2023年6月12日月曜日

綾子舞 狂言 

 


柏崎市女谷の黒姫神社の祭礼(9月)で演じられる「綾子舞」。

女性が踊る「小歌踊」、男性が演じる「囃子舞」「狂言」の3種類をあわせて【綾子舞】というそうです。

イラストは狂言のエスキース。

狂言には「海老すくい」がありますよ。

2023年6月5日月曜日

会津駒ヶ岳から燧ヶ岳


 

会津駒ヶ岳から燧ヶ岳

焼失後、新たに建設された小屋。

草紅葉の中に真新しいその後方に、双耳峰の燧ヶ岳が美しかった。

2023年6月4日日曜日

小赤沢より鳥甲山


 

苗場山は例外なく、津南を通り小赤沢コースだ。

残雪期も、秋色の今も、

樹林帯からヒョッコリと出ると、その後方に見られる双耳峰を、

やや丸みをを見せた草原と池が青く光る様と良く合う。


昭和62年10月18日 登山

2023年5月7日日曜日

【特別公開】浦佐毘沙門堂 楼門天井画 修復記念

 


南魚沼市 池田記念美術館で開催中(4/22~5/28)の特別公開展を見にいってきました。

浦佐毘沙門堂の楼門(天保2年 1831年に完成)二階にある天井画と板絵額が令和2年度から始まった修復作業を終え、寺外(池田記念美術館)で初公開されています。


展示後は楼門に再び戻されるそうですが、間近でじっくり見る機会は今後数百年はないとのこと! 撮影もOKでしたよ!

天井画に描かれた美しい天女と、板絵額に描かれた不思議な(個人的感想です)羅漢。

天女も羅漢も、美しい色のファッションとアクセサリーを身につけていて印象的でした。

※情けない感想で参考にならないと思います。気になったら池田記念美術館に見に行かれてください。



さらにさらに!

池田記念美術館さんで天井画と板絵額を展示している間、浦佐毘沙門堂の楼門(山門)二階も見学できます!

※楼門二階内は撮影禁止です。

楼門も見所まんさい!

天井画が外されているので、楼門の造りが見られるのですが、

建物内の造りや「すごい梁」は圧巻!

以前は地元の子ども達が楼門の二階で遊んでいたとガイドさんが教えてくれました。

天井梁にも昇っていたということで、木材の一箇所にチョークで記名がしてあるのを発見(見つけてね)。

楼門内には毘沙門天に仕える「28使者の像」が置かれていて、こちらも圧巻! 美の洪水です。

「28使者の像」の台座には、長岡藩主第9代牧野忠精の書が掘られています。

越後浦佐 普光寺 浦佐毘沙門堂 楼門二階見学会(見学会無料)

4月30日(日)

5月7日(日)

5月14日(日)

5月21日(日)

※いずれも10時~15時

毘沙門堂の楼門を見て、池田記念美術館に行って修復された天井画を見ると(逆ルートでも)

天井に画がはまったら、どんな空間になるのだろうか? とか、どうやって、天井画を楼門二階にあげるのだろうか? とか、想像が膨らみます。

楼門二階と池田記念美術館、両方見ると楽しいと思います。

楼門見学に行くと、池田記念美術館の割引券がもらえます。

あと、楼門の急な階段も!!

見所ではありますが、昇り降り、すごくすごく、気をつけてください。

2019年1月8日火曜日

りんごかもしれない




りんごかもしれない。

ヨシタケシンスケさんって知ってる?

2018年末。久しぶりに会った友だちから、聞かれました。

ヨシタケシンスケさん、知っていますか?

子どもに大人気の絵本の作者さんだそうです。

友だちいわく「淡々とした文章に、さらっとした漫画のようなタッチの絵が書いてある」とのこと。

でも。

子どもたちに大人気で、学校の図書館ではヨシタケさんの絵本シリーズが、貸し出しの順番待ちでなかなか借りられないというのです。

気になりました。ヨシタケシンスケさん。

そこで。

2019年年明け。ヨシタケシンスケさんの絵本を読んでみました。

【りんごかもしれない】


テーブルの上に置いてある1つのりんご。このりんごについて、男の子がいろいろと考えます。
これはりんご。でももしかしたら、りんごじゃないかもしれない……。

ヨシタケさんのさらっとした漫画のようなタッチの絵が、男の子の想像を描き出します。

単純であるようでいて、奥が深く。哲学チックな絵本です。

さて。

じつは、もう一冊。2018年末から読んでいる本があります。

【結局、人生はアウトプットで決まる】


書店のビジネス書コーナーで
「マイクロソフト伝説のプログラマーが明かす」
「AIが職を奪う時代のセルフブランディング」
の帯に心引かれ購入。

Windows95、Internet Explorer3.0/4.0、Windows98のソフトウェアの基本設計・設計思想を生み出すプログラマーを務めたソフトエンジニアリングの中島聡さんの著書です。

こちらの著書の中に、中島さんが小学校のときは国語が嫌いで、文章を書くのが下手だと思い込んでいたというエピソードが書かれています。

作文や読書感想文で「自分で見たこと、感じたことを素直に書きなさい」と言われると、子どもたちは本音を書いても○がもらえないと察し

「空気を読み、なるべくウソにならないように本の内容や遠足での出来事をだらだらと書きつらねた挙句、最後に「面白かった」などという陳腐な言葉が量産されることになります」本文より抜粋。

中島さんは、作文の授業で子どもたちに出すべき課題として「情報を伝える描写力を求める内容」(文字数を制限した上で)をあげています。

りんごを見たことがない人に、りんごとはどういうものかを説明する内容などですね。
※本文ではランドセルについての説明が例文として掲載されています。

ヨシタケシンスケさんの絵本では、男の子がりんごについて「かもしれない」という考えで自由に発想を広げています。

中島さんの書籍では、感想文や作文を書くとき、子どもたちが「何を感じたかというセンスで自分が評価されるのではないか」という不安を抱き、多くの子どもたちがたぶん「良い成績を取るために感想をでっち上げる」という行動に走っている(仮説)と書かれています。

ここで今日のOTIです。

ヨシタケシンスケさんの絵本が子どもたちに今大人気。

子どもたち。発想の羽を広げているのかな? どんな、作文や文章を書くようになるのか、ちょっと楽しみではないですか?

子どもたちは、未来を感じて、ヨシタケシンスケさんの絵本を選び、中島さんのおっしゃるような文章の書き方を実践するベース作りをしているのかもしれませんね。

AIに奪われない、セルフブランディング。

感覚的に世界や未来に通じる道を見抜き、自分で舵取りをしながら新世界に進んでいるのでしょうね。

感想文でっち上げ犯の私が言うのもなんですが(笑)

2018年12月12日水曜日

12月12日 泥棒よけのお札 【八海山神社火渡りのイラスト】

八海山神社火渡り
12月12日は「山の神の日」として、過去に記事を書いてきました。
山の神について

12月12日は山の神の日なので、山に入らない方がいいというのが習わし。

12という数字が神聖なもので、山の神が出産する日でもあるので、マタギの人たちは12日を山の神の日として、入山を禁止していたそうです。

一年に12回ある12日も、
12月12日は「しまいの山の日」として、神聖な日とされています。
※ちなみに、1月12日は「はじまりの山の日」として、こちらも、神聖な日です。

さて、12月12日。

京都や大阪では、玄関や勝手口に「12月12日」と書いた紙を逆さにはると、泥棒が入らないという言い伝えがあるようです。

12歳の子どもにお札を書いてもらうといい。12月12日生まれの人に書いてもらうといい。
など、風習がいろいろあるようです。

なんでも、12月12日は天下の大泥棒、石川五右衛門が釜ゆでにされた日だから。
もしくは、石川五右衛門が生れた日だから。

12月12日と書くのだそうです。

山の神と、石川五右衛門。泥棒除け。

12月12日。極まる数字の12を昔から大切にしてきたのですね。

2018年6月10日日曜日

ねぶたの由来は「眠り流し」ではない? ねぶた祭イラスト

ねぶた祭


今日のイラストは青森ねぶた祭の「ねぶた」です。

ねぶたというのは、練り物の「灯籠」(山車)のことですが、青森のねぶた祭の由来については「青森ねぶた祭オフィシャルサイト」の「知る」「ねぶたの由来」に次のように書かれています。

青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。
奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。

七夕祭では、7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流していたそうです。

それが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れているとのこと。

ねぶたは、禊ぎ払えの祭なのですね。

「ねぶた(ねぷた・ねふた)」というのは

・東北地方や信越地方⇒「ネンブリ流し」
・関東地方⇒「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」

などの方言で「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」になまって変化したと言います。


●眠り流しとは?



「眠り流し」というのは、睡魔を払う行事で、七夕のとき水浴をしたり形代 (かたしろ) などを模型船や灯籠・笹竹などにのせて川・海に送り流したりするものです。

秋田県横手市では、8月6日に木と稲わらで作った小舟が町内を練り歩き、崎川原にくり流す「ねむり流し」という祭が行われています。

睡魔を払うということは、庚申信仰にも関係しているのかもしれません。

庚申の日、人が眠った後、体内にいる虫が閻魔大王に報告に行くのを止めるという言い伝えです。

●柳田国男が紹介する、ねぶたの由来



ねぶた祭の由来は「眠り流し」にあるとのことですが、それが正解というわけではなく、ねぶたの由来、言葉の意味は別にあるとも言われています。

明治時代、柳田国男がその著書の中で、各地の「眠り流し」を紹介し、その中に青森「ねぶた祭」も描かれていたことから、青森のねぶた祭は「眠り流し」の祭りであるという説が広まりました。

ただし、柳田は青森の「ねぶた」が「眠り流し」由来ではないとする説を唱える人もいることも記しています。

青森県のネブタの研究者としては、棟方悌二氏が最も著名であった。
この人の意見は日本風俗志にも出ていて、十分に穏健なるものであったが、なおこの一語の意味を明らかにし得なかったために、今に至るまで地方の通説を、覆すことに成功していない。
最も人望の多い通説は、田村将軍がこのネブタを催して、山に隠れている蝦夷の賊を誘い出し、退治をしたのに始まるというもの、次には同じ策略を以て引捉えた夷民を選別して凶猛なる者は対岸へ放流し、忠順なる者のみを止住せしめた。


棟方悌二氏は弘前中学校で教鞭をとられた方で、郷土史を研究され、陸奥史談会を創設。著書に「弘前教育史(藩政時代)」などがあります。

田村将軍というのは、坂上田村麻呂 のことですが、蝦夷討伐の任務の際、敵を油断させるために、笛太鼓、灯籠ではやしたてたことが、ねぶた祭の由来であるという説です。

余談ですが、蝦夷、阿弖流為(あてるい)は、越後一宮「弥彦神社」(にゆかりがありそうと勝手に推測している)、魚沼神社の御祭神である阿彦と通じるものがあります。
祭り(祀る)ことで、慰霊。でしょうかね。

話を、柳田国男の「眠り流し」に戻します。

一方にネブタは蕃語(ばんご)ならんという説があって、これがまた近頃まで続いていた。

蕃語(ばんご)というのは、えびす。また異国の言葉とのことで、えびすは蝦夷(えみし)となります。


●柳田国男の言い分



柳田は青森の「ねぶた」が「眠り流し」由来ではないとする説について記したのち、次のようなことを言っています。

これらの諸説の優劣を決するのは、少なくとも私の任務ではない。
私はただ現在のいわゆる郷土研究が、もしわが郷土を視て他を省みなかったならば、結果は概ねかくの如くなるであろうということを、例示するだけの小事業を以て、満足しようとしているのである。

いろいろな説があるけれど、どれが正しいのか決めるのは、私の役割ではない。
でも、他の(日本各地)の「眠り流し」の事例をみてごらん。
青森の「ねぶた」も他地域の「眠り流し」と同じようだよ。
それを知らずに郷土の研究だけをして、持論を唱えているんじゃだめだよ……
そんな風に、戸皮肉っぽく書いています。

けれど、郷土の歴史は郷土にいなければわからないと思いますし。

多きものに同調して、諸々が上書きされるということもあるでしょう。

以前、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が建てたとされている寺社が各地に存在していると書きました。⇒浦佐毘沙門堂裸押合い祭「年男」と毘沙門天像の関係

蝦夷征伐の際、坂上田村麻呂が立ち寄った各地で寺社が同じ年に建立されていますが、同年に建てられるというのも奇妙な話です。

民俗学の創始者である柳田国男が「ねぶた=眠り流し」案を呈しているわけですから、眠り流し説が通説となる流れが生まれますよね。

とはいえ、柳田説も「諸説」のうちの一つであり「諸説の優劣を決するのは、少なくとも私の任務ではない」と彼自身が言うように「ねぶた=眠り流し」なのかはわからないわけです。

ねぶたの由来。もう少し追っていきたいと思います。