越後駒ヶ岳より八海山
平成12(2000)年、5月5日スケッチ
越後駒ヶ岳は標高2003mの魚沼市と南魚沼市にまたがる山
八海山は南魚沼市にある標高1778mの山
八海山と中ノ岳、越後駒ヶ岳は「越後三山」や「魚沼三山」と呼ばれています
ニックネームは「はなこ」さん
は(八海山)な(中ノ岳)こ(駒ヶ岳)山
越後駒ヶ岳より八海山
平成12(2000)年、5月5日スケッチ
越後駒ヶ岳は標高2003mの魚沼市と南魚沼市にまたがる山
八海山は南魚沼市にある標高1778mの山
八海山と中ノ岳、越後駒ヶ岳は「越後三山」や「魚沼三山」と呼ばれています
ニックネームは「はなこ」さん
は(八海山)な(中ノ岳)こ(駒ヶ岳)山
魚沼市の貴重な文化財を紹介し、その魅力を発信する観光や文化の拠点施設として令和6(2025)年3月31日に開館した資料館です
広神会館の1Fにあるので、公民館のような雰囲気かなぁ? 展示品も多くないのかなぁ?
と思ったのですが・・・ごめんなさいです
旧石器から縄文、弥生、古墳、飛鳥奈良平安、鎌倉南北安土桃山、江戸、近世と遺物や展示物がたくさん!
入口はいってすぐに展示されている火焔型土器をプロローグとして、現代まで魚沼市の歴史をたどっていく流れ展示になっていて、時間旅行をしているような気持ちになりました
魚沼市がすごく歴史深い場所だということを知りました
魚沼市では約5000年前の火焔型土器(正安寺遺跡)が出土しているのですが、そのほかに王冠型土器というものも出土しています
火焔型土器と王冠型土器をあわせて「火炎土器」とよぶのだそうです
これとは別に「火焔土器」が存在していて、これは長岡市の馬高遺跡で昭和11(1936)年に出土した1点をさして仕様される名称とのこと
火焔型土器がはじめて出土したのが馬高遺跡で、そのとき「火焔土器」と名づけられたそうです
火焔土器と火炎土器と火焔型土器と、なんだかややこしいのですが・・・
魚沼市歴史資料館に図解いりで、わかりやすい説明が掲示されているので、見てみてくださいね
そして、じつは明日5月18日は「国際博物館の日」だそうです
これにあわせて、魚沼市歴史資料館では来館記念として、5月2日からオリジナルステッカーをプレゼントしていました
左、八十里越ステッカーですね 右はパンフレットの表紙です
あと、鎌倉・南北朝、安土桃山コーナーでは「板木山(板木城跡)より権現堂山を望む」で触れた、御館の乱や福王寺重綱についての紹介もありました
四季折々の自然に先人たちの歴史を重ねて見ることができる、素敵な場所ですよ
魚沼市歴史資料館
住所*魚沼市今泉1488番地1 魚沼市広神会館1F
開館時間*午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日*12月29日~翌年1月3日まで ※開館日が多くて嬉しい!
入館料*200円(大人)100円(高校生)中学生以下無料 ※団体料金はことなります
小倉山より越後駒ヶ岳
平成25(2013)年、6月3日スケッチ
5月にも見えるけれど、6月スケッチかなぁ?
小倉山より越後駒ヶ岳のスケッチシリーズということでアップしました
小倉山(標高1378m)
越後駒ヶ岳(標高2003m)
6月で、この積雪量あったのかな?
小倉山より越後駒ヶ岳
平成17(2005)年、5月21日スケッチ
小倉山は魚沼市にある標高1378mの山
鯉のぼりと野草のイラスト
端午の節句に、子が健やかに成長することを願って幟を飾る風習が鯉のぼりに発展
イベントや河川の上などで、多くの鯉のぼりがたなびく姿は見かけますが、鯉のぼりを掲揚するおうち、見なくなりましたね・・・
令和5(2025)年のGWと10月26日から11月6日まで、NEXCO東日本の関越自動車道と北陸自動車道の限定区間に錦鯉の吹き流しが掲揚されました
高速道路に「錦鯉柄の吹き流し」を掲揚します ~錦鯉品評会に合わせ、錦鯉発祥の地を世界にPR~
令和6(2026)年は、5月6日(水)までの限定期間、小千谷市・長岡市の吹き流しが錦鯉柄に変身しています
風の流れを吹き流しでチェックして、安全運転でドライブも健やかに
小倉山より越後駒ヶ岳
平成12(2000)年、5月2日スケッチ
小倉山は魚沼市にある標高1378mの山
折立温泉遊歩道より越後駒ヶ岳
平成23(2011)年、4月6日 スケッチ
折立温泉遊歩道は魚沼市折立温泉近くにある遊歩道・・・トレッキング、ハイキングコースですね
折立釈迦堂、名水「折立釈迦堂のいぼ水」の近くに登り口がある、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)も見える、見晴らしの良い遊歩道です
名水「折立釈迦堂のいぼ水」は、昔に釈迦堂の庵主を務めた美しい尼僧が疣に悩み、釈迦堂裏に湧く清水で毎日身を清めたところ疣が消えたという伝承が名前の由来
八海山と中ノ岳とともに越後三山、魚沼三山の一峰として数えられている越後駒ヶ岳は標高2003mの山
先日掲載した、唐松山や笠倉山から眺める越後駒ヶ岳の姿とくらべてみてくださいね
平成6(1994)年、4月10日スケッチ
笠倉山は魚沼市と南魚沼市にまたがる標高907mの山
権現堂山より守門岳を見る
平成元(1989)年、4月2日 スケッチ
権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山
守門岳は魚沼市、三条市、長岡市にまたがる標高1537.2mの山
若き日の上杉謙信に愛された山と言われています
若き日の上杉謙信(長尾景虎)は、栃尾城(現在の長岡市栃尾地域)で過ごしていました
栃尾城の本丸は眺望がよく、守門岳など山々を望めるので、景虎(謙信)も守門岳を眺めていたのではないか、ということで「謙信公に愛された守門岳」といわれているのです
天文(1548)年、景虎は長尾家の家督を継いで春日城に移りますが、晴景方についていた上田長尾(長尾政景)が反乱を起こし、先日の【板木山(板木城跡)より権現堂山を望む】で紹介したように板木城での戦いが起こります
山々は武士たちの姿を静かに眺めていたのでしょうかね・・・
板木山(板木城跡)より権現堂山
平成5(1993)年、4月18日 スケッチ
板木山(板木城跡)は魚沼市にある357mの山
大力山から板木城跡へと続く道は、中部北陸自然歩道のひとつ「板木城跡こぶしのみち」のルートとなっていて、その名の通り、春になるとこぶしが咲き誇り登山者を楽しませてくれます
中部北陸自然歩道は新潟県から滋賀県まで中部北陸8県それぞれの自然や景観、歴史、建造物を楽しみながらトレイルできる環境省が整備した歩道
以下、環境省HPより引用
新潟県山北町から滋賀県大津市までの雄大な山岳景観や日本海景観など多様性に富んだ歩道で、多くの人々が四季を通じて手軽に楽しく歩くことにより、その地域の豊かな自然、歴史や文化に触れ、自然保護に対する意識を高めることを目的として、平成7年度から整備を始め、平成13年春に完成しました。
中部北陸8県(新潟県、群馬県、富山県、石川県、福井県、長野県、岐阜県及び滋賀県)にまたがる旧街道の北国街道、三国街道、中山道をメインルートとした延長4,092kmです。
「板木城跡こぶしのみち」は、中部北陸自然歩道のルートナンバーE-5
佐梨バス停-円福寺-林泉庵-宝泉寺-大力山山頂-板木城跡-西福寺-虫野上口バス停
を巡る11.2kmの区間
春はこぶしだけではなく、可憐な山野草の開花も楽しめます
城跡の名の通り、板木山(板木城跡)は、郭跡、空堀、土塁などが残る中世の城跡
魚沼市の指定文化財(史跡)となっていて、魚沼市と南魚沼市の境に位置しているので、魚沼市では板木城、南魚沼市では雷土城と呼ばれています
板木城の築年は不明ですが、天文20(1551)年に板木城で攻防があったという記録が残っています
長尾景虎(のちの上杉謙信)と上田長尾(政景方)との間で戦が起こり、景虎軍に政景の家臣・発智長芳の居城が攻めたてられました
これを防いだ発智を賞賛する手紙に「板木城」の名前がでてくるそうです
参考:図解 にいがた歴史散歩 小千谷・北魚沼・古志
ただ、またしても板木城は景虎方から攻撃を受け陥落、景虎の猛攻に政景も降伏します
その後、和睦の証として景虎の姉(仙洞院)が政景に嫁ぎ、二人の間に生まれた次男・長尾顕景は、政景の死後、上杉謙信の養子(上杉景勝)となりました
この頃の板木城は、上杉の防衛拠点として機能していましたが、謙信の死後、またも景虎軍から攻撃を受けてしまうのです
上杉謙信(景虎)は亡くなっているのに、景虎軍からの攻撃とは・・・
以下、魚沼市HPより引用
天正6年(1578)、関東から北条氏政の軍勢が攻めてきた際に、上杉景勝方の福王寺重綱が板木城を守り、北条軍を破って撤退させたと伝わっています。
上杉謙信が亡くなった後に起こった「御館の乱」の中の一戦です
謙信は実子がいなかったので、上杉景勝と上杉景虎と二人の養子をむかえていましたが、家督後継をめぐって争いが起きたのです
上杉景虎とは、北条氏康の実子・北条三郎
上杉と北条が同盟を結び、その証として三郎は上杉謙信の養子となり景虎を名乗りました
魚沼市HPにある、小杉城に攻めてきた北条氏政は北条氏康の実子なので景虎とは兄弟
新潟のあちらこちらで景勝方と景虎方の戦いが起こり、上田荘である板木城でも景虎支援にやってきた北条軍と攻防が繰り広げられたのです
景勝勝利後、福王寺家はじめ上田長尾家臣たちは重用され、景勝が米沢藩領主となった後も家臣(五十騎組)として上杉家につかえ続けます
話を戻し・・・
板木城の戦いで福王寺重綱は負傷しました
この時、上杉家家臣で上条上杉氏当主・上条政繁の妻が、福王寺重綱の功績を褒め、傷を労る内容の書状を送っています
堀之内町史 資料編/上巻より引用
きやすまり候、やかてやかてゆなともめさるへく候、手ぬひのきぬ一まいまいらせ候、あハれきにあひ候て、めさるへく候、い上、
そのこ、きすいかかに候哉、こころもとなくそんしおり候、たたたたやうしょうひとすちかんよふに候
ゆ=湯ですね
手ぬいのきぬ一まい・・・湯帷子だったりして?
湯帷子は、あくまで想像
奥方は傷を癒すために、福王寺重綱に湯治をおすすめしたのでしょうか?
上権現堂山から唐松山を望む
権現堂山より八海山
平成14(2002)年、4月8日 スケッチ
権現堂山は魚沼市に位置している、下権現堂山(標高897m)と上権現堂山(標高998m)からなる山
美しい花々と、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)の眺望を楽しむことができます
上権現堂山の稜線を東に進むと、猫岩-唐松山があります
平成5(1993)年、4月18日 スケッチ
大力山は魚沼市にある標高504mの山
魚沼アルプス周遊コースにある山で、山頂からの見晴らしがとても良く、遠方の山々まで望むことができます
唐松山は魚沼市にある標高1079mの山
山頂稜線の西側には、奇岩「猫岩」があります
猫の顔に見えるかは・・・
黒禿の頭より
平成17(2005)年、4月5日 スケッチ
黒禿の頭は魚沼市にある標高770mの山
大力山や笠倉山、駒の頭やトヤの頭などをめぐる「魚沼アルプス周遊コース」内に黒禿の頭があります
湯之谷村 早春 未丈ヶ岳
平成2(1990)年、4月 スケッチ
未丈ヶ岳は魚沼市にある標高1553mの山
先日イラストで紹介した魚沼市にある日向倉山(標高1430m)と同じく、未丈ヶ岳も藪山で登山道がないため、残雪期限定の山といわれています
そして、未丈ヶ岳と日向倉山は稜線をつたっての縦走が可能
ただし、雪庇崩れ、雪崩のリスクあり ご注意を
ちなみに、湯之谷村は北魚沼郡にあった村です
平成16(2004)年11月1日に合併で魚沼市となりました
薬師温泉-折立温泉-大湯温泉-栃尾又温泉―駒の湯温泉
の温泉郷がある場所です
日向倉山より中ノ岳、駒ヶ岳
平成14(2002)年、4月1日 スケッチ
日向倉山は魚沼市にある標高1430mの山
雪がないときは藪こきしないと登れないので、残雪期限定の山といわれています
山頂が開けていて、素晴らしい展望が望めるとのこと
残雪と青空っていいですよねぇ
折立遊歩道(折立温泉遊歩道)より 未丈ヶ岳
平成20(2008)年、4月12日 スケッチ
未丈ヶ岳は魚沼市に位置する標高1552.8mの山
春先の天気が良い日は、青空に残雪が映え、緑もいきいきとして美しい景色が広がります
これから暖かくなり、山に登るのに良い時期となりますが
残雪期は道迷い、雪崩などの危険がともなうので注意が必要とのこと(魚沼観光オフィシャルサイトより)
魚沼市観光協会のHPに、魚沼市の山に登るための情報や注意点が明記されているのでご参考まで
未丈ヶ岳に登る注意点は、以下のように明記されています(以下抜粋)
藪も多く、迷いやすい場所があります。またマムシ等蛇も非常に多いため十分な注意が必要です。
身の危険を感じた場合はすぐに登山を中止してください。
※春先は雪も多いため、現地の状況をみて登山をお願いいたします。
登山に行かれる皆様、お気をつけて
折立遊歩道(折立温泉遊歩道)先より
平成24(2012)年、4月10日 スケッチ
魚沼市から奥只見シルバーライン方向に向かい、国道352号線を進んでいくと
薬師温泉-折立温泉-大湯温泉-栃尾又温泉 と温泉地が続きます
栃尾又温泉の奥にも、-駒の湯温泉-銀山平温泉 と温泉がありますが
こちらは、冬期休館期間があります
雪が深いのです
春が待ち遠しいですね
折立遊歩道(折立温泉遊歩道)より 桧岳
平成19(2007)年、1月21日 スケッチ
魚沼市には複数の温泉地がありますが、折立温泉遊歩道(名前からもわかるように)がある折立にも温泉があります
これから、雪解けの山々に山野草が咲き、新緑が太陽に輝く、素敵な季節となっていきますね
折立遊歩道先 毛猛三山
年月日不明 スケッチ
「折立遊歩」が、どこなのかわからなくて、とよじいに質問したところ
折立釈迦堂、名水「折立釈迦堂のいぼ水」の近くから登る「折立温泉遊歩道」でした
八海山、中ノ岳、駒ヶ岳(はなこさん)も見える、見晴らしの良い遊歩道です
名水「折立釈迦堂のいぼ水」について・・・
その昔、釈迦堂の庵主を務めていた尼僧が、釈迦堂に湧く清水で毎日身を清めたところ、手首や顔にあった疣が半年ほどで消えたことから、「いぼみずの霊水」として伝えられるようになった
とのこと
大和町 境川より 桧岳 毛猛山
平成14(2002)年、2月4日 スケッチ
大和町は南魚沼郡の町で、平成16(2004)年に六日町と合併して南魚沼市となりました
「境川」は南魚沼市五箇に位置しています
最寄り駅は八色駅、八色といえば、八色すいかが有名です
スケッチした場所は、南魚沼市五箇から魚沼市堀之内に続く「三国街道(栃原峠)」のどこかかな?
津久野又山より 桧岳 毛猛山
平成14(2002)年、2月25日 スケッチ
イラストには「津久野又山」とありますが、地図でみると「津久の枝山」と明記されています
「枝山」と書いて「またやま」と読みます
「突の枝山」とも呼ばれているようですね
魚沼市にある標高約810mの山
遠望の桧岳は魚沼市に位置する、標高1383mの山
毛猛山は新潟県と福島県に位置する、標高1517mの山です
先日アップした黒禿の頭からの眺めと比べてどうでしょうか?
黒禿の頭手前より 桧岳 毛猛山
平成25(2013)年、3月4日 スケッチ
桧岳は魚沼市に位置する、標高1383mの山 鋭い峰がきれいですね
毛猛山は新潟県と福島県に位置する、標高1517mの山です
黒禿の頭は眺めがいいところですねぇ
平成14(2002)年、3月4日 スケッチ
スケッチ裏に以下のメモあり
自宅 AM9:00近く出発
干溝 寺前 出発 9:20分頃
大力山 30~40分 約3時間ほど
黒禿の頭着 12:10分
12:55分 下山開始
登山口着 PM14:53 約2時間ほど
黒禿(の頭)への道より(八海山を望む)
平成11(1999)年、3月13日 スケッチスケッチ裏メモ
8時20分過ぎ、自宅出発
8時45分 干溝寺前
9時30分 大力山
10時25分 新三郎ピーク手前
10分スケッチ
12時45 出発
14時25分 大力山
15時 帰宅
新三郎・・・要確認・・・中
普光寺内の柱には4本の大蝋燭が設置されています
裸押し合い大祭では、多聞青年団が大蝋燭のそばにたち蝋燭を見守ります
大蝋燭は普光寺に置かれているので、大祭日以外でも見ることができますよ
伊東忠太の設計図も通路に展示されています
裸押し合い大祭開催時のスケッチ
令和2(2020)年より、裸押し合い大祭は開催日が3月第一土曜日になっています
令和8(2026)年は3月7日(土)開催 3月6日(金)から前夜祭が開催
詳しくは 越後浦佐普光寺「令和8年毘沙門堂の裸押し合い大祭行事について」
昨日紹介した折立「百八灯」のお祭りもそうですが、大祭を行うには事前もあり、片付けもあります
裸押し合い大祭も、1月から準備が始まり、厳格な儀式も行われています
大祭後は、毘沙門天をお清めする儀式があるそうです
背景を見ることの大切さを、普光寺の裸押し合い大祭から学ばせていただいております
普光寺、裸押し合い大祭
奥深く伝統ある大祭は、平成30(2018)年、国の無形民俗文化財に指定されています
作画、年月日不明 折立「百八灯」のイラスト
百八灯は3月の初午の前夜(現在は3月第一日曜日)に開催される、江戸時代初期から続く伝統行事作神様である「稲荷大明神」に五穀豊作、無病息災を祈願するお祭りで、山麓にある稲荷神社から山頂に向かう稜線に稲藁を設置
夜になってから稲藁に火を灯します
雪が積もった山の稜線から夜空に炎が立ち上り、藁火の灯が里を照らし、春を待ちわびる雪国に幻想的な風景が広がります
2026年の開催は、明日の3月1日(日) 魚沼マレットゴルフ場
詳細は 魚沼市観光オフィシャルサイト
折立地区温泉組合 百八灯事務局 では、百八灯の準備のご様子(雪祠作りや稲藁を運ぶ)も紹介されています
余談ですが、今から9年前、2017年のブログ記事で百八灯について、ちょこっと紹介していました
そのとき、とよじいは「この祭り、しらねぇろう(知らないだろう)」と、百八灯のスケッチを見せながら言っていました
そのとき見せてくれたのが、今日の百八灯スケッチ
上記記事の最後で「百八灯のイラストは後日アップしますね♪」と書いてから、9年経過してアップとなりました・・・
大力山 山頂より
平成7(1995)年、1月1日、元旦登山のスケッチ
1月に描かれたイラストですが、アップした今日は2月末
春の足音が聞こえてくる頃
次は、魚沼アルプス周遊コースに戻って、3月に描かれたイラストを・・・
大力山より八海山
年月日不明スケッチ
標高504mの大力山
登山口から1時間ほどで山頂に到着するとのこと(魚沼観光オフィシャルサイトより)
イラストに描かれているように、八海山はもちろん越後三山(八海山・中ノ岳・駒ヶ岳→はなこさん)が望める、見晴らしのいい山です
大力山からの眺望イラストをアップしていこうかな
飛雲閣は金閣と銀閣とあわせて「京の三名閣(三閣)」に数えられる名建築
と書かれていました・・・洛陽三閣ともいわれているそうです
洛陽三閣に大徳寺の呑湖閣をあわせて、京の四閣
京の四閣に東福寺常楽庵 開山堂・伝衣閣をあわせて、京の五閣というそうです
京の五閣に、第49回京の夏の旅で見学した祇園閣を・・・
は違うようです・・・
でも、伊東忠太ファンとしては、お西さんまで行ったら見学したい所があるのです
西本願寺御影堂門から御影堂門の向こうに、伊東忠太が設計した本願寺殿堂院の屋根が見えています
明治28(1895)年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、伊藤忠太設計で建てられた本願寺伝道院
現在は僧侶の研修の道として使用されているそうです
通常内部は非公開ですが、建物の外観(建物を囲むように並んでいる石像たちも)は見ることができます
入り口にある狛犬のような石像
こそっと、伊藤忠太原案の別の石像写真も入れています(わかりますか?)