潟県湯沢町を越える三国峠。
こちらは、中世(鎌倉時代から安土桃山時代)ころから、存在していました。
山頂には、三国権現が祀られていますが、ここでも坂上田村麻呂が登場します!
昔、白根山の悪鬼が上野・信濃・越後の三国に飛行して悪行を繰り返していた。
そこで、坂上田村麻呂が討伐に鬼を討伐に訪れ、悪鬼降伏を祈念して三神を勧請した。
浦佐毘沙門堂も807年(大同2年)に坂上田村麻呂が建立したと言われています。
東北に向かうとき、坂上田村麻呂も三国峠や三国街道を通ったのでしょうかね。
毘沙門堂と坂上田村麻呂の関係については、こちらの記事で♪
「浦佐毘沙門堂裸押合い祭「年男」と毘沙門天像の関係」
さて、話を三国街道に戻します。
三国街道は江戸幕府の政策の一環として、東海道、中山道、日光道、奥州道、甲州道の五街道に次ぐ街道とされ整備された街道です。
三国街道という名前の由来は、利根郡新治村の三国峠を通過していることからつけられたと言います。
江戸幕府にとって、三国街道は佐渡や魚沼の上田銀山からの金銀を運ぶための重要なルートでした。
金銀を産出する佐渡との連絡路として、三国街道は北国街道、会津街道と並んで佐渡三道に定められていました。
街道の整備を行ったのは、江戸時代に天狗岩堰用水の延長の備前堀を手がけた、伊奈備前守忠次。
伊奈氏は代々、徳川幕府の土木をつかさどった家柄です。
幕府直轄で宿駅制が実施されたのが慶長14年。
そして、翌年15年には宿駅の制度がほぼできあがりました。
三国街道は中山道を高崎で分岐し、
金古→渋川→金井→北牧→横堀→中山→塚原→布施→
須川→相俣→吹路→長井→(三国峠)→浅貝→
二居→三俣→湯沢→関→塩沢→六日町→五日町→
浦佐→堀之内→川口→妙見→六日市→長岡→脇ノ町→
出雲崎→山田→寺泊と続いた道筋です。
距離にして、高崎から浅貝まで20里
浅貝から長岡まで28里
1里が約3.9kmなので、
高崎から浅貝までが78km、朝貝から長岡までが110kmくらいですね。
並足での所要日数は
江戸から高崎 3日
江戸から浅貝 5日
江戸から長岡 8日
もっと時間がかかるのかなぁ?と思っていましたが、20日ほどで江戸から長岡まで行けるのですね。
とはいえ、江戸から長岡まで歩くとしたら、現代人はもっと日数がかかりますよね、きっと。
昔の人たちは足腰強い、尊敬します!
現代人の私は、歩いて三国街道巡りは厳しいですが、車という文明の力を借りれるので(笑)
車を使って回ってみたいなと思っています♪
ここで、プチ疑問が(*^_^*)
「魚野川や信濃川が流れているんだから、船で移動すればいいんじゃないの?」
と思いますよね。実際、船での移動も行われていましたが!
川が流れる方に進めば楽ですが上るのが大変ですよね(汗)
六日町から魚野川下流には河岸場が設定され、下りの場合は船を利用することが多かったそうです。
上りは歩いたほうが楽だったようです。
金銀の運搬だけではなく、商人や武人など様々な人が三国街道を通って江戸と越後を行き来していました。
その人々の物語については、また後日。
2017年1月25日水曜日
幻想スケッチラフ画 タイトル:コスモゾーンへ
こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは、とよじいのスケッチブックラフ画から、謎の絵です(笑)
イラストの下部に「コスモゾーン」という文字が見えますね。
コスモゾーンってなに? と思い、ネット検索してみましたよ~。
どうやら、巨匠・手塚治虫が作った言葉のようですね。
「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」というアニメ映画が、手塚先生監修により1980年に公開されています。
「コスモゾーン2772」は未確認宇宙生命体。危機に瀕した地球を救うためのカギを握ってる存在。
とよじいのスケッチは、いつ描かれたのか年月がわかりませんが「歩道橋」にてと書かれています。
歩道橋で思いついたのでしょうか? なぞ~。
先日、テレビ番組の「やりすぎ都市伝説」を観ました。
「信じるか、信じないかは、あなた次第です」のアレです。
人工知能についての紹介が……。
siriやイライザ、ゾロタクスゼイアンなどですね。
気になる方、調べてみてね~♪
「やりすぎ都市伝説」を観る前、ヒストリーチャンネルで「古代の宇宙人」シリーズを観たのですが、そこでも人工知能や、次なる人類(人類の進化)などについて描かれていました。体内にチップを埋め込んで、脳の能力を……のような話です。
人工知能や機械人間というと、映画「ターミネーター」やアニメ「銀河鉄道999」を思い浮かべ、イコール悪という認識を抱いてしまいますが、
人工知能、器械人間も人類の進化の過程なのかなぁと思いました。
どんな方向に向かっていくのか、わかりませんけど
その後、ドラえもんのCGアニメ映画「STAND BY ME ドラえもん」をチラっと見ました。
そこで、はたと気づいたのです。
トラえもんもロボットだ!
でも、私たちはドラえもんをロボットと思っていません。
「STAND BY ME ドラえもん」の中で、大人ののび太が子どもののび太に
「ドラえもんは君の子どもの頃の友達だから」というセリフがありました。
ロボットだけど、友だちなのです。
「やりすぎ都市伝説」の中でも、ゲストの的場浩司がAIについて
「ドラえもんだと思えばいいんだ」と言っていました。
これに対して、ミスター都市伝説の関暁夫が「よかったぁ!」と安堵の声を漏らしました。
関さんは、ずっと都市伝説でAIについて説明してきたけど、理解(このときの的場さんのように)してもらえなかった、といったことを言っていました。
詳しく語れないこともあり、その中で様々な説明を行っていたのだと感じます。
機械との融合やAIとの関係は、ドラえもんとのび太のようなものだと思えばいいのかな、と個人的に思いました。
はっ!
最初に手塚先生の話がでたわけですから、アトムと言うべきだったのかも(汗)
2017年1月22日日曜日
八海山のイラスト 折立温泉遊歩道から望む八海山
Mt.Hakkaisan |
こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは、折立温泉遊歩道から望む、八海山です。
折立温泉遊歩道は、魚沼市の下折立付近にある散策路です。
折立釈迦堂へと繋がる階段を登り遊歩道へと入ります。
標高475mの小高い丘からは、八海山や駒ヶ岳が眺望できます。
U字を描くように丘を散策し、諏訪神社裏にある下折立農村公園にでます。
遊歩道終点付近に「大久保のブナ林」というところがありますが、
こちら、新潟県のブナ林100選に選ばれていますよ。
下折立で調べていましたら「下折立の百八灯雪まつり」の写真を見つけました。
折立温泉「百八灯」 |
毎年3月の第一日曜日に、山の尾根に108の篝火が並ぶそうです。
これ、とよじいがイラスト描いていました!
お正月に帰郷したとき、とよじいの部屋をあさっていたとき、
祭りのイラストの中から出てきたのです。
「この祭り、しらねぇろう(知らないだろう)」と、とよじい自慢げに言っていました!
稲荷大明神に無病息災、五穀豊穣を祈願して、尾根に108の篝火を並べるそうです。
江戸時代から続く伝統行事。幻想的なお祭りですねぇ。
2017年3月第一日曜日だと、3月5日ですね。
「百八灯」のイラストは、後日アップしますね♪
2017年1月20日金曜日
権現堂のイラスト 権現堂の弥三郎バサ
Mt.Hakkaisan |
今日のイラストは、権現堂山から望む「八海山」です。
権現堂、権現堂とよく、とよじいが言っているのですが、
権現堂山は上権現堂と下権現堂とにわかれているのですね。
この山は、弥三郎バサが住んでいる山ではないか!
「悪い子になると、権現堂から弥三郎バサがくる」
子どもの頃に、言われた方も多いのではないでしょうかね。
弥三郎バサがなにものかわからず、恐怖心だけが余計につのるというね。
弥三郎バサの民話は、じつは悲しい物語なのです。
弥三郎という猟師と妻、息子が暮らしていましたが、
弥三郎は雪山に猟に向かい戻ってこなかった。
その息子も猟師になったが、猟から戻ってこなかった。
息子の嫁は悲しみのあまり後を追って死に、
残された乳飲み子を、弥三郎の妻が育てていた。
弥三郎の妻は、孫のために近隣に乳をもらいあるいたが、
最初同情していた村人たちも、しだいに弥三郎の妻をうとましがるようになり、
猟師という職業から殺生による罰とののりし、村八分にされた。
孫は餓死し、弥三郎の妻は鬼と化し、人の子をさらって食らうようになった。
のちに、えらいお坊さんに諭され、弥三郎バサは改心し、
妙多羅天女という名を授かった。
wiki先生によると、 妙多羅天女というのは、
神仏、善人、子供の守護者で、悪霊退散の神。
縁結びの神様でもあるそうです。
新潟県とお隣の山形県で祀られている神様ということ。
弥彦神社に隣接して、 妙多羅天女が祀られているそうですね。
弥三郎バサの伝説は様々あるようで。
猫が弥三郎バサを食って、弥三郎バサになりすましたというものもあります。
弥三郎バサよりも、弥三郎という人物のほうがキーマンかもしれません。
織田信長に小姓として仕えていた、加藤弥三郎という武将がいます。
鎌倉時代の武士、 鳥海弥三郎という方もいますね。
伊吹山(滋賀県)に住んでいた大男、伊吹弥三郎の伝説もありますね。
伊吹弥三郎は富士山を作ったとか!
弥三郎という名前、ポピュラーだったようですね。
かっこいい名前だったのかな、流行の名前。
2017年1月3日火曜日
2016年12月17日土曜日
中大兄皇子は気象予報士だった!? 巻機山のイラスト
今日のイラストは「巻機山」です。
新潟県南魚沼市と群馬県みなかみ町とにまたがる、標高1967mの山です。
四季を通じて登れる山で、登山客に人気があり、リピーターが多いと言われています。
巻機山がなんで、中大兄皇子?
と思われましたよね。
今日のブログは、巻機山の名前について書いています。
巻(まき)の文字に「豊幡雲」という雲が関係しているのですが、
中大兄皇子が詠んだ歌に、豊幡雲という言葉が登場するのです。
ちょっと長くなりますが、よろしければ最後までお付き合いくださいね。
南魚沼市は昔から、織物が盛んでした。
地元の人々は、機織りや養蚕の神として、巻機山を崇拝していたのですね。
機を織る女神がいるとして、昔話や伝説も残されています。
巻機山の御祭神は「天満巻機千里姫」。
こちらの女神様、調べたのですがなかなかお姿を現してくださらない。
ただ、もしかすると、お名前が違っていて「天棚機姫命」なのではないかなと?
天照大神が天の岩戸に閉じこもったとき、誘い出すための文布を織った織物の神様です。七夕の織姫ですね。
他にも、機織りの女神様がいらっしゃいます。
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)です。
姫様たちのお名前がミックスされて「天満巻機千里姫」となったのかな?
機織りが盛んということで、機織りの神様を祭るので「機(ハタ)」の文字がついているのはわかりました。
では、巻機の「巻(マキ)」はどういう意味なのか?
山頂付近にたなびく豊幡雲(とよはたぐも)が山にまきついているように見えることから「巻(マキ)」の文字がつけられたという説もあります。
豊幡雲とは!?
ここで、また知らない言葉がでてきました……豊幡雲ってなんだ?
wiki先生は、皇居の宴会場である豊明殿の壁面に、つづれ織りによる豊幡雲の装飾があると言っています。
また、万葉集でも中大兄皇子(天智天皇)が詠んだ歌に豊旗雲がでてきます。
「海神(綿津海)の 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 清明己曾(さやけくありこそ)」
海神様が空に豊旗雲をたなびかせている、なんと美しい光景だろう。今夜の月もきっと美しいことであろうなぁ。
どうやら、この豊旗雲。近年までどのような雲かわかっていなかったようです。
が!
豊旗雲について、調べた方がいらっしゃいました!
伊藤亀雄さん。日本気象学会の機関誌「天気」に「考証豊旗雲」として豊旗雲の研究が掲載されています。
著者である伊藤さんは気象技術官養成所に所属していたそうです。
昭和2年、伊藤さんは筑波山の頂上で、気象学者の藤原咲平先生から
「あの雲を見なさい、あれはBand Cirrusと言って、天気の悪くなる前兆だよ」
と空になびく雲についての説明を受けたそうです。
Band Cirrus ⇒ 帯状絹雲です。
このとき、東から西にかけて、長い白雲が三条ほど棚引いていたと言います。
その後、伊藤さんは岐阜側候所の屋上から、帯状絹雲のスケッチをし続けました。
観測を行ってから、帯状絹雲が頻繁に現れることがわかったと言います。
帯状絹雲が現れてから、雨が降り出すまでの時間を観測。
結果、この雲が雨の前兆とは言えないとの結論に達しました。
ただ、雲のなびく方向に意味があることが分かったのです。
同じ帯状絹雲でも、その両端が収束して地平線に接する方向により、その後の雨が降るかどうかが違ってくる。
・西から北⇒降水確率高
・西南西⇒降水確率低
帯状絹雲には、晴兆のものと雨兆のものに別けられる。
これは、気圧の関係によるものということ。
晴兆が出現してから雨が降るのは、雷雨や寒冷前線の影響があることを突き止めました。
中大兄皇子が詠んだ歌にある「豊旗雲」は
「南西で地平線に接する帯状絹雲」ではないか……と伊藤さんは推測しました。
南西の帯状絹雲は、降水確率低。つまり、晴兆。
さらに伊藤さんは古文書を調べ、昔の人たちが帯状絹雲の晴兆と雨兆を見分ける観天望気の知識があったはずだという確信を得たのです。
ここで、中大兄皇子の歌を思い出してください。
「海神(綿津海)の 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 清明己曾(さやけくありこそ)」
中大兄皇子がこの歌を詠んだのは、軍勢を率いて戦いに向かおうとしている最中。
伊藤さんは、中大兄皇子の歌は「夜の月もきっと美しいことであろうなぁ」という願望の歌ではなく、天気予報であるとおっしゃっています。
夜の天候を予想し、軍に今宵も晴れる、我々には海神の加護がついている、ということを伝えたかったのかもしれませんね。
いやいや。大脱線しちゃいました!
巻機山にたなびく豊旗雲は帯状絹雲ということがわかりました。
帯状絹雲は気圧の関係で出現する雲のようですが。
巻機山には帯状絹雲がよく出るのかな? そして、天気の境目だったりするのかな?
巻機山は、機織りの女神様と天気の神様に守られている山ということなのでしょう。
2016年12月13日火曜日
辰のイラスト 山々の神
今日のイラストは、2012年の十二支、辰です。
2016年は申だし、2017年は酉だし、なぜ辰? と思われますよね。
話しを引っ張らせていただきます。辰→龍と覚えておいてくださいね。
11日は、山の神のお話を綴りました。 >> 12月12日は、山の神の日
その中で、磐長姫のことを書きましたが、瓊々杵尊から大山祇神の元に送り返された磐長姫はどうしたのでしょうか?
じつは!
京都の貴船神社にお静まりになったのです。
「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」
出典:貴船神社
そのように言われて、磐長姫は貴船神社の結社(ゆいのやしろ)に、男女の縁を結ぶ神として鎮座されたのです。
平安時代の歌人・和泉式部が夫の心変わりに悩み、結社に参詣し和歌を捧げたところ、願いがかなったといいます。
今夏、貴船神社に参拝し、イワ姫のお社にもおうかがいさせていただきましたが、イワ姫のお社とはわからずに参拝しておりました(汗)イワ姫、失礼いたしました。
自然に包まれた貴船神社は、とっても居心地がよかったです。
子どもたちは「魚沼と似ているねぇ~」と言っていました。
貴船神社 連理の杉と末社・日吉社 |
本殿の下には「龍穴」と呼ばれる穴があいていて、日本三代龍穴のうちのひとつです。
龍穴は神聖なものであるため、誰も見ることが許されないと言います。
さぁ、引っ張りましたが、ここで「龍」がでてきました。
ということで、今日のイラストは龍をアップいたしました!
話しを日本三代龍穴に戻します。
貴船の龍穴のほかの2つはどこか。
それは……また今度。
うそです。
奈良県の室井龍穴神社奥宮と、備前の龍穴です。
風水だと、龍脈を通じてエネルギーが流れ、そのエネルギーが溜まる場所を龍穴と言い、繁栄される土地のことを示しています。
日本国内の大きな龍穴には、お社が鎮座しているようですよ。中央構造線沿いの龍穴がある場所には、神社や仏閣があるという話も。真偽のほどはわかりませんが……。
ヒネクレタ思考としては、穴があいていたり、近付くと危ないから人が近付かないようにお社を建てたなどと考えてしまいます。
自然を敬う古人の心、自然の神秘ですね。
さて、2017年カレンダー 1月 越後駒ヶ岳のイラストで越後駒ヶ岳の明神峠についてご紹介しましたが、駒ノ湯方面の分岐点に「大明神」と掲げられた小屋が立っています。
こちら、御祭神は木花咲耶姫です!
そして、2017年カレンダー 2月 八海山のイラストで紹介した八海山。
大崎登山口近くにある八海山尊神社には、瓊々杵尊、木花咲耶姫、大山祇尊が祀られています。
おやおや。イワ姫だけ仲間外れですね……なぜでしょう?
ところで、wiki先生によりますと、大山祇尊を祀る神社は、全国で新潟県が一番多いそうです。
越後駒ヶ岳、八海山とくれば……越後三山の中ノ岳が気になるところです。
はい、2017年カレンダーとしてアップしております。
>>2017年カレンダー 10月 中ノ岳のイラスト
中ノ岳には、御嶽山大神・国常立尊が祀られています。
神様登山マップを作ったら面白そうですね。レイラインとかが出てきたりして~。いやいや。
そういえば、中ノ岳の御祭神の御嶽山大神って聞いたことがないですが……?
調べてみましょうかね。
貴船神社 水占みくじを結ぶ場所付近にいらしたカエルさん |
2016年12月11日日曜日
カジカのイラスト 12月12日は山の神の日
今日のイラストは「鰍(かじか)」です。カサゴ目カジカ科に属する魚で、川に生息する魚です。この、カサゴ目というのを覚えておいてくださいねぇ。
さて、明日12月12日は山の神の日です。
山に住む神様が、自分のテリトリーである山の木をカウントする日と言われていて、山に入ることが禁止されている日です。
木の1本として数えられ、山から帰ってこれない、木の下敷きになるなどいいます。
林業に携わる方の中には、12月12日(一部では1月12日)には、山での作業を行わないという風習があります。
★山の神と数字「12」に関する謎についての記事⇒山の神
山の神様は、女神様だと言われています。
嫉妬深く、美しい女性が嫌いなので、女性が山に入ることを嫌います。
美女が山に入ると、山の天候が荒れると言われています。
また、カップルで山の神社にお参りすると別れるとか、様々な言い伝えがありますよね。
山の神様が美女を嫌うというのは、どうやらイザナギ神とイザナミ神の間に生まれた、大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)のお姉さんである、磐長姫(いわながひめ)のお話に由来しているようなのです。
大山祇神が天照大神のお孫さんである瓊々杵尊(ににぎ)神に、木花開耶姫と磐長姫を「お嫁にもらってください」と言ったのですが、瓊々杵尊は美しい木花開耶姫をめとり、磐長姫を追い返してしまったのです。
理由は、磐長姫が美しくなかったからということ……。
その後、木花開耶姫は一夜で身ごもるのですが、瓊々杵尊は「子どもは自分の子どもではないのではないか?」と疑います。
神様のことを悪く言うのもなんですが……なかなかに、酷い男性だと思います……。
神話ですからね、いろいろな事情や(なんの事情だ!?)描写の転換などがあるのでしょう。
疑われた木花開耶姫。潔白を証明するため、産屋に入り火を放って、その中で3柱の子を無事に出産します。
この逸話から、木花開耶姫は噴火を鎮めるため、富士山本宮浅間大社に祀られたと言われています。安産の神様でもあり、子育ての神様でもあります。
木花開耶姫のお名前は「花が咲くように美しい女性」という意味があり、花は桜とされていますね。
富士山山頂から日本中に桜を蒔いたということも聞いたことがあります。
さて、大山祇神の元に送り返された磐長姫。
大山祇神は子孫の命が岩の様に永遠のものになるように磐長姫を、花のように繁栄するように木花開耶姫をという意味で二人の姉妹を瓊々杵尊の元に嫁がせたのですが……。
磐長姫を送り返したので、瓊々杵尊の寿命は短くなってしまったといいます。
美しくないということで、実家に帰されてしまった磐長姫。
ここから、山の神である女神は美女を嫌うという話に繋がるようなのです。
マタギの方も、山の神は女神として信仰していて、醜いオコゼを供物として供えると喜ぶとされていて、オコゼの干物を持って山に入ったそうです。
なつかしのアニメ「まんが日本昔ばなし」でも、オコゼと山の神の物語が描かれています。
さあ、みなさん。
今日のイラストは「鰍(かじか)」で、カサゴ目ということを覚えておいてくださいとお伝えしました。
それはなぜか……じつは!
海の魚ではありますが、オコゼはカサゴ目フサカサゴ科。鰍と同じカサゴ目なのです!
カサゴ目はカジカ目とも呼ばれるようですよ。
おあとがよろしいようで(汗)。
みなさん、明日12月12日はくれぐれも、山に入らないように。
山の神に、木として数えられてしまいますからね。
2016年11月12日土曜日
アケビのイラスト 食べてよし、工作してよしの植物
アケビというと、紫色の皮に包まれた、甘いツブツブの実を思い出しますが、その新芽は山菜として食用されているのですよ。
「木の芽」という愛称で、通に好まれる山菜。
ゆでておひたしにして食べるのですが、
ちょっと苦味が(かなりかな……)あり、大人の味ですね。
子どもの頃は、苦みを消すために、マヨネーズをつけて食べていました(#^.^#)
くるみとあえたり、生卵とあえたりすることで、マイルドな味になるようです。
アケビの皮もアクを抜けば食べられるようですが、皮も苦みがあるみたいです。
私は、皮は食べたことがないので、一度食べてみたいです。
そして、アケビの新芽は茶色いツルになります。
固く強くなったツルは、カゴなどを編む道具として使われていますね。
アケビのツルは、江戸時代から農家の日用品を作るアイテムとして活用されていたようです。
自宅の庭にアケビが植えられているのですが、ツルがどんどん伸びていくのでびっくりしました!
すごい、繁殖力ですよ!
こまめにツルをとらないと、凄いことになりますよね。
ツルを採取して、籠を編んでみようかとも思ったのですが……。
いずれ、チャレンジしてみたいです。
イラストのアケビは魚沼市の山、鳥屋ケ峰でのスケッチ。
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