2017年7月3日月曜日
何れ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)
何れ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)。
五月雨に 沢辺の真薦 水越えて いづれ菖蒲と 引きぞ煩ふ
「太平記」の中にある記述で、源頼政が鵺(ぬえ)を退治した褒美に、鳥羽院から菖蒲(あやめ)前という美女を賜るとき、十二人の美女の中から選び出すように言われ、美人揃いだったため選びかねて詠んだ歌といわれています。
近衛天皇在位のとき、毎晩、丑の刻(午前2時)に御殿の屋根を黒雲が覆うという出来事が起こった。警護をまかされた源頼政は、雲の中に怪しい影があるのに気付き矢を放ったところ、頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という怪物が落ちてきた。これを退治した源頼政は、獅子王という御剣を天皇から賜ったという。
源頼政は源義朝について戦い、その後、義朝が起こした平治の乱では平清盛の味方となり、平家の横暴をみかねて平家を打つために挙兵しようとしますが、事前に発覚し、平等院で自害しました。
アヤメかカキツバタか、迷い迷われての人生だったのでしょうか?
それとも、知っていて、迷ったふりをして、世の流れに乗って動いたのか。
75歳以上生きた方のようですから、後者かもしれませんね。
さて、アヤメとカキツバタとショウブの見分け方ポイントは、生えているところが違うということ。
アヤメは乾いたところ。
カキツバタは水辺。
ショウブは湿地。
もう一つは、花の中央にある筋の色。
アヤメは黄色と紫の縞目模様。
カキツバタは白いすじ。
ショウブは黄色いすじ。
あとは、葉っぱの形が、アヤメが細くて平ら。カキツバタが幅広く平ら。ショウブは葉っぱの中央に太い筋があります。
ということで。とよじいのイラストがアヤメかカキツバタかショウブかわかりませんでしたが(汗)。
真ん中に白い線があるので、カキツバタかなということで。
違っていたら、教えてください(*^_^*)
2017年5月11日木曜日
佐渡島のイラスト 願(ねがい)集落
今日のイラストは佐渡島「願(ねがい)」集落です。
願は二つ亀と大野亀に挟まれている集落で、先日紹介した賽の河原がある場所です。
⇒佐渡島 賽の河原
願集落から二つ亀へと向かう遊歩道の途中に、賽の河原があります。
賽の河原と「願」という名の地名が、マッチしているようでマッチしていないような、不思議な感じです。
願をポジティブで希望的な言葉として考えると、
あの世とこの世を結ぶ三途の川の河岸である賽の河原で願うのは
合わないような気もしますが……。
自分のための願いではなく、人を思っての願い……。
亡くなった人や家族が、三途の川の向こうで幸せに過ごして欲しいという願いと考えると、願という地名と賽の河原がしっくりくるように思います。
賽の河原には、子ども地蔵がたくさん置かれているのですが、親が子を思って置かれたのでしょうね。
彼岸では子が親を思い石を積む。此岸では親が子を思い地蔵を置く。
それぞれの願いが交差する河岸が賽の河原なのでしょう。
「願」という地名の由来は、大野亀に願掛けをすると、願いがかなうということから来ているそうです。
どのような願掛けをするのか。
賽の河原という場所ですから、亡き人の幸福を思っての願いが多いのでしょうね。
ちなみに、願集落には佐渡西国三十三観音の二十三番「施願観音」があります。
1東強清水~2逢田観音~3河内観音~4観音寺~5帰郷観音~6六句観音~7斉藤観音~8宿根木~9小太観音~10子安観音~11横山観音~12豊田観音~13新町観音~14三宮観音~15下新穂~16阿弥陀堂~17火伏観音~18円慶堂~19吾潟観音~20久知河内~21白瀬観音~22見立観音~23施願観音~24岩谷観音~25入川観音~26千佛堂~27波切観音~28下戸観音~29治門観音~30知空堂~31石田観音~32本屋敷~33堂林観音
番外─光善寺、稲葉堂、大浦観音、田中観音
本部─れんげ寺
となっております。
西国巡りは人気ですよねぇ。
浦佐毘沙門堂の後ろの山にも西国三十三番観音巡りありました。
>>浦佐毘沙門堂裸押合祭り
誰かを思って願う、日本人の優しさを感じる地名ですね。
2017年5月10日水曜日
佐渡島のイラスト 賽の河原
今日のイラストは、とよじいの佐渡島紀行「賽の河原」です。
佐渡島の賽の河原は、両津港から車で1時間ほど移動した、佐渡島の北西の突端近く、大野亀と二ツ亀という景勝地に挟まれた海食洞穴の中にあります。
近くに「願(ねがい)」という集落があり、願から海岸線に沿って遊歩道を歩いて1kmほど進むと、海食洞穴が見えてきます。
海に向かってポッカリと開いた穴の中には、複数のお地蔵様がおられて、海辺の石を積み上げた石積みがいくつも……。
賽の河原というのは、あの世(彼岸)とこの世(此岸)の間にあるとされる三途の川の河原のことをいいます。賽の河原では、親よりも先に亡くなった子どもが、親不孝の報いを受ける場所とされています。
親を悲しませた罪で、親の供養のために、石を積み塔を完成させなければいけませんが、石を積み上げると鬼がきて塔を破壊していく。また、子どもが石を積むと、鬼がきて塔を崩す、その繰り返しが親が三途の川に来るまで続きます。
ひとつ積んでは父のため
ふたつ積んでは母のため
みっつ積んでは故郷の兄弟わが身と回向して
ここで、子どもを救済に来てくれるのが、お地蔵様(地蔵菩薩)ということで、亡くなった子どものために、お地蔵様が置かれているのです。
お地蔵様は、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道)すべての世界に現れて、人々を救う菩薩様であると言われています。
地獄の閻魔大魔王と地蔵菩薩が同一の存在であるという説もあります。
日本では、地獄の責め苦からお地蔵様が救済してくれるということで、地蔵信仰が広まり、賽の河原で鬼に苦しめられる子どもをお地蔵様が守ってくれるというので、子どもの供養においてもお地蔵様は人気でした。
「賽の河原地蔵和讃」というものがあります。
ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため……というフレーズです。
賽の河原で石を積む子どもの様子を謳ったものですが、
この和讃の最後に、鬼にいじめられ父母を偲んで泣いている子どもの前にお地蔵様が現れて、子どもを抱きかかえるというシーンが描かれています。
我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣のもすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き
佐渡島の賽の河原のお地蔵様の像も赤ちゃんを抱きかかえ、お地蔵様の足元に子どもたちが抱っこをせがむように手を伸ばしている姿となっております。
賽の河原は佐渡島だけではなく、日本各地に存在していいます。有名なのが青森県の恐山ですが、もともとは京都の鴨川と桂川の合流する「佐比の河原」に由来するようです。
地蔵信仰と「賽(さえ)の神」がミックスしたもの、という説もあるようです。
賽の河原やお地蔵様と閻魔様の関係などは、地獄の様子をコミカルに描いた漫画「鬼灯の冷徹」に詳しく載っているので、よかったら読んでみてください。
笑いながら、地獄極楽この世の仕組みが学べますよ♪
さて、佐渡島の賽の河原ですが、地元では2月の寒念仏にお参りをしているそうです。
そして「賽の河原にあるものは持ち出してはいけない」というルールがあります。
石、お供えなど「持ち帰る」と災いが起こると言われていますので、ご留意を。
2017年5月9日火曜日
2017年5月7日日曜日
佐渡島のイラスト 達者海岸
今日のイラストは、とよじいの佐渡紀行スケッチブックから、佐渡の達者海岸です。
達者海岸は佐渡で有名な「尖閣湾」の一部にある海岸で、透明度に優れた海で、海水浴場としても人気のスポットです。
この「達者」という名前のいわれは「安寿と厨子王」の伝説からきています。
「安寿と厨子王」は、中世の浄瑠璃の演目として演じられていた物語で、各地で民話化しています。
森鴎外の小説「山椒太夫」でも有名です。
貴族の姉弟、安寿姫と厨子王は、他者に騙され都落ちした父を訪ねゆくが、途中人買いに騙されて、同行していた母と離れ離れになってしまう。
人買いにより姉妹は宮崎に、母は佐渡へと売り渡される。
~略~
紆余曲折あり、復讐を果たした厨子王は母を訪ね佐渡へと向かうと、海辺で鳥追い歌を歌う年老いた瞽女(ごぜ)に出会う。
「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」
その歌を聞き、厨子王は瞽女が母であると気づき、駆け寄りすがりついた。
厨子王が近くの清水で母の目を洗うと、目が見えるようになり、母子は再び抱き合ったという。
この、厨子王と母の再会の地が「達者」であり、お互いが「達者」であったことを喜んだということから、達者海岸という名前がついたのだそうです。
母の目を治したという湧き水を祀る「目洗い地蔵」が今も残っています。
【達者海岸】
場所:佐渡市達者
アクセス:両津港から車で約60分。バス⇒尖閣湾達者から徒歩5分。
【達者海水浴場】
駐車場:20台(無料)
※更衣室、温水シャワーなどの設備はありますが、浜茶屋は出ていないようです
佐渡地域観光交流ネットワークさんで、ガイドが案内してくれる「さどさんぽコース」が企画されています。
3日前までに申し込みをすれば参加可能です♪
達者海岸から目洗い地蔵、厨子王と母の再会場所「おお坂」やクシキという竜が住んでいた「山門洞クシキ」などを案内していただけます。
地元の案内人ならではの、コアなスポットやためになる佐渡話が聞けますよ。
佐渡地域観光交流ネットワーク
さどさんぽコース「達者」。
※さどさんぽは達者のほか、岩谷口、関など8コース用意されています。
問い合わせは、一般社団法人佐渡地域観光交流ネットワークまで。
【一般社団法人佐渡地域観光交流ネットワーク】
住所:新潟県佐渡市河原田本町394番地 佐和田行政サービスセンター2階
電話:0259-67-7995
2017年5月6日土曜日
佐渡島のイラスト 七浦海岸
今日のイラストは、とよじいの佐渡紀行スケッチブックから、佐渡相川の七浦海岸です。
いかつり船を描いています。船の上に、のれんのように楕円形のものが吊るされていますが、これは、イカを呼び寄せるための灯り(ランプ)漁火です。
イカ釣り船の漁火は、宇宙からもくっきり見えるほどの明るさだと言います。
七浦海岸は漁火の絶景ポイントで、佐渡相川地区の鹿伏から二見までの7つの集落をまたぐ、10kmにおよぶ海岸線です。
隆起に富んだ海岸で、深く突き出た岬「橘の長手岬」
二つの岩が並ぶ「高瀬の夫婦岩」
縄文時代の住居になっていた洞窟
相川の町並みが一望できる「春日崎」
大きな石灯籠や断崖に刻まれた摩崖仏など、見どころ満載の海岸。
夕暮れ時になると、独特の形をした岩の影が海にうつり、紫紅の空とマッチして、美しい情景が奏でられます。
潮風を受けながら海岸線を散策し、夕日を眺めて、漁火に癒やされる。
一日の海の移り変わりを堪能できる佐渡、外海府の旅。いかがでしょう?
参考:さど観光ナビ 夫婦岩
2017年5月5日金曜日
佐渡島のイラスト 大間港の近代産業遺産
今日のイラストは、とよじいの佐渡紀行スケッチブックから、佐渡相川の大間港の風景です。
スケッチの日付は、昭和53年5月4日。ですが、スケッチブックの他のイラストの日付は83年とあるので、
昭和58年の間違いだと思います。1983年と昭和53がゴチャゴチャになって、53と書いたのでしょう。
いまから、34年前の5月GWの佐渡の風景です。
大間港は相川の市街地にあり、明治時代には佐渡金山から産出される、金や銅などの搬出が盛んに行われてた港です。
イラスト左側にみられる、白い塔のような建物はクレーンの台座です。その奥にもう一つ見える白いものが、ローダー橋と思われます。
ローダー橋は、荷物を運ぶクレーンやトロッコが通った橋の事です。
イラスト右側の赤い建物は、赤レンガ倉庫。
これらの建物は明治時代に建てられたもので、現在は使われておりませんが、近代産業遺産として見ごたえがあります。
廃墟好きな方とか、ノスタルジックな雰囲気がお好きな方にはぜひ訪れて欲しいスポット。
見どころのひとつとして、大間町の護岸は「たたき工法」の創始者である服部長七が指導して作られています(明治25年、1892年完成)。
たたき工法は、土砂と消石灰を混ぜて水で練った「たたき」と石柱を組み合わせた技術。
コンクリートが普及するまで使われていました。
近年だと、鉄腕ダッシュの防波堤で「たたき」が、使用されました(違うか……)
この、たたき工法による護岸やクレーン台座はいまでも残っているので、質感などをチェックしてみてください。
さど観光ナビに大間港の写真が掲載されているので、現在の大間港の様子をご覧になってみてください。
参考URL:さど観光ナビ~大間港
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