2018年1月5日金曜日

Mt. Hakkaisan&Hakkaisan Sake

Mt.Hakkaisan


新潟県を代表する日本酒「八海山」。
淡麗旨口で人気のお酒ですが、その名の由来になっている山が南魚沼市にある八海山です。

山頂付近には8つの険しい峰があり、上ったり下りたりを繰り返しながら頂上を目指します。

登山をする人にも、景観を楽しむ人にも愛されている霊峰「八海山」ですが、先にお伝えした清酒「八海山」に魅せられた海外の方がいます。

2013年2月に八海山ブランドのアンバサダーに任命された、ティモシー・サリバンさん。

ティモシーさんは、以前からNYで日本酒の啓蒙活動を行われていたとのこと。

ティモシーさんは、NYの寿司屋で「純米吟醸 八海山」を飲んで、八海山のファンになったそうです。

八海山の味に感銘を受けたティモシーさんは、日本酒への関心をより深め、もっと日本酒を知りたいと思うようになったといいます。

そして、世界中の酒蔵や酒屋、日本酒を取り扱うレストランの情報が掲載されたWEBサイトUrbanSake.comを立ち上げます。

その後、ティモシーさんの活動を知った八海醸造がティモシーさんにアプローチ。
蔵に来てもらったり、酒造りを体験してもらったり、文化交流を通じて八海山への理解を深めてもらったそうです。

2016年には、秋から春まで蔵人と同じ環境で酒造りを体験。

ティモシーさん自身は「私には酒造りの才能はないけれど、より良い日本酒の教育者となれる」とおっしゃっています。

灯台もと暗し。

日本酒の良さを本当の意味で日本人は理解していないのかもしれませんね。

NYからの新しい風をティモシーさんが運んできてくれたこともあり、
八海山の活動展開はさらに広がりを見せます。

「2017 Ultimate Wine Challenge(NYワイン品評会)」での最高位Chairman's Trophyの受賞や「2017 Los Angeles International Wine Competition(LAwain ワイン品評会)」などでも高い評価を獲得。

世界に八海山の良さが伝わるようになりました。

これからも、展開を拡大する清酒「八海山」の様子を、霊峰「八海山」は見守っていてくれることでしょう。


2017年12月23日土曜日

Souma nomaoi



OMATURI NAVIさんというサイトがありました。
日本の祭りについて、日本語と英語で紹介しているわかりやすいサイトです。

以下は「祭ナビ」さんのサイトで紹介されてる「相馬野馬追い」の説明。

『Soumanomaoi is said to be originated from the training which Masakado Taira released the wild horse and pretend it to be enemy. You can experience gorgeous and heroic Sengoku picture scroll which around five hundreds warriors who are on horseback fortified with armor wearing sword on the waist and flag on the back, run at full speed.』


祭りは、地域性があるものですから、説明が難しいと思います。
日本人ならなんとなく「あー。うんうん」と理解できると思うのですが(忖度)
海外の方に説明するとなると、どう説明したらいいか??となります。
そもそも、英語が話せない書けない(私)状態だと、ますますハードルが高くなります。
祭ナビ」さんはわかりやすく書かれているので、海外の方に祭りを説明するのにピッタリだと思います。


2018年夏。
相馬野馬追いを観覧したい方は、執行委員会にお問い合わせを♪


2017年7月4日火曜日

相馬野馬追いのイラスト






相馬野馬追は、福島県相馬市で行われる祭礼です。

2017年の開催日は……。

7月29日(土)、30日(日)、31日(月)の3日間です。

30日の野馬追いを祭場地で観覧できる、観覧席券が発売されているようですが、
詳細は、相馬野馬追執行委員会公式ページでご確認ください。


祭礼1日目は相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の各妙見神社で出陣式が行われ、総大将をお迎えの儀式を終えたあと、南相馬市の雲雀ヶ原祭場地に向かいます。
その後、祭場で騎馬武者たちが古式馬具をつけて、馬場を走る「宵乗り競馬」が開催されます。


祭礼2日目は、相馬野馬追いのハイライト。
騎馬総勢500騎ほどが、祭場地へと向かう「お行列」が行われ、祭場地に到着後いよいよ「甲冑競馬」が開催されます。
そして、クライマックスの「神旗争奪戦」開催。2本の御神旗を、数百の騎馬群が奪い合います。

祭礼3日目は、神のおぼしめしにかなう馬をとらえて、奉納する神事。
騎馬武者が小高神社境内に馬を追い込み、御小人と呼ばれる若者たちが素手で馬をとらえます。

ざっくりですが、相馬野馬追いの流れについて書かせていただきました。
相馬馬追いを描いた、とよじいイラストがまだまだあるので、お祭りとともに紹介させていただこうと思っております。



2017年7月3日月曜日

何れ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)






何れ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)。
五月雨に 沢辺の真薦 水越えて いづれ菖蒲と 引きぞ煩ふ

「太平記」の中にある記述で、源頼政が鵺(ぬえ)を退治した褒美に、鳥羽院から菖蒲(あやめ)前という美女を賜るとき、十二人の美女の中から選び出すように言われ、美人揃いだったため選びかねて詠んだ歌といわれています。

近衛天皇在位のとき、毎晩、丑の刻(午前2時)に御殿の屋根を黒雲が覆うという出来事が起こった。警護をまかされた源頼政は、雲の中に怪しい影があるのに気付き矢を放ったところ、頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇という怪物が落ちてきた。これを退治した源頼政は、獅子王という御剣を天皇から賜ったという。

源頼政は源義朝について戦い、その後、義朝が起こした平治の乱では平清盛の味方となり、平家の横暴をみかねて平家を打つために挙兵しようとしますが、事前に発覚し、平等院で自害しました。

アヤメかカキツバタか、迷い迷われての人生だったのでしょうか?
それとも、知っていて、迷ったふりをして、世の流れに乗って動いたのか。
75歳以上生きた方のようですから、後者かもしれませんね。

さて、アヤメとカキツバタとショウブの見分け方ポイントは、生えているところが違うということ。

アヤメは乾いたところ。

カキツバタは水辺。

ショウブは湿地。

もう一つは、花の中央にある筋の色。

アヤメは黄色と紫の縞目模様。

カキツバタは白いすじ。

ショウブは黄色いすじ。

あとは、葉っぱの形が、アヤメが細くて平ら。カキツバタが幅広く平ら。ショウブは葉っぱの中央に太い筋があります。


ということで。とよじいのイラストがアヤメかカキツバタかショウブかわかりませんでしたが(汗)。
真ん中に白い線があるので、カキツバタかなということで。
違っていたら、教えてください(*^_^*)

2017年5月11日木曜日

佐渡島のイラスト 願(ねがい)集落






今日のイラストは佐渡島「願(ねがい)」集落です。

願は二つ亀と大野亀に挟まれている集落で、先日紹介した賽の河原がある場所です。

佐渡島 賽の河原

願集落から二つ亀へと向かう遊歩道の途中に、賽の河原があります。

賽の河原と「願」という名の地名が、マッチしているようでマッチしていないような、不思議な感じです。

願をポジティブで希望的な言葉として考えると、
あの世とこの世を結ぶ三途の川の河岸である賽の河原で願うのは
合わないような気もしますが……。

自分のための願いではなく、人を思っての願い……。

亡くなった人や家族が、三途の川の向こうで幸せに過ごして欲しいという願いと考えると、願という地名と賽の河原がしっくりくるように思います。

賽の河原には、子ども地蔵がたくさん置かれているのですが、親が子を思って置かれたのでしょうね。

彼岸では子が親を思い石を積む。此岸では親が子を思い地蔵を置く。

それぞれの願いが交差する河岸が賽の河原なのでしょう。


「願」という地名の由来は、大野亀に願掛けをすると、願いがかなうということから来ているそうです。

どのような願掛けをするのか。

賽の河原という場所ですから、亡き人の幸福を思っての願いが多いのでしょうね。

ちなみに、願集落には佐渡西国三十三観音の二十三番「施願観音」があります。

1東強清水~2逢田観音~3河内観音~4観音寺~5帰郷観音~6六句観音~7斉藤観音~8宿根木~9小太観音~10子安観音~11横山観音~12豊田観音~13新町観音~14三宮観音~15下新穂~16阿弥陀堂~17火伏観音~18円慶堂~19吾潟観音~20久知河内~21白瀬観音~22見立観音~23施願観音~24岩谷観音~25入川観音~26千佛堂~27波切観音~28下戸観音~29治門観音~30知空堂~31石田観音~32本屋敷~33堂林観音

番外─光善寺、稲葉堂、大浦観音、田中観音
本部─れんげ寺

となっております。

西国巡りは人気ですよねぇ。
浦佐毘沙門堂の後ろの山にも西国三十三番観音巡りありました。

>>浦佐毘沙門堂裸押合祭り

誰かを思って願う、日本人の優しさを感じる地名ですね。

2017年5月10日水曜日

佐渡島のイラスト 賽の河原




今日のイラストは、とよじいの佐渡島紀行「賽の河原」です。
 
佐渡島の賽の河原は、両津港から車で1時間ほど移動した、佐渡島の北西の突端近く、大野亀と二ツ亀という景勝地に挟まれた海食洞穴の中にあります。

近くに「願(ねがい)」という集落があり、願から海岸線に沿って遊歩道を歩いて1kmほど進むと、海食洞穴が見えてきます。

海に向かってポッカリと開いた穴の中には、複数のお地蔵様がおられて、海辺の石を積み上げた石積みがいくつも……。

賽の河原というのは、あの世(彼岸)とこの世(此岸)の間にあるとされる三途の川の河原のことをいいます。賽の河原では、親よりも先に亡くなった子どもが、親不孝の報いを受ける場所とされています。

親を悲しませた罪で、親の供養のために、石を積み塔を完成させなければいけませんが、石を積み上げると鬼がきて塔を破壊していく。また、子どもが石を積むと、鬼がきて塔を崩す、その繰り返しが親が三途の川に来るまで続きます。

ひとつ積んでは父のため

ふたつ積んでは母のため

みっつ積んでは故郷の兄弟わが身と回向して

ここで、子どもを救済に来てくれるのが、お地蔵様(地蔵菩薩)ということで、亡くなった子どものために、お地蔵様が置かれているのです。

お地蔵様は、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道)すべての世界に現れて、人々を救う菩薩様であると言われています。

地獄の閻魔大魔王と地蔵菩薩が同一の存在であるという説もあります。

日本では、地獄の責め苦からお地蔵様が救済してくれるということで、地蔵信仰が広まり、賽の河原で鬼に苦しめられる子どもをお地蔵様が守ってくれるというので、子どもの供養においてもお地蔵様は人気でした。

「賽の河原地蔵和讃」というものがあります。
ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため……というフレーズです。

賽の河原で石を積む子どもの様子を謳ったものですが、
この和讃の最後に、鬼にいじめられ父母を偲んで泣いている子どもの前にお地蔵様が現れて、子どもを抱きかかえるというシーンが描かれています。

我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣のもすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き

佐渡島の賽の河原のお地蔵様の像も赤ちゃんを抱きかかえ、お地蔵様の足元に子どもたちが抱っこをせがむように手を伸ばしている姿となっております。
 
賽の河原は佐渡島だけではなく、日本各地に存在していいます。有名なのが青森県の恐山ですが、もともとは京都の鴨川と桂川の合流する「佐比の河原」に由来するようです。

地蔵信仰と「賽(さえ)の神」がミックスしたもの、という説もあるようです。

賽の河原やお地蔵様と閻魔様の関係などは、地獄の様子をコミカルに描いた漫画「鬼灯の冷徹」に詳しく載っているので、よかったら読んでみてください。
笑いながら、地獄極楽この世の仕組みが学べますよ♪

さて、佐渡島の賽の河原ですが、地元では2月の寒念仏にお参りをしているそうです。
そして「賽の河原にあるものは持ち出してはいけない」というルールがあります。

石、お供えなど「持ち帰る」と災いが起こると言われていますので、ご留意を。