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2017年1月20日金曜日

権現堂のイラスト 権現堂の弥三郎バサ

Mt.Hakkaisan

こんにちは、魚沼工房のさとうです。
今日のイラストは、権現堂山から望む「八海山」です。

権現堂、権現堂とよく、とよじいが言っているのですが、
権現堂山は上権現堂と下権現堂とにわかれているのですね。

この山は、弥三郎バサが住んでいる山ではないか!

「悪い子になると、権現堂から弥三郎バサがくる」
子どもの頃に、言われた方も多いのではないでしょうかね。

弥三郎バサがなにものかわからず、恐怖心だけが余計につのるというね。

弥三郎バサの民話は、じつは悲しい物語なのです。

弥三郎という猟師と妻、息子が暮らしていましたが、
弥三郎は雪山に猟に向かい戻ってこなかった。
その息子も猟師になったが、猟から戻ってこなかった。
息子の嫁は悲しみのあまり後を追って死に、
残された乳飲み子を、弥三郎の妻が育てていた。

弥三郎の妻は、孫のために近隣に乳をもらいあるいたが、
最初同情していた村人たちも、しだいに弥三郎の妻をうとましがるようになり、
猟師という職業から殺生による罰とののりし、村八分にされた。

孫は餓死し、弥三郎の妻は鬼と化し、人の子をさらって食らうようになった。
のちに、えらいお坊さんに諭され、弥三郎バサは改心し、
妙多羅天女という名を授かった。

wiki先生によると、 妙多羅天女というのは、
神仏、善人、子供の守護者で、悪霊退散の神。
縁結びの神様でもあるそうです。

新潟県とお隣の山形県で祀られている神様ということ。

弥彦神社に隣接して、 妙多羅天女が祀られているそうですね。

弥三郎バサの伝説は様々あるようで。
猫が弥三郎バサを食って、弥三郎バサになりすましたというものもあります。

弥三郎バサよりも、弥三郎という人物のほうがキーマンかもしれません。

織田信長に小姓として仕えていた、加藤弥三郎という武将がいます。
鎌倉時代の武士、 鳥海弥三郎という方もいますね。

伊吹山(滋賀県)に住んでいた大男、伊吹弥三郎の伝説もありますね。
伊吹弥三郎は富士山を作ったとか!

弥三郎という名前、ポピュラーだったようですね。
かっこいい名前だったのかな、流行の名前。

2017年1月16日月曜日

八海山信仰と十二山神社の関係性 八海山のイラスト

Mt.Hakkaisan


こんにちは、魚沼工房さとうです。

今日のイラストは、大力山から望む「八海山」です。


先日「山の神の日はなぜ12日なのか?
この中で、魚沼地方に十二山神社が多く、その理由は八海山と八海山を訪れた修験者が関係していると書きました。

南魚沼地方に位置する「八海山」は、木曾御嶽信仰の霊山です。
「なんで、木曾御嶽?」と思われますよね。

それは!

八海山を開山したのが、木曾御嶽山を開山した普寛だからです。
八海山麓に住んでいた泰賢を弟子にして、一緒に八海山を開山したと言います。

808年に空海が登り、8つの池があったので八海山と名付けたという伝承もあります。

この八海山の本地仏は薬師如来ですが、木曾御嶽信仰の霊山ともされていて、
八海山大頭羅神王が鎮座する山としても信仰されています。

行者の活動にともない、八海山が霊山として人々の間に広まり、
山の麓にある神社も増えて行きます。

東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科、菊池章太教授の研究レポート「十二山ノ神の信仰と祖霊観」に、なぜ「十二」なのかという考察が書かれています。

十二山ノ神は薬師如来の眷属である十二神将や、熊野十二所権現と関係があるのではないか、という説があるそうです。ここに、行者や修験者たちが関わっているのではないかと、先生は推測されています。

八海山の本地仏は薬師如来。薬師如来の眷属は十二神将。
行者が八海山信仰を広めた。

そして、新潟県には十二山神社、十二神社が多い。


木曾御嶽山信仰では、霊神碑という石の石碑を建てる習俗があります。
亡くなった方の霊神碑を建立するのですが、この際、霊神号というものが与えられます。

八海山にも、この霊神碑が多く見られますよ。
霊神碑には、霊神名が刻まれていますが、建立者の氏名や出身地が彫り込まれていることがあるそうです。
建立者の出身地は様々で、新潟県以外の人や長岡市周辺や上越、新潟市という文字も見られます。
このことから、八海山信仰が、新潟県内外に広まっているということがわかります。

菊池先生は、自然災害の多い土地は、山ノ神を祀り、祭礼の際に唱えごとをしていたとおっしゃっています。
祭礼の際に、厄除けの呪言が目立っていて、そこに、修験者が関与しているのではないかというのです。

八海山信仰と十二山神社の流れ、関係性がありそうですね。

菊池先生は
「十二というのは具体的な数を意味するのではなく、むしろ極まった数の観念として神威の大きさを表しているようにも思える」と書かれています。

人々が昔から、自然を恐れ敬っていたことが、極まった数である十二という数字に表れているのかもしれませんね。

2017年1月14日土曜日

八海山のイラスト 黒禿ノ道から望む八海山

八海山
Mt.Hakkaisan


こんにちは、魚沼工房さとうです。
雪がすごくて、朝から除雪でヘロヘロです。



過去記事、「カマキリは大雪は予想するのか!?」でも書いたのですが、ナンテンやナナカマドの実が多くつくと、大雪になると言われています。

うちのナンテンはあまり実がつきませんでしたが、お隣のナンテンは見事にたくさんの実がついています。

植物の大雪予想、当たるのかもしれませんね。

この雪、明日も続くようです。
どんげふるんだよ!
ちょっと落ち着いてほしいです。


さて、今日のイラストは黒禿の道から望む「八海山」です。
またでた、黒禿ノ頭。
「どこですか?」と思って地図を見ましたら、笠倉山の手前にあるようですね。

等高線的には笠倉山に入っているような……でも違うか。
佐梨川と水無川の間に、隆起した山々があるわけですな。

で、佐梨川と水無川の間にある山々の尾根をつたって越後駒ヶ岳へと行くわけですかね。
駒ヶ岳から中ノ岳、兎岳へと向かう。

はっ!

地図を見ていて、いま気づきました。
山の山頂が県境になっている! すごい! と、今更気づくアホの子です。
さらに、川も山と山の間を走っている。川のスタート地点も山から。
そして平地になったところに、町が存在する。

風水で気の流れを読むとはよくいったものですね。
山や川の位置を把握して、風の流れなどを読んだのでしょうね。

土地の名前や山の名前にも、その場所の環境や特徴などが潜んでいる場合があります。
「黒禿」という名前も気になりますが、由来はいまのところわかりません←さとうがわかっていないという意味。

黒く禿げてみえる山なのでしょうかね。
黒く禿げるって、どんな風なんじゃ!?

2017年1月12日木曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 骨投沢の言い伝えを生み出した商人「河村瑞賢」

越後駒ヶ岳

今日のイラストは、八海山から望む「越後駒ヶ岳」です。

昨日、骨投沢の話を書かせて頂きました。
枝折峠を超えてはならぬ~骨投沢
銀山から採掘した銀を不正に持ち出させるのを阻止するため
(骨箱に入れて、里に持ち出そうとした人がいたので)
銀山を管理していた河村瑞賢は
「遺体や遺骨を、その沢を越えて持ち出そうとすると、明神様の祟りがある」
といういわれを作ったと言います。
その沢でみんなが骨を投げて行くので、骨投沢という名前がついたとのこと。

河村さん、なかなかのやり手です。

では、河村瑞賢とはどのような人物だったのでしょうか?
河村瑞賢は江戸時代の商人で、材木屋を営んでいました。

明暦の大火後、木曾福島の材木を買占め、土木建築を請負い、利益を得たといいます。
明暦の大火は別名「振袖火事」とも言われています。

お寺の小姓に一目ぼれをした梅乃が、彼に恋い焦がれるまま亡くなってしまう。
娘を憐れんだ両親が、娘が愛した振袖を娘の棺にかけてやる。この振袖が転売され、それを買った娘が無くなり、また振袖が棺にかけられ転売される……それを何度か繰り返す。
振袖に因縁を感じ、寺の住職が焼いて供養をしようとすると、にわかに風が吹き火のついた振袖が舞い上がる。

というような伝説があり、小泉八雲(池田美術館の常設展にゆかりの品が展示されている、ラフカディオ・ハーンさんですよ~♪)も小説として物語を描いています。
ただ、作り話という説があり、放火が原因という説もあります。

話しを、河村さんに戻しましょう。
やり手の河村さんは、幕府に見込まれ、公共事業に関わるようになります。
江戸廻りの東廻り航路や、日本海沿岸から瀬戸内海を廻り江戸に入る西廻海運を確立しています。
そのほか、淀川や木津川の治水工事なども手掛けています。

魚沼の人は「銀山」という名称で呼んでいますが、正式名称は「上田銀山」と言います。
高田藩管轄の銀山が「上田銀山」会津藩側の銀山が「白峯(しらぶ)銀山」という名称で、
この二つを合わせて、大福銀山と呼んでいたそうです。
ちなみに、白峯銀山のほうが後から発見されました。

河村さんは、高田と会津両方の大福銀山の管理を行っていました。
全国各地で築港、治水、開拓、採掘などを手掛けた、現在で言うと土木のエキスパートと言える人物ですね。
晩年は松尾芭蕉と交流していたそうですよ。
元禄12年に83歳で天寿を全うしたと言いますが、当時の人にしてみると、かなりの長生きですよね。
足を使って動いたのが長生きの秘訣でしょうか?

河村瑞賢さん。商人&土木、あと他にもなにかありそうな方ですね。

2017年1月11日水曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 枝折峠を越えてはならぬ~骨投沢

駒の湯





今日のイラストは「越後駒ヶ岳」。駒の湯からの風景です。

年始に魚沼に帰郷したとき、とよじいに銀山のことを質問してみました。

銀山は昔、銀の採掘がおこなわれていたそうですが、
掘削しすぎて、河川の底を打ちぬいたため、川水が坑道内に入り込み
多数の死者をだし、以後、採掘が下火になっていったということです。

採掘した銀を麓まで運ぶための道が「銀の道」でした。

この採掘した銀を、自分の物にしようとしなかったのだろうか?
湯之谷付近で、銀細工などの店がなかったのだろうか?

と、以前、妹たちと話をしていたのです。
銀の工芸品などが魚沼に伝承されていないのが不思議だねと。

でも、一般人が銀を使うことなど、当時の幕府は許さなかったのでしょうね。
銀の持ち出し、持ち逃げは重い罪がかせられたようです。

銀を持ち出した者に石を抱かせ、拷問した場所が、銀山平のトンネル近くにある「石抱き」です。

そして、銀の道付近に「骨投沢」という沢があります。
この沢を越えるときは、親の骨も置いていかなければいけないという言い伝えがあったと
とよじいが言っていました。

遺骨を持って里に下りると言って、骨箱に銀を隠し持っていた人がいたそうです。
そこで、骨を持って沢を越えると、大明神がお怒りになり、祟りや罰が当たるという話しを
幕府の役人が作り出したと言います。
昔の人たちはそれを信じ、後世まで遺骨や遺体を持ち出さなかったそうです。

このいわれが迷信だと証明するため、近世になってからですが、
亡くなった親を(遺骨だったかな?)抱えて
骨投沢を越えた方がいらっしゃったと、とよじいが話してくれました。
もう一回、詳しく聞いてきますね。

その方の行動で、やっとみなさん、祟りはないのだと理解したということです。

とよじい、酔っ払っていたので、真偽のほどが定かではありませんので、
骨投沢については、要検証です。

2017年1月10日火曜日

八海山とまんさくのイラスト 雪見展ありがとうございました

八海山とまんさく

1月8日9日と池田美術館で「雪見展」が開催されました。
魚沼工房もengelightと共に参加させていただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。

ブースに遊びに来てくださった方々、スタッフのみなさま、出店者のみなさま、池田美術館のみなさま、お世話になり、ありがとうございました!

池田美術館は本当に居心地が良い空間で、そこにいるだけで心がホッとします。
景色もすばらしく、魚沼の山々に包まれているようで安心できます。

また来年も、ぜひ参加させていただきたいと願っております。

雪見展では、とよじいの昔の絵を絵葉書とさせてもらいました。
とよじいは幸い(?)勤務で家に戻ってこなかったので(今回、私は会えなかったです)
出典作品を見て怒られることはありませんでした。

ブログにアップした2017年カレンダーは、使用した絵がいかんといってNGが出たので。
山の特徴をつかんだ方向があり、そこを描いた絵でなければダメだということでした。

登山がお好きな方から、山のお話を聞かせていただけて、嬉しかったです。
今年は、山に関する知識や土地に関する知識、文化などをさらに探っていきたいと思いました。

あらためて、2017年も魚沼工房(とよじいも)よろしくお願いいたします。

2016年12月17日土曜日

中大兄皇子は気象予報士だった!? 巻機山のイラスト



今日のイラストは「巻機山」です。


新潟県南魚沼市と群馬県みなかみ町とにまたがる、標高1967mの山です。
四季を通じて登れる山で、登山客に人気があり、リピーターが多いと言われています。


巻機山がなんで、中大兄皇子?

と思われましたよね。

今日のブログは、巻機山の名前について書いています。

巻(まき)の文字に「豊幡雲」という雲が関係しているのですが、
中大兄皇子が詠んだ歌に、豊幡雲という言葉が登場するのです。

ちょっと長くなりますが、よろしければ最後までお付き合いくださいね。


南魚沼市は昔から、織物が盛んでした。
地元の人々は、機織りや養蚕の神として、巻機山を崇拝していたのですね。

機を織る女神がいるとして、昔話や伝説も残されています。

巻機山の御祭神は「天満巻機千里姫」。
こちらの女神様、調べたのですがなかなかお姿を現してくださらない。

ただ、もしかすると、お名前が違っていて「天棚機姫命」なのではないかなと?

天照大神が天の岩戸に閉じこもったとき、誘い出すための文布を織った織物の神様です。七夕の織姫ですね。

他にも、機織りの女神様がいらっしゃいます。
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)です。

姫様たちのお名前がミックスされて「天満巻機千里姫」となったのかな?

機織りが盛んということで、機織りの神様を祭るので「機(ハタ)」の文字がついているのはわかりました。

では、巻機の「巻(マキ)」はどういう意味なのか?

山頂付近にたなびく豊幡雲(とよはたぐも)が山にまきついているように見えることから「巻(マキ)」の文字がつけられたという説もあります。

豊幡雲とは!?

ここで、また知らない言葉がでてきました……豊幡雲ってなんだ?

wiki先生は、皇居の宴会場である豊明殿の壁面に、つづれ織りによる豊幡雲の装飾があると言っています。

また、万葉集でも中大兄皇子(天智天皇)が詠んだ歌に豊旗雲がでてきます。

「海神(綿津海)の 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 清明己曾(さやけくありこそ)」

海神様が空に豊旗雲をたなびかせている、なんと美しい光景だろう。今夜の月もきっと美しいことであろうなぁ。

どうやら、この豊旗雲。近年までどのような雲かわかっていなかったようです。

が!

豊旗雲について、調べた方がいらっしゃいました!

伊藤亀雄さん。日本気象学会の機関誌「天気」に「考証豊旗雲」として豊旗雲の研究が掲載されています。

著者である伊藤さんは気象技術官養成所に所属していたそうです。
昭和2年、伊藤さんは筑波山の頂上で、気象学者の藤原咲平先生から

「あの雲を見なさい、あれはBand Cirrusと言って、天気の悪くなる前兆だよ」
と空になびく雲についての説明を受けたそうです。

Band Cirrus ⇒ 帯状絹雲です。

このとき、東から西にかけて、長い白雲が三条ほど棚引いていたと言います。

その後、伊藤さんは岐阜側候所の屋上から、帯状絹雲のスケッチをし続けました。
観測を行ってから、帯状絹雲が頻繁に現れることがわかったと言います。

帯状絹雲が現れてから、雨が降り出すまでの時間を観測。
結果、この雲が雨の前兆とは言えないとの結論に達しました。

ただ、雲のなびく方向に意味があることが分かったのです。
同じ帯状絹雲でも、その両端が収束して地平線に接する方向により、その後の雨が降るかどうかが違ってくる。

・西から北⇒降水確率高
・西南西⇒降水確率低

帯状絹雲には、晴兆のものと雨兆のものに別けられる。
これは、気圧の関係によるものということ。
晴兆が出現してから雨が降るのは、雷雨や寒冷前線の影響があることを突き止めました。

中大兄皇子が詠んだ歌にある「豊旗雲」は
「南西で地平線に接する帯状絹雲」ではないか……と伊藤さんは推測しました。
南西の帯状絹雲は、降水確率低。つまり、晴兆。

さらに伊藤さんは古文書を調べ、昔の人たちが帯状絹雲の晴兆と雨兆を見分ける観天望気の知識があったはずだという確信を得たのです。

ここで、中大兄皇子の歌を思い出してください。

「海神(綿津海)の 豊旗雲に 入日さし 今宵の月夜 清明己曾(さやけくありこそ)」

中大兄皇子がこの歌を詠んだのは、軍勢を率いて戦いに向かおうとしている最中。

伊藤さんは、中大兄皇子の歌は「夜の月もきっと美しいことであろうなぁ」という願望の歌ではなく、天気予報であるとおっしゃっています。

夜の天候を予想し、軍に今宵も晴れる、我々には海神の加護がついている、ということを伝えたかったのかもしれませんね。


いやいや。大脱線しちゃいました!

巻機山にたなびく豊旗雲は帯状絹雲ということがわかりました。

帯状絹雲は気圧の関係で出現する雲のようですが。
巻機山には帯状絹雲がよく出るのかな? そして、天気の境目だったりするのかな?

巻機山は、機織りの女神様と天気の神様に守られている山ということなのでしょう。

2016年12月16日金曜日

根が浮き上がった桜のある場所は危ない!? 山桜のイラスト

今日のイラストは「山桜」と「雪山」です。
雪が降る季節である冬に桜!? と思われますよね。
雪が降ったから、春を思いまして……。冬が苦手なので、どうしても春に思いをはせてしまうのです。

桜というと、ソメイヨシノがよく知られていますし、また街路樹として植えられています。

桜はヤマザクラ、エドヒガン、オオシマザクラなどの種類があり、変性や交雑などから数十種類の自生種が存在していると言われています。

ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンの交配種でクローン桜です。
江戸時代末期に、江戸の染井村の庭師や植木職人たちが育成したと言われています。

その実が発芽することはなく、自然に増えない桜です。
ソメイヨシノは、接ぎ木や挿し木など、人の手を介さないと、生存できないのです。

桜守の佐野藤右衛門さんは、著書『櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで』で、
「夏の染井吉野はかわいそうや」と言っています。

ソメイヨシノは虫がつきやすく、テングス病にもなりやすい。けれど、花が咲く春だけもてはやし、あとは放っておく。夏になったら、誰もソメイヨシノを見ない(診ない)。

枝葉を伸ばし幹を太らせようとしているのに、葉が虫に食われても、枝が折れていても知らん顔をしている。

人が植えたくせに、咲いているのが当たり前という感覚で手入れを怠っている。


ソメイヨシノの寿命が、自生種に比べて短いと言われているのをご存知でしょうか?
60年寿命説というものもあります。

戦後大量に植えられたソメイヨシノが、同じような時期に寿命を迎えるかもしれないわけです。
ソメイヨシノは実生ではないので、いまあるソメイヨシノの寿命が一斉に尽きて、街路に桜が見られないという可能性もあるのです。

ただ、樹齢100年を超えるソメイヨシノもあるので、大切に管理すれば、街路のソメイヨシノも長生きしてくれるのではないでしょうか。

ちなみに、佐野さんは「山桜は放っておけばいい。自分で体調を整えている」と言います。
さすが、強いです。

佐野さんの、山桜に関する記述でためになる情報をもう一つ。

佐野さんは一人で山に山桜を探しに行くのだそうです。
そして、桜の推定年齢を確認し、その後、里山の年配者に山での異変の有無を確認する。

異変があった場所の桜は、根が浮き上がったり、穴が開いていたりする。
とすると、その桜が咲いている付近は、地盤の問題や土砂崩れが起きやすい場所である可能性がある。

昔の人は、そういった場所を避けて集落を作っていたと言います。

根が浮き上がった桜のある場所は、家を建てるときに気を付けたほうがいい。
それも、桜が教えてくれている……そう佐野さんが教えてくれています。

山桜を探しに行くと、その土地の歴史やいろいろなことが分かるそうです。

2016年12月15日木曜日

登山者を救う白骨 槍ケ岳のイラスト






今日のイラストは「水晶岳から槍ケ岳を望む」です。
水晶岳(標高2986m)槍ケ岳(標高3180m)ともに、富山県にある山です。

水晶岳はその名の通り、山頂部で水晶が採取されることに由来しています。

水晶岳へ入山し、槍ケ岳へと向かう縦走コースがあります。
通称「裏銀座コース」と言い、長野県高瀬ダムより入山して、烏帽子岳、野口五郎岳、水晶岳を縦走して、槍ケ岳に至ります。
裏銀座も北側からと南側から入るルートがあるようですね。

槍ケ岳が3000m級の山で、この山々の中で最も高いので、イラストにあるように、かなり離れている水晶岳からも槍ケ岳が見えるのですね。

さて。「黒部の山賊」(著者:伊藤正一)という書籍があります。

北アルプスで山小屋の経営に携わってきた著者と「山賊」と呼ばれた仲間たちが体験した様々な出来事を描いた書籍。

その中に「道しるべになった水晶岳の白骨」というものがありました。
ドキドキするようなタイトルですね。

昭和20年代。水晶岳で白骨が発見される。だが、諸事情で白骨はそのまま、水晶岳に残される。
じつは、白骨が発見された場所は、登山者が道に迷いやすい個所で、道から外れた人は白骨を見て驚き、道が間違っていると気付き引き返したという。
登山者たちは白骨に救われたが、その後白骨は片付けられた──。

このお話し以外にも、「巧みな狸の擬音」「カッパの正体」「ほんとうにあるのか山中の埋蔵金」といった、ワクワク感を抱かせるタイトルのお話が満載!

ちなみに、埋蔵金というと徳川の埋蔵金を思い浮かべる方が多いと思いますが、この書籍に描かれている埋蔵金は、戦国武将・佐々成政の「さらさら超え」に由来するもの。

徳川の埋蔵金ではないですが、家康がからんでいますね。
佐々成政が家康と直談判するため、冬の立山連峰を超えようとしたが、道中が厳しく旅の妨げになる、兜や壺、軍用金を山中に埋めた……というもの。
「佐々成政の埋蔵金伝説」ですね。

ここに、水晶岳からんできてませんが、お話のついでに書かせて頂きました。
興味がある方は埋蔵金探しに行かれて──ではなく(笑)
本を読んでみてくださいね♪

あ。槍ケ岳について書いていませんでしたね。
槍ケ岳は、1828年に現在の富山県出身の播隆上人が開山しました。
阿弥陀如来と観世音菩薩、文殊菩薩を安置し、人々が山頂まで登れるように、山道の整備を行ったそうです。

播隆上人、頑張り屋さんです。

槍ケ岳については、また後日詳しく書きたいと思います。

2016年12月9日金曜日

越後駒ヶ岳のイラスト 山で迷ったときはどうしたらいいのか!?



今日のイラストは「越後駒ヶ岳」です。

越後駒ヶ岳の詳細については、こちらをどうぞ 2017年カレンダー 1月 越後駒ヶ岳


昨日、親戚のお見舞いに大学病院へ行ってきました。

親戚に病室を訪ねたら「入退院入口はいってすぐのエレベーターに乗って三階だよ」ということでしたので、すぐに行けるかなと思ったのですが……。

駐車場が第一と第二とあり、そこから迷いがスタート。

どうやら、入退院入口から遠い駐車場に停めてしまったみたいで、入り口入ってすぐのエレベーターに乗って三階に行ったら、全くひとけがありませんでした。

たまたま通りかかった優しい女医さんが「どこに行かれるのですか?」と声をかけてくださり、方向を修正したのですが、教えてもらって進んだ先でまた迷い、前から歩いてきた看護師さんに場所を尋ね……三階に行ってまたグルグル迷い……。
一緒にいた息子に呆れられました。

帰りは息子が案内してくれたので、駐車場まで辿り着けました。ほっ。


院内を歩きながら息子と「山で迷ったらどうするか」という話になりました。

私は山の頂上は一つだから、上に登ったほうがいいと言ったのですが、息子は上に登ったほうがいいとは聞いたことがあるけれど、それでも遭難している人がいるのだから、みんながやらない方法を用いて、下に降りたほうがいいのではないかと言うのです。

病院の暗い廊下を歩きながら、二人で議論していました(笑)



山で迷ったときは上るでも下るでもなく。

「動かない」ことが大切なようです。
やはり、本能的に下りたくなるようですが、体力を温存するためにも安全な場所で動かないようにということです。

沢があると、そこを下って行けば麓に出ると思いますが、途中に崖や滝などがある場合もあります。また、水で滑りやすいので怪我をするケースも。
道に迷ったら、進まずに戻るのがセオリーのようですね。

じつは先月。妹と山道で迷いました。車に乗ってですが。
スタート地点から左右を間違えて進んだようで、その後グルグルグル迷いました。
スマホのGoogleマップを見ているにも関わらず迷うという……。

気を付けなければいけませんね。

2016年12月1日木曜日

八海山のイラスト 不動岳から中ノ岳を望む

Mt.Hakkaisan

八海山は信仰の山として開山された霊峰です。

八海山の登山コースは複数あるようですね。
大倉口、大崎口、城内口……。

イラストを描いたときの登山コースは、大倉口からのスタート。
大倉坂本神社から登り、4合目で八海山尊神社里宮から大崎口コースと合流します。

ロープウェーを利用すると、山麓駅から山頂駅まで5~7分で行けます。

水筒を忘れたとよじいは、ロープウェーを利用したのかもしれません。
山頂駅の先にある「4合目半出合」に到達した時間がイラストの裏に書かれていました。
ロープウェーに乗って4合目半出合で、パーティーに合流したのかもしれませんね。

大倉口、大崎口も4合目出合で合流し、その後、女人堂を通って、コースは9合目の千本槍小屋まで進むことになります。

そして、その先に待ち構えているのが、八海山の象徴とも言われている、山頂部の8つの峰。

地蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ケ峰、大日岳の八ツ峰!
※八海山の主峰は大日岳ですが、その奥に入道岳というのがあります。

千本槍小屋の先に八ツ峰がありますが、上り下りのおっかねえ場所です。初心者は無理でしょう。
八ツ峰を迂回するコースもありますが……迂回路にも鎖場があって……。

あの、本当に迂回路ですか? ってなお写真を拝見しました。

おっかねぇ、八海山。さすが、霊峰。

城内口新開道ルートなら「落ちたら怖いよデンジャラス」コースを回避できるようです。
八海山を開山した普寛が開いた城内口屏風道は鎖場があるので、おっかないので初心者回避ですね。
修験道じゃないですか!

八ツ峰を制覇しなければ、八海山登ったことにならんなぁ。

というような声も聞こえそうですが。八ツ峰は……20年若返ってから登ることにしましょう。