2024年11月30日土曜日

伊東忠太と彌彦神社と普光寺毘沙門堂(その1)まずは米山から

 

米山の山野草

今日のイラストは新潟県の上越市と柏崎市の境にある標高993mの米山に咲く山野草。

伊東忠太の残した資料


一般財団法人日本建築学会のアーカイブ検索内、建築博物館デジタルアーカイブス・伊東忠太資料に、伊東忠太が書いた日記や書簡、古写真などが掲載されています。

これは、平成8(1996)年に伊東忠太のご遺族から寄贈された貴重資料を、整備委員会の方々が数年かけて調査整理作業を行い、データ化して閲覧利用できるようにしたものです。

資料の内容は

 ・野帳:明治27(1894)年頃~昭和22(1947)年頃にかけて、調査旅行の記録やスケッチ、建築作品の下絵、日 常記録などメモとして書かれたノート74冊

 ・葉書絵:大正3(1914)7年~昭和25(1950)年にかけて、伊東忠太が描いた絵葉書3717枚。

 ※そのうち、500枚が『阿修羅帳』として出版されています。

 ・うきよの旅:明治22(1889)年~明治26(1893)年の東京帝都大学工学部造家学科在籍時の日記。

 ・忠太自画傳,怪奇図案集甲,修学旅行記:単体で存在する記録や漫画。

 ・法隆寺関係資料:法隆寺に関するスケッチや写真、メモなど。

 ・書簡(リンクなし):お手紙。

 ・古写真:国内外の調査で撮影した古社寺や遺跡など。

 ・拓本:石碑から採取したもの。

 ・地図:国内外の地図類。

 ・スケッチ,下絵,書類:上杉神社再建や法隆寺などの図面ほか。印刷や複製が混在する。
 
・書類

という11の内訳で構成され掲載されています。

総資料数は8969点とのことで、最初の【野帳】は75項目(55欠番)にわかれていて、1項目ごとに伊藤忠太が記載したノート数十ページ(PDF)が掲載されています。

野帳33に描かれていた、米山のスケッチ


伊東忠太の野帳に、大倉喜八郎の京都にある別荘『眞葛荘』地内に作られた祇園閣の構想スケッチが描かれているというので、野帳を検索してみました。

大倉喜八郎は祇園閣を作るとき、伊東忠太に『傘が逆さになった(おちょこ)形』の建物を、という要望を出したそうです。
本当に傘が逆さになった建物を忠太が描いています。
※野帳40に収録されています

どうして、傘が逆さの建物をリクエストしたのか、というのは理由があったそうですが、そのお話しは後日……。

この、洋傘を逆さにした建物のイラストを見たくて、伊東忠太の野帳をずっと見ていましたら、

野帳33 福井、石川、富山、新潟、兵庫、高知、京都、奈良、滋賀
明治33(1900)年3月~8月にかけて行われた北陸調査(福井・石川・富山・新潟)で伊東忠太が描いた新潟県の米山のスケッチを見つけました。4月24日の日付で【柏崎より米山を望む】と。

これは、伊東忠太が内務省古社寺調査で日本各地を旅している時のフィールドノートに描かれたもの。

そして、内務省古社寺調査が、彌彦神社と普光寺毘沙門堂に関連するキーワードなのですが、このお話しも後日……。

今日は米山が主役。

新潟県の上越市と柏崎市の境にある標高993mの米山は、日本海を航海する船の目印とされてきた霊峰。

じつは、先日の、フォッサマグナの東側【新発田小出構造線】で紹介した谷文晁も米山を描いていて、文化9(1812)年に発行された全国から90の山を選んで刊行された『日本名山図会』に載っています。※こちらは以下の図書データベースで見ることができます。
『日本名山図会』(東京藝術大学附属図書館所蔵)
出典: 国書データベース

見ている方向が違うのか、谷文晁の米山と伊東忠太の米山とでは、山裾の広がりが反対になっていて面白いです。

さて、伊東忠太の野帳。おちょこの祇園閣エスキースを探すために検索していて見つけたのは、米山スケッチだけではありませんでした。

なんと【新潟県における文化省古社寺調査らしき、社寺建築細部のスケッチ】が……つづく。

2024年11月27日水曜日

フォッサマグナの東側【新発田小出構造線】

普光寺山門(仁王門)谷文晁 双龍図

2024年辰年もあと1ヶ月ほど。

伊東忠太設計の建物が新潟県に2つあり、そのうちの1つは越後一宮彌彦神社で、もう1つが越後浦佐普光寺毘沙門堂です。

越後浦佐普光寺正面には山門(仁王門)があり、その楼閣天井には谷文晁の描いた双龍図があります(上記写真)。

普光寺山門(仁王門)正面

谷文晁の双龍図板絵について、越後浦佐普光寺のサイトに次のような紹介文があります。

山門の楼下天井の双龍図板絵は、関市四郎氏が親交のあった仏画師「板谷桂舟」に 筆労を依頼せんと、当町井口新左衛門をして天井板を江戸まで運ばせる途中、熊谷宿に宿泊。

たまたま同宿せる谷文晁師これを聞き、自ら筆を取りたき気持ちをおこし、新左衛門にその由を訴えたるも、新左衛門未だ文晁師を知らず、これを聞き入れざりしが、文晁師の願いしきりになるにより遂にこれを許したり

ちなみに関市四郎さんは、天保2年(1831年)に山門造営寄進をされた若松屋市四郎(関市四郎)さん。

※その息子さんのお話しは過去に書いていますので、よかったら読んでみてください⇒浦佐毘沙門堂裸押合い祭 毘沙門市でトラブル発生!【江戸時代】


そして、谷文晁が描いた龍の絵が天井に飾られている建物が新潟県内には他にもあります。それは新発田にある蔵春閣です!

蔵春閣は大倉喜八郎の向島別邸にあった来賓を招くための建物で、新発田市に寄贈され令和5(2023)年から一般公開されています。

その蔵春閣、一階書斎の天井に、ある城の天守に用いられ谷文晁作といわれる龍が描かれています。

魚沼と新発田には、フォッサマグナの東側にある【新発田構造線】が走っています。

越後浦佐普光寺、新発田蔵春閣の場所がフォッサマグナの東側【新発田小出構造線】に乗っかっているのかな? と想像してみました。
参考:フォッサマグナとは 糸魚川市

そこに、谷文晁の描いた龍がにらみを利かせている。
なんて、格好いいと思いませんか?

2024年10月18日金曜日

向島別邸と蔵春閣


令和5(2023)年に新潟県新発田市に移築された大倉喜八郎の「蔵春閣」。

明治45(1912)年に「蔵春閣」を建てるとき、大倉喜八郎は伊東忠太や他の建築家に意見を求めたそうです。


今度此の向嶋の別莊を、新しく建て增すに當つても、片山博士だとか、妻木博士だとか、伊東博士だとかの、専門家の人達に、それぞれ相談をしたのである。


参考:1912年7月刊行「建築工藝叢誌」掲載の大倉喜八郎蔵春閣建築瑣談」より


蔵春閣の建築にも、伊東忠太は関係していたのですね。


伊東忠太が描いた日記やフィールドノート、絵葉書、写真など貴重な資料が日本建築学会建築博物館に所蔵されています。

それらはデジタルアーカイブスとして閲覧可能ですが(伊東忠太資料【古写真 国内建築写真など】)その中に、大倉喜八郎、向島別邸の写真もあるのです


※ちなみに、祇園閣の模型や京都の祇園鉾(長刀鉾かなぁ?)建築当時の祇園閣(眞葛荘もかな?)の写真もありますよ。


大倉喜八郎が京都別邸「眞葛荘」「祇園閣」を建てたいと伊東忠太に依頼したのは、大倉集古館の再建を依頼したのと同じ大正15(1926)年頃。

『向島別墅に呼ばれて~』と伊東忠太が回顧しています。

参考:鶴翁餘影』より


伊東忠太資料【古写真 国内建築写真など】の写真一覧リストには【大倉向島別邸】と記載されていますが……。

その写真の建物が、新発田に移設された蔵春閣と似て見えるのは、伊東忠太が大倉喜八郎に呼ばれて祇園閣の話を聞いた場所が蔵春閣で、その帰路に蔵春閣を写真に撮った、と想像してしまったからなのかもしれません。


2024年10月12日土曜日

2024年京都モダン建築祭で祇園閣が特別公開されますよ

2024年7月~9月【第49回 京の夏の旅】世界遺産&京の名建築と夏の庭 で祇園閣が特別公開されていました。

京の夏の旅

祇園閣

京都東山にある大倉喜八郎別荘(眞葛荘)地内に喜八郎90歳を記念して建築された楼閣です。

※眞葛荘、祇園閣ともに、京都市東山区にある 本山龍池山 大雲院(織田信長・信忠親子の菩提を弔うために天正15年に創建された寺院)境内にあります。

そしてなんと!

11月から開催される「2024年 京都モダン建築祭」のプログラムで

11月2日~3日の2日間、祇園閣が特別公開されます。


京都モダン建築祭とは?

京都モダン建築祭は、京都に現存する魅力的なモダン建築を一斉公開するプロジェクトです。2022年に文化庁京都移転記念事業として、京都モダン建築祭実行委員会と京都市 の共催でスタートしました。建築一斉公開イベントでは全国でも珍しい有料パスポート方式を初めて導入し、パスポート公開とガイドツアーを主なプログラムとして実施。 会期中、モダン建築に関するさまざまな催しが京都市内各所で一斉に行われます。

引用:京都モダン建築祭より


祇園閣内を見学する場合、京都モダン建築祭のパスポート購入が必要です。

建築祭の開催期間は前期(11月2日、3日)と後期(11月9日、10日)にわかれているので、祇園閣を見学するなら、前期パスポートを購入となります。
前期後期どちらも見学できる全期間パスポートもあり、そちらでもOK。

パスポートを購入すると、プログラムに参加している通常非公開の建築物やスペースを見学することができますよ。

祇園閣だけではなく、例えば11月2日は京都市円山公園音楽堂、11月3日は京都国立博物館 明治古都館・技術資料参考館・茶室堪庵などですね。

対象期間のパスポート公開建築物に何度も入場できるというのも嬉しい。
見逃し、見落としに気づいた場合、戻って見る。

京都モダン建築祭ではパスポートツアーの他にも、ガイドツアーや建築見学+ランチ、ディナー、宿泊つきの豪華プランもありますが、こちらは先着受付中なので受付終了のものもあります。

任天堂旧本社屋「丸福漊」に泊まるプランなど。豪華!

じつは、祇園閣のある喜八郎別荘の眞葛荘もガイドツアー特別見学開催されるのですが、事前予約抽選での受付で終了しています。落選残念。

11月9日開催予定の【平安神宮・京都国立近代美術館】倉方先生と2つの名作、非公開エリア特別見学&正式参拝 のガイドツアーも気になりますが、受付終了です。

平安神宮も伊東忠太設計。
ガイドの倉方先生(大阪公立大学教授、建築史家:倉方俊輔先生)は京都モダン建築祭実行委員で伊東忠太研究の第一人者。

眞葛荘、平安神宮のガイドツアーは受付終了で参加できませんが、見ることはできますからね。

また、2024年京都モダン建築祭のプログラムには入っていませんが、伊東忠太設計の建築物が京都にはまだあるので、真宗信徒生命保険株式会社(現・西本願寺伝道院)豊国廟を見学するのもいいかもしれません。

秋の古都でモダンな建築をめぐる旅もよさそう。

2024年10月10日木曜日

伊東忠太設計の建物【新潟県2】

新潟にも伊東忠太設計の建築物があるということについて、

1つは、越後一宮 彌彦神社 ですが

もう1つは…ジャジャーン

越後浦佐 普光寺にある毘沙門堂(南魚沼市浦佐)です。

普光寺毘沙門堂

写真は山門側から見た、毘沙門堂。大ロウソクが置かれています。

彌彦神社もそうでしたが、毘沙門堂も火災後の再建設計を伊東忠太が手がけております。
※昭和12(1937)年完成

毘沙門堂と宝蔵殿の間にある廊下に、伊東忠太の設計図が展示されていますよ。

さて。

普光寺の山門楼閣天井には双龍が描かれた板絵があります。



作者は谷文晁

そして、谷文晁が描いた龍の絵が天井に飾られている建物が、新潟県内にはまだあるのです。

なんとそれは!

蔵春閣

つづく(引っ張る)。

2024年8月29日木曜日

伊東忠太設計の建物【新潟県1】

祇園閣の設計を手がけたのは、工学博士で建築家の伊東忠太です。

平安神宮、明治神宮など著名な建築設計を行っていて、個人邸宅や記念碑、お墓なども設計していたそうです。

そして、不思議な動物や妖怪のモチーフの飾りを建物に施すというのが伊東忠太の建築物の特色。


幼少から絵を描くのが好きだったようで、魑魅魍魎の姿をかりて社会情勢を絵葉書に綴った風刺漫画(大正3年~昭和25年にかけて)が「阿修羅帖」として出版されています。


そして、6月の記事で、新潟にも伊東忠太設計の建築物があると触れました。



越後一宮 彌彦神社 一の鳥居


越後一宮 彌彦神社は明治末に本殿他が火災で焼失し、大正5年に伊東忠太設計により再建されました(現在の本殿や諸殿舎)。

越後一宮 彌彦神社 社殿前 狛犬


写真は本殿前の狛犬。こちらも伊東忠太デザイン。
この狛犬を見るたびに、シュっとした格好いい狛犬だなぁと思っていたのですが、伊東忠太デザインとわかり、何となくしっくりきました。


祇園閣前 ライオン像

こちらは京都の祇園閣前のライオン像。雰囲気似ていますかね。


そして、新潟県内で伊東忠太が設計した建物がもう1つあります、それは――

普光寺山門

この山門の奥にあります。
つづく(引っ張る)。



2024年8月28日水曜日

京の夏の旅~祇園閣

6月の記事、蔵春閣から祇園閣、大倉喜八郎から伊東忠太へ

で、京都にある大倉喜八郎の別荘、祇園閣について触れました。

が、正しくは……大倉喜八郎の別荘は眞葛荘。

祇園閣は、別荘地内に大倉喜八郎90歳を記念して建築された楼閣なのですね。


眞葛荘、祇園閣ともに、京都市東山区にある 本山龍池山 大雲院(織田信長・信忠親子の菩提を弔うために天正15年に創建された寺院)境内にあります。


祇園祭の山鉾をイメージしたという祇園閣は、八坂神社やねねの道からも見えるちょっと気になる建物。

その祇園閣が9月30日まで特別公開されています♪

【第49回 京の夏の旅】世界遺産&京の名建築と夏の庭 大雲院 祇園閣

ガイドと歩く「名勝丸山公園から京都一望の祇園閣へ」というツアーも開催中。

※これからの日程は8月31日(土)9月7日(土)14日(土)16日(月祝)21日(土)23日(月祝)28日(土)

祇園閣

※外から祇園閣を撮影するのはOKですが、内部や閣上からの撮影はNGです。

祇園閣を拝観する前に大雲院本堂へ参拝すると、そこでガイドの方から大雲院の由緒や祇園閣について説明をしていただき、詳しく知ることができました。

祇園閣内部で目を引くのが、壁面に描かれた色鮮やかな敦煌の壁画の模写。

昭和63(1988)年に描かれたそうです。

でも、それよりも目を奪われたのが、丸い照明器具を持つ青銅製の奇獣。

写真参照:祇園閣内部の照明
【本山龍池山 大雲院 
祇園閣と大倉喜八郎より】


内部の天井にある十二支の装飾や阿弥陀如来像など、見どころはたくさんありますが、一番印象に残ったのが、妖怪フリークと呼ばれた伊東忠太の嗜好がわかる照明器具でした。

閣上は一周することができるので、周囲の眺望を360度眺めることができます。


さて、祇園閣が特別公開しているように、第49回「京の夏の旅」では、世界遺産登録30周年記念&京の名建築と夏の庭をテーマに、通常非公開の文化財が9月30日までの期間限定で特別公開されています。

そして、スタンプラリーも開催されていて、特別公開対象箇所(旧三井家下鴨別邸を除く)から2箇所拝観してスタンプを集めると、指定の場所で涼味メニューの特典が受けられます♪

祇園閣と八坂神社、近いので両方拝観して2箇所スタンプゲットしました。


さてさて、今回は祇園閣を見たい気持ちが急いて、大倉喜八郎の別荘、眞葛荘の様子や大雲院の総門や南門、鐘楼などを拝観しなかったのが失敗点でした。

大雲院の境内は歴史的な建物がたくさんあるので、ゆっくり散策してくださいね。