作画年月日不明 普光寺内の大蝋燭
普光寺内の柱には4本の大蝋燭が設置されています
裸押し合い大祭では、多聞青年団が大蝋燭のそばにたち蝋燭を見守ります
大蝋燭は普光寺に置かれているので、大祭日以外でも見ることができますよ
伊東忠太の設計図も通路に展示されています
普光寺内の柱には4本の大蝋燭が設置されています
裸押し合い大祭では、多聞青年団が大蝋燭のそばにたち蝋燭を見守ります
大蝋燭は普光寺に置かれているので、大祭日以外でも見ることができますよ
伊東忠太の設計図も通路に展示されています
飛雲閣は金閣と銀閣とあわせて「京の三名閣(三閣)」に数えられる名建築
と書かれていました・・・洛陽三閣ともいわれているそうです
洛陽三閣に大徳寺の呑湖閣をあわせて、京の四閣
京の四閣に東福寺常楽庵 開山堂・伝衣閣をあわせて、京の五閣というそうです
京の五閣に、第49回京の夏の旅で見学した祇園閣を・・・
は違うようです・・・
でも、伊東忠太ファンとしては、お西さんまで行ったら見学したい所があるのです
西本願寺御影堂門から御影堂門の向こうに、伊東忠太が設計した本願寺殿堂院の屋根が見えています
明治28(1895)年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、伊藤忠太設計で建てられた本願寺伝道院
現在は僧侶の研修の道として使用されているそうです
通常内部は非公開ですが、建物の外観(建物を囲むように並んでいる石像たちも)は見ることができます
入り口にある狛犬のような石像
こそっと、伊藤忠太原案の別の石像写真も入れています(わかりますか?)
米山より日本海を望む
年不明、10月1日スケッチ
米山は新潟県上越市と柏崎市の境にある、標高992.5mの山。
山の名前の由来は、最澄の弟子が海を渡る強欲な船主から米俵を(米山に)飛ばしたという伝説から。
過去記事「伊東忠太と彌彦神社と普光寺毘沙門堂(その1)まずは米山から」
で、明治から昭和の建築家で古社寺保存法にも携わった伊東忠太が古社寺保存調査で新潟県を訪れた際、米山のスケッチがフィールドノートに残っていると紹介しました。
今は道路や橋梁があるので、忠太が旅した頃とでは米山付近の風景は大きく変わっていますが、米山そのものの姿は忠太が見たときと変わっていない、のでしょうかね。
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| 奈良国立博物館 収蔵 十二神将立像 |
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| 喜多川歌麿「江戸八景・衣紋坂乃夜の雨」 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム (https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-4282?locale=ja) |
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| 蔵春閣ラッピングバス(左)新潟空港ロビー(左) |
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| 祇園閣 大雲院側から望む |
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| 2024年7月12日 撮影 祇園祭山鉾惹き始め(前祭)菊水鉾 |
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| 普光寺毘沙門堂 昭和61(1986)年スケッチ |
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| 普光寺山門(仁王門)正面から回廊方面 |
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| 普光寺山門(仁王門)正面 |
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今日のイラストは、普光寺の山門(回廊側から) 昭和60(1985)年3月3日のスケッチ |
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| 米山の山野草 |
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| 普光寺山門(仁王門)谷文晁 双龍図 |
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| 普光寺山門(仁王門)正面 |
山門の楼下天井の双龍図板絵は、関市四郎氏が親交のあった仏画師「板谷桂舟」に 筆労を依頼せんと、当町井口新左衛門をして天井板を江戸まで運ばせる途中、熊谷宿に宿泊。
たまたま同宿せる谷文晁師これを聞き、自ら筆を取りたき気持ちをおこし、新左衛門にその由を訴えたるも、新左衛門未だ文晁師を知らず、これを聞き入れざりしが、文晁師の願いしきりになるにより遂にこれを許したり
令和5(2023)年に新潟県新発田市に移築された大倉喜八郎の「蔵春閣」。
明治45(1912)年に「蔵春閣」を建てるとき、大倉喜八郎は伊東忠太や他の建築家に意見を求めたそうです。
今度此の向嶋の別莊を、新しく建て增すに當つても、片山博士だとか、妻木博士だとか、伊東博士だとかの、専門家の人達に、それぞれ相談をしたのである。
参考:1912年7月刊行「建築工藝叢誌」掲載の大倉喜八郎「蔵春閣建築瑣談」より
蔵春閣の建築にも、伊東忠太は関係していたのですね。
伊東忠太が描いた日記やフィールドノート、絵葉書、写真など貴重な資料が日本建築学会建築博物館に所蔵されています。
それらはデジタルアーカイブスとして閲覧可能ですが(伊東忠太資料【古写真 国内建築写真など】)その中に、大倉喜八郎、向島別邸の写真もあるのです
※ちなみに、祇園閣の模型や京都の祇園鉾(長刀鉾かなぁ?)建築当時の祇園閣(眞葛荘もかな?)の写真もありますよ。
大倉喜八郎が京都別邸「眞葛荘」「祇園閣」を建てたいと伊東忠太に依頼したのは、大倉集古館の再建を依頼したのと同じ大正15(1926)年頃。
『向島別墅に呼ばれて~』と伊東忠太が回顧しています。
参考:『鶴翁餘影』より
伊東忠太資料【古写真 国内建築写真など】の写真一覧リストには【大倉向島別邸】と記載されていますが……。
その写真の建物が、新発田に移設された蔵春閣と似て見えるのは、伊東忠太が大倉喜八郎に呼ばれて祇園閣の話を聞いた場所が蔵春閣で、その帰路に蔵春閣を写真に撮った、と想像してしまったからなのかもしれません。
2024年7月~9月【第49回 京の夏の旅】世界遺産&京の名建築と夏の庭 で祇園閣が特別公開されていました。
京の夏の旅京都東山にある大倉喜八郎別荘(眞葛荘)地内に喜八郎90歳を記念して建築された楼閣です。
※眞葛荘、祇園閣ともに、京都市東山区にある 本山龍池山 大雲院(織田信長・信忠親子の菩提を弔うために天正15年に創建された寺院)境内にあります。
そしてなんと!
11月から開催される「2024年 京都モダン建築祭」のプログラムで
11月2日~3日の2日間、祇園閣が特別公開されます。
京都モダン建築祭は、京都に現存する魅力的なモダン建築を一斉公開するプロジェクトです。2022年に文化庁京都移転記念事業として、京都モダン建築祭実行委員会と京都市 の共催でスタートしました。建築一斉公開イベントでは全国でも珍しい有料パスポート方式を初めて導入し、パスポート公開とガイドツアーを主なプログラムとして実施。 会期中、モダン建築に関するさまざまな催しが京都市内各所で一斉に行われます。
引用:京都モダン建築祭より
祇園閣の設計を手がけたのは、工学博士で建築家の伊東忠太です。
平安神宮、明治神宮など著名な建築設計を行っていて、個人邸宅や記念碑、お墓なども設計していたそうです。
そして、不思議な動物や妖怪のモチーフの飾りを建物に施すというのが伊東忠太の建築物の特色。
幼少から絵を描くのが好きだったようで、魑魅魍魎の姿をかりて社会情勢を絵葉書に綴った風刺漫画(大正3年~昭和25年にかけて)が「阿修羅帖」として出版されています。
そして、6月の記事で、新潟にも伊東忠太設計の建築物があると触れました。
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| 越後一宮 彌彦神社 一の鳥居 |
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| 越後一宮 彌彦神社 社殿前 狛犬 |
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| 祇園閣前 ライオン像 |
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| 普光寺山門 |