Mt.Hakkaisan |
こんにちは、魚沼工房さとうです。
今日のイラストは、大力山から望む「八海山」です。
先日「山の神の日はなぜ12日なのか?」
この中で、魚沼地方に十二山神社が多く、その理由は八海山と八海山を訪れた修験者が関係していると書きました。
南魚沼地方に位置する「八海山」は、木曾御嶽信仰の霊山です。
「なんで、木曾御嶽?」と思われますよね。
それは!
八海山を開山したのが、木曾御嶽山を開山した普寛だからです。
八海山麓に住んでいた泰賢を弟子にして、一緒に八海山を開山したと言います。
808年に空海が登り、8つの池があったので八海山と名付けたという伝承もあります。
この八海山の本地仏は薬師如来ですが、木曾御嶽信仰の霊山ともされていて、
八海山大頭羅神王が鎮座する山としても信仰されています。
行者の活動にともない、八海山が霊山として人々の間に広まり、
山の麓にある神社も増えて行きます。
東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科、菊池章太教授の研究レポート「十二山ノ神の信仰と祖霊観」に、なぜ「十二」なのかという考察が書かれています。
十二山ノ神は薬師如来の眷属である十二神将や、熊野十二所権現と関係があるのではないか、という説があるそうです。ここに、行者や修験者たちが関わっているのではないかと、先生は推測されています。
八海山の本地仏は薬師如来。薬師如来の眷属は十二神将。
行者が八海山信仰を広めた。
そして、新潟県には十二山神社、十二神社が多い。
木曾御嶽山信仰では、霊神碑という石の石碑を建てる習俗があります。
亡くなった方の霊神碑を建立するのですが、この際、霊神号というものが与えられます。
八海山にも、この霊神碑が多く見られますよ。
霊神碑には、霊神名が刻まれていますが、建立者の氏名や出身地が彫り込まれていることがあるそうです。
建立者の出身地は様々で、新潟県以外の人や長岡市周辺や上越、新潟市という文字も見られます。
このことから、八海山信仰が、新潟県内外に広まっているということがわかります。
菊池先生は、自然災害の多い土地は、山ノ神を祀り、祭礼の際に唱えごとをしていたとおっしゃっています。
祭礼の際に、厄除けの呪言が目立っていて、そこに、修験者が関与しているのではないかというのです。
八海山信仰と十二山神社の流れ、関係性がありそうですね。
菊池先生は
「十二というのは具体的な数を意味するのではなく、むしろ極まった数の観念として神威の大きさを表しているようにも思える」と書かれています。
人々が昔から、自然を恐れ敬っていたことが、極まった数である十二という数字に表れているのかもしれませんね。