2020年8月31日月曜日

或は正保以前から「をぜ」の称があったかとも思われる、 けれども『会津風土記』以外には確たしかな記録がないのである


尾瀬の名は『会津風土記』に「小瀬峠 陸奥上野二州之界」または「小瀬沼 在会津郡伊南郷縦八里横三里」として載っているのが古書に見られる最初である。
この書は寛文六年に編纂されたもので、
これに先立つこと約二十年の『正保図』には、
「さかひ沼」と記してあるが「をぜ沼」とは書いてない。
或は正保以前から「をぜ」の称があったかとも思われる、
けれども『会津風土記』以外にはたしかな記録がないのである。

―木暮理太郎― 『尾瀬の昔と今』より

2020年8月30日日曜日

百合の宿座とよびかへて ふたたび空にあくがれむ



光はにほふ天の香を
慕ひしたひしたのしさに
薔薇の宮となづけつつ
めでにし星も墜ちてけり

こよひは清き愁ひより
うるほひひらく影見れば
百合の宿座とよびかへて
ふたたび空にあくがれむ

追懷深きかがやきぞ
迷ふわが身のたよりなる
さればよ照らせ荒磯に
また闇沈む墓かげに

―蒲原有明― 『かたみの星』

2020年8月29日土曜日

野生の菊花植物であることは確でも、 実物は何であるかを知り難いので、 専門家の研究に待つことにする



即ち『本草和名』及び『医心方』に従えばカハラオハギ、
『和名抄』はカハラヨモギ、
『新撰字鏡』はカラヨモギである。
狩谷棭斎は『箋注和名抄』にオハギはヨメナであると注しているが、
是等は原書を見れば孰れも菊の和名であって、
特に黄菊花に就ていえるものではないから、
野生の菊花植物であることは確でも、
実物は何であるかを知り難いので、
専門家の研究に待つことにする。

―木暮理太郎― 『マル及ムレについて』より

2020年8月28日金曜日

2020年8月27日木曜日

それは夏の午後のことで、 その日は南風気の風の無い日であった



それは夏の午後のことで、
その日は南風気の風の無い日であった。
白く燃える陽の下に、
草の葉も稲の葉も茗荷の葉も皆葉端を捲いて、
みょうに四辺がしんとなって見える中で、
きりぎりすのみが生のある者のようにあっちこっちで鳴いていた。

―田中貢太郎― 『雑木林の中』より

2020年8月26日水曜日

そのめざましい鬱金はあの待宵の花の色



そのめざましい鬱金はあの待宵の花の色、
いつぞや妹と植えたらば夜昼の境にまどろむ黄昏の女神の夢のようにほのぼのと咲いた。

―中勘助― 『折紙』より

2020年8月25日火曜日

ぐみの実、 草いちごの実、 おもひでがあまりに多い

 



いぬころぐさを活ける、
去年をすぐおもひだす、
おどり子草も咲いてゐる、
すぐまた一昨年のことをおもひだす。
……
ぐみの実、
草いちごの実、
おもひでがあまりに多い。

―種田山頭火― 『其中日記』より

2020年8月24日月曜日

びわの木のえだと、 青い実のなかで、 小鳥と、 びわと



――もういいの。
――まあだだよ。
びわの木のえだと、
青い実のなかで、
小鳥と、
びわと。

―金子みすず― 『もういいの』より

2020年8月23日日曜日

しょってゐるのはみな野葡萄の実にちがひありません



夕方です。
向ふの山は群青のごくおとなしい海鼠のやうによこになり、
耕平はせなかいっぱい荷物をしょって、
遠くの遠くのあくびのあたりの野原から、
だんだん帰って参ります。
しょってゐるのはみな野葡萄の実にちがひありません。
参ります、参ります。
日暮れの草をどしゃどしゃふんで、
もうすぐそこに来てゐます。
やって来ました。
お早う、お早う。

―宮沢賢治― 小説『葡萄水』より

2020年8月21日金曜日

神は帳面を持っていて、その神の帳面には、僕達がした人には知れない悪事も善事もみんな記録してあるのだ


『太宰さん、神は在りますか?』って云うんだ。
僕はまじめに『僕は在ると思う。若もし神が無かったら、僕達が人知れずした悪事は誰が見ているのだ。』と叱咤して、
『神は帳面を持っていて、その神の帳面には、僕達がした人には知れない悪事も善事もみんな記録してあるのだ。』

―小山清― 小説『メフィスト』より

2020年8月20日木曜日

まれびととは何か。 神である



まれびととは何か。
神である。
時を定めて来り臨む大神である。
大空から或は海のあなたから、
ある村に限つて富みと齢とその他若干の幸福とを齎して来るものと、
その村々の人々が信じてゐた神の事なのである。

―折口信夫―

2020年8月19日水曜日

鬼ですら音楽にはうごかされるという。 まして、 この佳人の横笛に、 五情にもろい人間の子が、 感動しないでおられようか



じっと眼まなこをとじて、
聞き惚れているうちに、
沢庵は、
昔三位博雅卿が、
朱雀門の月の夜に、
笛をふいて歩いていたところ、
楼門の上で同じように笛を合調す者があったので、
話しかけて笛を取りかえ、
夜もすがら二人して興に乗じて吹き明かしたが後で聞けばそれは鬼の化身であったという、
名笛の伝説を思い出さずにいられなかった。
鬼ですら音楽にはうごかされるという。
まして、
この佳人の横笛に、
五情にもろい人間の子が、
感動しないでおられようか。

―吉川英治―

2020年8月18日火曜日

槍ヶ岳や大天井との相撲には、 北穂高東穂高の二峰がそれぞれ派せられている



槍ヶ岳や大天井との相撲には、
北穂高東穂高の二峰がそれぞれ派せられている、
何れも三千米突内外の同胞、
自ら中堅となって四股を踏み、
群雄を睥睨しおる様は、
丁度、
横綱の土俵入を見るようだ

―鵜殿正雄―

2020年8月17日月曜日

八海山と駒ヶ岳に奥会津に近い中ヶ岳が三角の顔をだして、 山の涼しさを語っている



破間川と魚野川の合流点の、
秋草に満ちた広い河原から南東を眺めた山々のただずまいはほんとうに美しく荘厳である。
八海山と駒ヶ岳に奥会津に近い中ヶ岳が三角の顔をだして、
山の涼しさを語っている。
銀山平や、
六十里越、
八十里越あたりの連山に眼を移せば、
旅にいて、
さらに旅心を唆そそられるのだ。

―佐藤垢石―

2020年8月16日日曜日

2020年8月14日金曜日

プリンシプルは何と訳してよいか知らない。 「原則」とでもいうのか

 


プリンシプルは何と訳してよいか知らない。
「原則」とでもいうのか。
日本も、
ますます国際社会の一員となり、
我々もますます外国人との接触が多くなる。
西洋人とつき合うには、
すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。

―白洲次郎―

2020年8月13日木曜日

すぐに帰るよ。 遅くなるようなら……お盆に帰る。 迎え火焚いて待っててくれ

 


すぐに帰るよ。
遅くなるようなら……お盆に帰る。
迎え火焚いて待っててくれ。

―島田新六郎― 映画『十三人の刺客』

2020年8月12日水曜日

2020年8月11日火曜日

不安定な安定こそ一番の魅力で、 それが「かぶく」ということにつながります

 

不安定な安定こそ一番の魅力で、
それが「かぶく」ということにつながります。
まっすぐではなく、
かといって、
倒れもしない“斜めの魅力”が阿国の中にはある。

―野村万之丞―

2020年8月9日日曜日

2020年8月7日金曜日

「ありがとう」と「ごめんなさい」の言葉は大切にして生きていかなければならない



僕は人との出会いには本当に恵まれていると思うんですよね。
だからこれからも、
「ありがとう」と「ごめんなさい」の言葉は大切にして生きていかなければならない。
いろんな人に生かされてるんだなって思いますね。

―吉幾三―

2020年8月6日木曜日

色々と辛いだろうが、 今が踏ん張り時だ



色々と辛いだろうが、
今が踏ん張り時だ。
ここで一人一人がちゃんと対応できねえとマジで日本どころか、
世界が終わる…。

みんなの良識ある行動に期待しているぞ。
へばな。

―超神ネイガー―

2020年8月5日水曜日

ぼくは目をすっと瞑り、少しの間、気持ちを落ち着かせた。 棘を作るように、 高く荒れていた気持ちの波が、 ゆっくりと平らかになってくる



「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」 
文字だから想像するほかないけれど、
苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
ぼくは目をすっと瞑り、少しの間、気持ちを落ち着かせた。
棘を作るように、
高く荒れていた気持ちの波が、
ゆっくりと平らかになってくる。
それから、
対談の最後、
苗場さんが発言した、
「できることをやるしかないですから」 という言葉を反芻し、
こくりとうなずいていた。

―伊坂幸太郎― 小説『終末のフール』

2020年8月4日火曜日

武者の形あるいは竜虎の形などの極彩色の大燈籠を荷車に載せて曳き、 若い衆たちさまざまに扮装して街々を踊りながら練り歩く津軽年中行事の一つである



陰暦七夕の頃、
武者の形あるいは竜虎の形などの極彩色の大燈籠を荷車に載せて曳き、
若い衆たちさまざまに扮装して街々を踊りながら練り歩く津軽年中行事の一つである。
他町の大燈籠と衝突して喧嘩の事必ずあり。
坂上田村麻呂、
蝦夷征伐の折、
このやうな大燈籠を見せびらかして山中の蝦夷をおびき寄せ之を殱滅せし遺風なりとの説あれども、
なほ信ずるに足らず。
津軽に限らず東北各地にこれと似たる風俗あり。
東北の夏祭りの山車だしと思はば大過なからん歟。

―太宰治―

2020年8月3日月曜日

それら一連の山岳は、 一種の霊気を帯びて、 人の心に迫ってくる



目指す槍ヶ岳の尖峰は、
屹然と中空に聳え、
鋸歯状に輪廓を刻んで、
左手穂高岳へ連り、
右手はゆるやかに延びて、
双六、鷲羽、野口五郎、烏帽子、蓮華、などの諸岳となり、
大気澄む日には、
遙かに白馬岳をも遠望される。
そして高瀬川の峡谷を距てて、
深い山襞に雪を含んでる、
それら一連の山岳は、
一種の霊気を帯びて、
人の心に迫ってくる。

―豊島与志雄―

2020年8月2日日曜日

2020年8月1日土曜日

越中側の斜面には高山植物が多いから、 若返って信濃の国の詩でもつくるのだ



今年の夏は鹿島槍に登ろう。
大沢を出てマヤクボで泊り――これは三時間位で登れるが、天幕を張っておいてから針ノ木岳あたりで遊ぶのだ――次の日は棒小舎乗越ぼうごやのっこし泊どまり。
ここには野営地がある。
次の日は爺を登ってツベタに出、
午後は雪解けの池に棲むハコネサンショウウオを追いまわして遊ぶ。
翌日は鹿島槍、
これもゆっくりやる。
越中側の斜面には高山植物が多いから、
若返って信濃の国の詩でもつくるのだ。

―石川欣一―